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ワンルーム・ダイアリー

作者: sato.

目覚めたとき、なんとなく悲しい。

カーテンの向こうで待っているはずの冬は、分厚いガラスをすり抜け、女独り暮らしのワンルームを包囲し、それだけでは物足りないといったように、わたしの胸に直接流れ込んできて、なんとなく悲しい。エアコンをつければすぐに暖かくなるけれど、どうせあと30分くらいで家を出て夜まで帰らないし、と思うと、リモコンを探す気が失せて悲しい。お湯を沸かしてから粉末スープを使い切ったことに気付いて悲しい。フローリングの床は氷のようで、夜中に来ていたらしいメールは駅前の焼肉屋からで、昨日のLINEに返信はなくて、白湯を口に含んで、味なんてなくて、もう時間になって、最近ルミネで買ったパンプスまでも冷えていて悲しい。



みんなどうして、そんな平気な顔をして、生きていられるのと思う。

悲しいときに悲しいと言えないこの世界は、わたしにはどうしても生きにくくて、でもこの世界の一部になってしまった以上、それは仕方のないことだから、なんとなく悲しい朝を白湯と一緒に生ぬるく飲み込んでやりすごすしかない。学校で習ったことなんて、上手く生きていくのになにひとつ役に立たないと思うけれど、そんなようなことを激しい音楽で表現した歌い手の動画はなにひとつ響かなかった。このままわたしは、誰にも共感できず、共感されず、静かにこの世界から去るのかと、ぼんやり考えるのはあまりに悲しい。

適当に生きていると、頑張れと言われるし、頑張って生きていると、適当にと言われるし、じゃあ適当ってなんだ、頑張るってなんだ、と思っているうちにおとなになってしまった。おとなとこどもの境目がもっとはっきりすればいいと思う反面、もしそうなったならば、互いに境界の向こう側に思いを馳せるばかりで、世界と自分とが乖離してしまう気がする。

夢を追いかけたい、と思うのと同じくらい、楽に生きたい。そのことを正直に打ち明けたら、友人Aは矛盾しているといった。そうだろうか、と思う。大好きなことに近付くために生きるのだから、それは楽しいことなんじゃないか。そうであってほしいし、もし違っていても、そうだと思い込んでいたい。



「昔のほうが、夢が綺麗だったなあ」

ブラウンのネイルを見せびらかしながら友人Bが言う。いまは、お金さえ入ってくれば、大抵のことがどうでもいいんだよね。

いつから彼女は、こんなにだらしない顔をするようになってしまったのかなと、悲しく思うのはやっぱりわたしだけなんだろうか。隣では、友人Cが揚げすぎのポテトフライを摘んで揺らして遊んでいる。

高校時代を振り返るとき、友人Bは、パーマのかけすぎで随分と細く情けなくなった髪に、内側に向くよう何度も指を滑らせて、世の中のなにもかもがだるいというようにため息をつきながら、なんだかんだ、友人の誰よりも笑っていた。唇の薄い彼女は、笑うと切れて血が出ることが多く、それを誤魔化すようにかなり赤い口紅をして、よく先生に注意されていた。それでも粘り強く赤の口紅を使い続けたので、最後の方は先生の側が折れて、何も注意しなくなったのだった。

「それであんたはさ、いつまでそうやって、夢追いかけるつもりなの」

やめどきがわかるくらいなら、こんなにどうしようもない朝なんて来ないよと思う。わたしはくたくたになったフライドポテトが、抵抗なく友人Cの口の中に入っていくのを、なにか尊いものに触れるように見ていた。



せんせい、と肘に触れられた。


ああ、そういえばわたしはせんせいなのだと思い出し、せんせいには相応しくないんじゃないかと何度も考えたことまで思い出し、手の中の自信は砂のように指の合間をすり抜けこぼれ、かき集めることも叶わないままにまた生徒が、せんせい、と肘に触れる。わからない問題があったの?と声をかけながら、わからない問題を山ほど抱えたわたしに答えをもらおうとする彼女は、なんて哀れなのだろうと思う。わたしのその場しのぎの答えなんて、彼女の将来に、上手な生き方に、少しも貢献できないだろうに。


彼女がわからないと言った問題は、公式を使えばすぐに解くことができた。

何年も前に習った形が、こうしてぴたりと当てはまって誰かの助けになるのは、伏線回収をするようで気持ちが良いけれど、結局世の中は公式の使えないもので溢れかえっていることを思うと、公式を一生懸命に覚えた自分が惨めで仕方なくなる瞬間がある。全ての生徒が家に帰った教室で、生徒の評価表を書きながら、わたしは正真正銘世界にひとりきりなんじゃないかと思う瞬間がある。

でもそんなことは全くなくて、塾長が無遠慮な足音を響かせ、フローリングの床の悲鳴を無視し、わたしに早く教室を去るよう促すとき、ああ、わたしが世界にひとりきりになったわけではなくて、わたしを必要としているひとがひとりもいなくなっただけなのだとわかる。

傘をさして帰る夜はなんて孤独なのだろう。目覚めてもなんとなく悲しい朝なのだから、永遠に柔らかな眠りについていたい。ほんとうは夢なんて叶わなくてもいいから、柔らかな夜に、わたしを必要としてくれなくてもわたしを否定しないなにかに、包まれたいだけなのに。



心に余裕のないときは、本を読むといいと、友人Aが言った。

とりあえず本屋に行って、表紙の雰囲気が気に入った文庫本をいくつか手に取り、初めの10ページほど立ち読みをしてみるけれど、どうも気に入らない。プロの作家の洒落た表現はどれも、上手くいかない現実をいい具合に加工して、なるべく綺麗な形で昇華させているだけの、自己満足の塊のように思う。結局、冷えきった独り暮らしの部屋の暖房になるような小説には出会えない。いくら小説の世界が美しい表現に満ちていたとしても、わたしの世界はまるで違っているから、どこまでも他人事だ。

だからわたしは他人事ではない、誰かがそれを読んでほんとうに救われるような小説を書きたいと思った。「感動」の安っぽい言葉では表せないような、ほんとうの温度を含む小説だ。

でもわたしは、友人Aがわたしの小説家になりたいという夢を知らないように、まだその温度の閉じ込め方を知らない。



目が覚めると、やっぱり、なんとなく悲しい。

冷たいパンプスで電車に乗って、階段を降りて、不健康な感じがする灰色の分厚いドアを押し開け、教員専用の通路を抜け、控え室で髪を直し、まるで本物の先生のような顔をして生徒を出迎える。まだ眠そうにしている生徒の肩を抱き、席に座らせ、問題を解くよう指示してから、ゆっくりと思考の海に身を沈めていく。あとは、せんせい、の声がしたら、世界に戻ってくればいい。


せんせい。

せんせい、わたしね。ときどき、このせかいにひとりきりなんじゃないかとおもうときがあるんだ。


水の中から急激に引き上げられたような感じがして、汚く咳き込んでしまった。せんせいだいじょうぶ、と大きな目が覗きこんできて、ああ、この子にはこの世界の何もかもを知らないままでいてほしいと強く思う。

「わたしは大丈夫だけど、それより、この世界に、」

ひとりきり。

冷たい窓。冷たいカーテン。冷たい床。冷たい机。冷たいリモコン。冷たい食器。冷たい水。冷たいスーツ。冷たいパンプス。冷たいドア。冷たい朝。

この世界に、ひとりきり。

言葉と彼女の大きな目とが結びつかないで、教室の空気のなかでふわふわと揺れている。ひとりきり。そんな悲しいことを言わないでと、言いたいのに、この喉さえ、冷たい。どこにいけば、わたしたちは、幸せになれるんだろう。

「せんせい、わたし、いえにいるのに、ぜんぜん、ひとりなの」

ぜんぜん、ひとり。そういえばわたしだって、いえにいるのに、ぜんぜんひとりだ。

彼女の右手には、いつのまにか塾長から渡されたらしい、テストの結果が握られていた。わたしが教えている算数の欄に目を走らせると、49点、の文字の下に、もう少しがんばりましょう、と誰かの言葉が書いてあった。

「なんで、お母さんの子どもが、わたしだったんだろうって」

大学受験のとき、メッセージ入りのキットカットをたくさんもらったけれど、頑張れなんて、誰にでも言える。でもほんとうに辛かったとき、誰も隣にいてはくれなかった。

「ずっとおもってたけど、とうとう、おかあさんにも、いわれちゃったな」

言葉なんて、たかが知れている。でもわたしたちは言葉しか、分かりあう方法がないというのだから、なんと不器用な生き物なのだろう。たかが知れているといいながら、わたしたちの感情は言葉に支配され、酸いも甘いも無理矢理に味わわされ、無惨に傷つけられることだってある。

「わたし、頑張ってるのになあ」

とうとう、彼女はわたしにも分からない問題にぶちあたってしまったみたいだ。



「そんなの、だっておかしいじゃん。なんでその子がそんなに責められなくちゃいけないの。テストで悪い点をとったって、死ぬわけじゃあるまいし」

友人Bは、とても怒っていた。

「そんなにいい学校に入ることが重要なの?それって結局親のエゴじゃん、そんなの、やっぱりすごくおかしいよ」

背中に物差しを入れられたようだった。圧倒的な正しさを前にすると、わたしは情けないほど硬直してしまって、正しいことを正しいといえないときが確かに存在することを、うまく言えなくなってしまう。

「それで、あんた、何て言ったの」



わたしは、泣いてしまったのだ。

どうして、こんなにも一生懸命に生きているひとが、当たり前に頑張っているひとが、まるで報われないで、テレビでは「努力は必ず実る!」なんて無責任な言葉が輝いて、空気のように軽い「頑張れ!」が行き来して、ほんとうにどうやって、どうやって生きるのが正解なのか、この年になっても、もしかしたら永遠に分からないままなんて、そんなの、そんなの。

あなたの親は間違っているよ、だいじょうぶ、と言ったところで、彼女はどこまでいってもその親の子どもでしかないのだ。

「だいじょうぶだよ、せんせい、だいじょうぶ」

涙がテストの結果の上に落ちても、文字が滲んで消えることはない。

「また、つぎは、頑張るよ」

どうしてそんなに前向きでいられるの。どうして諦めずにいられるの。と聞きかけて、冷たい部屋で必死にパソコンを打つ自分の姿が重なった。


ねえ、やっぱりさ、わたしたち、可哀想だよ。でもね、わたしがせんせいとして、もしもあなたに教えてあげられることがあるとするならば。

つらいときにしか、ほんとうにいい文章は書けないの。


「あんたさ、小説家になりたいっていうけどさ、ぜんぜん、自分の思ってること言葉にしないじゃない。そんなんで、いい文章なんて書けるの?」

いいや、書けない。いまのわたしは未熟だから、まだ、言葉を使って言葉以上の何かを描くことなんてできない。でも、こうやって苦しんでいる時間は、なんとなく、なんとなく降り積もって、雪の結晶のように、いつかとても綺麗な形になって誰かのもとに届くのではないかと思ってしまうのだ。夢物語だと笑われるだろうか。それでもいい。


「せんせいは、頑張れっていわないから、安心する」

生徒がくしゃりと握りつぶした成績表の上に、彼女の涙が落ちた。わたしはその雫が、どうかどうか彼女の成長の糧となるように、恵みの雨となるように、目を閉じて祈った。久しぶりに、ほんとうに生きているような気がする朝だった。

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