嗚呼、憧れの里への航路
いよいよ師匠が飛び立つ日がやって来た。
「はい、これも足して、ここにもうひとつかな」
「ううむ、浮きそうではあるのだが、まだ浮かぬのぅ」
「バランスはどう? 」
「左が少し下がっておるの」
「んじゃ、そっちにも足すね」
結局、追加可能な形状にして、追加で足せるように工夫をした。
ナスカンが作れれば良かったんだけど、安全性の問題からシャックルにしておいた。
その形状と利便さを鍛冶屋に説明したところ、妙にその気になっていて、もし権利を寄越してくれるのなら、いくらでもタダで拵えてやると息巻いていた。
なので調子に乗って500個くれたら権利を渡すと言ってみると、1ヶ月くれと言ってやる気になっていたので、相当に魅力的なアイテムに見えたのだろう。
かつてふいごの代わりをしてやった鍛冶屋なので、頭ごなしの拒絶が無かったのが幸いで、こいつは売れると確信しているようだったので良しとしよう。
そうしてまたぞろ壁の掃除をやってはいたが、どうやら水の才覚持ちを入れたようで、桶の水を満たしたと思しき人が日影で横になっていた。
オレの事を覚えている人がいたので、今回も少し手伝うよと言って精霊に頼んだら、1面全てをあっという間に綺麗にしちまって、慌てて言い訳の連打となったけど、黙っててやると言ってくれたので円満のうちにお別れとなった。
跡継ぎ問題で才覚を見せたらヤバいからと言うと、それを信じてくれたらしい。
◇
あちらの世界だと3分のネジなら使用に耐えると思ったのだが、ネジの形状はその見た目以上に精密な工作技術が必要になる。
なので丸い穴が両方に付いた鉄棒を『U』の字に曲げたものに、それに入る丸棒の先に割りピンが入る穴を開けた後、鋼で割りピンを拵えて差して固定するという、あちらの世界の初期に登場したシャックルになったのは致し方無いところだろう。
ただ、抜け止めの観点から言うとネジ式は万が一があるが、割りピン方式ならピンが折れない限りは抜ける事が無いので安心だ。
予備の気球の束をいくつか用意して、縄の先を輪っかにして、不足で繋げてシャックルで止める。
そうやってバランス調整をしながら浮かしていき、変な体勢にならないようにしたら風の精霊にお願いするのだ。
オレ達は精霊化で付いて行き、航路を誤らないように補佐の予定だけど、さすがに師匠の身体の保持は出来ないので、いざと言う時には水の精霊さんに濃縮魔素水を使い切っても構わないから助けてくれと頼んである。
もちろん、すぐに洞窟に補充に行くからと告げて。
水の精霊が顕現すれば、師匠ひとりを支えるなど訳も無いので、最初は気球よりそのほうがと聞いたのだけど、あれは緊急じゃないと力が弱まるからと嫌がるので、それは強くは言えなかった。
だけども気球に何かあって師匠が落下するなら緊急だからと、約束はしてもらっている。
◇
「ううむ、ほんに浮いたのぅ」
顔だけ精霊化を解くという器用な……師匠談……事をしながら師匠と共に里への航路を進む。
奥さんは冬の間に足だけはやれるようになったんだけど、他はまだらしいのだけど、足がやれるのなら顔もそのうち可能だろう。
オレのイメージはヘッドセットを使っている感覚で、口と耳だけの活用と顔を認識して、それ以外のパーツの事を忘れるという、本人以外には理解も出来ない方法なので、教える訳にはいかないのだ。
それでも肺の代わりを風の精霊が努めてくれるから話は出来るし、同様に声も伝えてくれている。
師匠を運びながら片手間のようにしてくれる様は、とても元下級精霊とは思えない器用さだ。
風の精霊は順調に気球の塊を里のほうへ導いてくれている。
そうして旅の合間にかつての師匠の話を聞いたところ、やはりかつては光の精霊と共に在ったのだと聞かされた。
ただその才覚の量を増やしたくて、光の精霊との繋がりを強くしたくて、そうして挑んだ才覚増加計画は失敗し、そればかりか欠損になってしまって、それっきり共に在った存在とは泣き別れになってしまったのだと。
だそうだが、伝えてはやれないか?
世界の規則を破った?
無理かな。
自分の為?
それは違う。
誰の為?
君達の為だ。
嘘?
そうじゃない。
君達ともっと深く。
つまりは親しく。
それを願った。
決まり、破る、ダメ、でも……。
伝えるだけは伝えてくれそうなので、今後がどうなるかは分からないけど、悪意を持っての拒絶では無い事だけは教えてあげたいと思ったんだ。
恐らくは毎日のように意思疎通をしていて、急に反応しなくなったのを裏切られたと思ったんだろうな。
精霊に対する悪意は伝播するので、それで世界中の精霊が反応しなくなり、自然と精霊魔法が使えなくなったんだろう。
それが誤解であろうとも、精霊がそう感じたのならそれは真実として伝えられるらしいので、だから師匠は悪意を以って精霊との友誼をふいにしたとの認識になってしまったんだろう。
それが解ければ、もしかしたらまた、精霊魔法が使えるようになるかも知れない。
光の精霊とはもう逢えなくても、その想いは伝えられるようになるかも知れない。
それが師匠の悔恨なら、晴らしてやるのも弟子しての務めだろう。
それが可能なら尚更の話だ。
◇
ええい、邪魔者が。
奥さんに師匠の事を頼み、風の精霊に万が一の事を頼み、オレは邪魔者と相対する。
どうやら意思の疎通は可能そうだが、師匠に何か恨みでもあるのか?
《忘れぬぞ、あの者は、彼らが仲間を殺めし者》
師匠ってドラゴンスレイヤーだったの?
《少し待て、確認してくる》
《ほお、話が通じるとなると、精霊ではないな》
《我は精霊と共に在る者》
《少しだけ待ってやろう》
慌てて師匠の元に行き、その事を確かめる。
どうやらかつての宮廷魔術師の仲間がドラゴン被害の対策で現地に赴いた時、たまたま同行していた師匠の事を覚えていたらしい。
それは恐らく光の精霊と共に在ったがゆえに、特殊な存在という認識だったのだろう。
それで師匠の役割は回復要員だったらしく、たまたま欠員が出ての補填だったらしく、本人は研究三昧のところを呼び付けられて、嫌々の参加になっていたらしい。
やはり宮廷魔術師だったか。
《たまたま、我と同様の波動がゆえに覚えていただけだろう》
《だが、あの場にいたのは確かだ》
《君にとっては殺した者も見ていた者も同罪なのか》
《違うと言うのか、そのようなはずは》
《精霊と共に在る者が無碍なる事をするとでも》
《今は感じぬ。大方裏切ったのであろう》
《ああ、世界の決まり事をな。精霊と共に在りたくて、もっと親しくなりたくて、その想いを重視して世界の決まりのほうを軽く見て、罰を受けた存在だ》
《そこまでの想いをあやつらに……そのような者が我らを? ……そうか、そうであったか》
《今は故郷への道中。済まないが見逃してくれるとありがたい》
《誤解は解けた。もはや我にはその気は無い。済まなかったな》
《ああそうそう、湖の魔獣を倒してくれてありがとう》
《あれの事が何か》
《湖を渡る船も、あれが消えれば盛んになるだろう》
《あれが無意味に暴れると、我らの評判に関わるのでな》
《あれっ》
《見た目は異なるが、あれも我らと似たような存在よ》
どうやらサーペントの中でも特別な存在だったらしく、湖の鎮守が当初の目的だったのに、船を邪魔者と見たのかやたらと攻撃するようになっちまい、諌めても止まらなかったのだという。
あのままだとドラゴンへの印象も悪化する可能性もあり、はた迷惑だから止めろと言っても、やけに増長していたので仕方なく滅ぼしたのだと、少し残念そうにそう言われた。
ちなみに山脈トンネルは、開けられるものなら構わんと言っていたので、試してみる価値はある。
◇
おお、里が見えてきたな。
あれ、妙な気配を感じるが、いや、悪い気配じゃないが、何て言うのかな、戸惑い?
師匠の周囲が妙に明るく……まさか、光の精霊なのか?
ぐるぐると周囲を回っていて、少し残念そうにしているけど、それでも悪意は感じない。
師匠も相手が誰か分かったのか、手を伸ばして光を掴もうとしているが、光の才覚(-)の弊害ゆえか、意思疎通はやはり無理のようだ。
水の精霊の仲立ちで、間接通話を試みる師匠。
今回に限ってはオレの関連の精霊なので、簡易的に精霊魔法が使えるようになっている。
師匠は涙を流しながら精霊に謝り、それを慰めるように光が包む。
そうして光は師匠の元から離れ、それでも名残惜しそうにしながらも少しずつ薄くなっていく。
どうやら誤解が解けたようだ。
恐らくまた精霊魔法が使えるようになるだろうけど、また最初から修練のやり直しになるだろうとは師匠の言葉だ。
それでも精霊化を可能にすれば光の精霊との意思疎通が可能になるかも知れないと、その意欲は中々に高い。
そういう事なら里でマスターすれば良いだけなので、里の連中も協力は惜しまないだろう。
さあ、到着だ。
少しずつ気球を外していくと、師匠はゆっくりと降りていく。
実は気球用の大型拡張バッグを用意してあり、行きはそこから出したのだ。
と、言うのも使い回してやらないと帰りの師匠が困るからな。
だけども精霊化すらマスターするなら不要になる品でもある。
そうなればまたどっかの物好きに持ち掛けて、何かと交換で権利を譲ってやってもいい。
空を飛べる道具と言えば、皆欲しがるに違いない。
もっとも、精霊と共に在る者にとっては、そんなのは玩具と同じだし、子供でも精霊化のほうが良いと言うに決まっているので、里でも人気は恐らく出ない品に過ぎないのだ。
まあ、人族に譲ってもヘリウムよりは水素のほうを教えてやるつもりだからさ、もし攻撃して来るようなら火の精霊さんに遊んでもらうだけだ。
実際、ヘリウムは風の精霊に分子を理解してもらって後に、ヘリウムの分子構造を伝えて、それと同じのを集めてくれと言わないとやれないので、人族には少しばかり敷居の高い話だけど、水の電気分解のほうが話は早いので、どうしても知りたいのなら水素の気球を教えるだけだ。
そうして戦争の道具にするようなら、きっと誰かが攻撃するだろう……火の魔法で。
それでお蔵入りになる可能性が高いので、特に問題は無いと思うし、平和利用ならそれはそれで構わない。
まあそういうのは科学の領分なので、魔法主体の文明のままではきついかも知れないけど、魔法工学への進化なら人の為でもある。
そこまで進化するかどうかは知らないが、もしそういう要望があるのなら、その切欠ぐらいは与えてやろう。
かつてはその中にいた者として。
◇
気球を片付けて師匠にお茶を出していると、里長が走ってやって来る。
また何かの事件かと思ったら、里長の中では事件だったらしい。
「姉様!」
姉様?