貴族転生2
コンコンコンコンコン!!
部屋の扉が激しく何度もノックされる。
しかし、いくらノックされても現実逃避中の俺には無意味で、その音はまったく耳に入らない。
すると痺れを切らしたノックの主は、バーンと豪快に部屋の扉を開けて部屋に入ってきた。
「サブロー、準備はまだ終わってないのか!」
そのデリカシーのない行動に、俺は急に現実に引き戻される。
ボーっと床を見つめていたが、ゆっくりと顔を上げ、扉の前に立っている人物を見た。
その人物は真っ白い鎧に包まれた、体格のいいゴブリンだった。
さっき会ったゴブリンとは、明らかに別のゴブリン。
ノックに対して俺が返事をしなかったことに、いらだっている様子だ。
でも、部屋の隅に縮こまって体育座りをしている俺を見て、わずかに表情が緩む。
「おびえているのか? 確かにおまえにとっては初めての任務だからな。兄さんだって、最初は怖かったさ。だが、おまえが直接冒険者と戦うわけじゃない。見張りをすればいいだけだ」
そうか、このゴブリンは俺の兄さんだったのか。
せっかく助言してもらってありがたいが、俺がおびえている理由はまったく別なんだよ。
「……」
俺は震えたままで何も答えない。
そんな俺を見かねたのか、ウィンドウは俺の頭の中で何度も話しかける。
「サブローさん、返事したほうがいいんじゃないの?」
「おーい、大丈夫ですかー?」
「無視はいけないんだよ。ねえ、聞いてる?」
「……」
「もう、いい加減にして! そっちがその気なら、私にも考えがあるんだからね!」
それでも俺は返事をしない。
するとウィンドウは「無視するな! ヽ(`Д´#)ノ」と言って、ウィンドウ画面の枠で俺の腹部を殴ってきた。
「ぐふっ!」
腹部の痛みに思わず声を漏らし、数秒くらいの間、意識が飛んだ気がした。
でもそのおかげなのか、頭のモヤモヤがすっきりとする。
『――痛ッ。いきなり、みぞおちへのボディーブローは反則ですよ……』
俺は頭の中でウィンドウに話しかける。
しかしウィンドウは怒っているのか、何も答えてくれなかった。
ところで、なぜウィンドウ画面が俺を攻撃できるんだ?
普通は俺の体に触れられないはずだろ……
そう思いつつ腹を押さえてうずくまっていると、事情を知らないゴブリン兄さんは俺を見て、心配そうな顔で話しかけてきた。
「どうした、緊張して腹でも痛いのか?」
おっと、まずはこの状況を乗り切ることが優先だ。
行き当たりばったりだが、やるしかない。
なに、社会人のときも口だけは達者だったし、なんとかなるさ。
――よし、やるぞ!
俺は息をフーっと吐き、気合を入れる。
そして、頼りないゴブリンを演じ始めた。
「返事をしなくてごめんね、兄さん。不安で押しつぶされそうだったから……」
「やはりそうだったか。でも大丈夫だ。おまえには一番安全な南側の見張りをやってもらうからな。先のほうに行けば崖だし、冒険者たちも、そっち側からやってくることはないだろう」
このゴブリン兄さん、顔に似合わず弟思いのようだ。
この際これを利用して、いろいろ質問しておいて損はないだろう。
「見張りって、具体的に何をすればいいの?」
「そりゃ、隠れて見張っているだけさ。そして怪しいヤツを見つけたら、そこの机の上に置いてある笛を吹けばいい」
「でも笛を吹くと相手に気づかれるから、危ないよね?」
「学校で習わなかったのか? この笛の音は人間には聞こえないって。だから思いっきり吹いても大丈夫だぞ」
「あっ、そうだった。すっかり忘れていたよ」
俺は机の上に置いてある笛を手に取る。
そして、試しに口に当てて強く息を吹きかけた。
ピィーーー!
部屋の中に笛の甲高い音が鳴り響く。
――へえ、これが人間には聞こえない音なのか。
ゴブリンの姿をしている俺にはハッキリと聞こえた。
これなら遠くからでも聞こえるだろう。
そう考えていると、急に部屋の外が騒がしくなる。
そして俺の頭にゲンコツが飛んできた。
「おい、バカ! 何を全力で吹いているんだ!」
ゴブリン兄さんは慌てて俺から笛を取り上げると、「ピッピッピッ」と短く刻んで笛を吹いた。
その途端、騒がしかった部屋の外が静かになっていく。
「ごめんなさい。うっかり強く吹いちゃった」
よく考えると、当然の結果だ。
冒険者を発見した合図なのだから。
俺は頭を下げて謝った。
「まったくもう、気をつけろよ。練習するなら小さな音にしておけ」
「はーい。そうだ、ほかの合図も確認しておきたいんだけど、吹き方を教えてもらえないかな?」
上目を使い、俺は遠慮がちにお願いする。
お願いされたゴブリン兄さんは、一瞬困った顔をした。
そりゃ、今さらの話だからだ。
「仕方がないな…‥。まあ、いいだろう」
弟思いどころか、甘々だ。
まあ、おかげで助かったけど。
ちなみに、笛の鳴らし方はどれも単純だったので、覚えるのは一回聞けば十分だった。
「さて、あまり皆を待たせるのも悪いな。サブロー、そろそろ外に向かうぞ」
「はい、わかりました!」
姿勢を正し、俺は元気いっぱい返事をする。
ゴブリン兄さんはその返事に満足したようで、白い歯を見せて笑いながら部屋を出た。
俺もそれに続いて部屋を出て、後を追いかける。
部屋の外に出ると、通路はゴツゴツした岩がむきだしになっていた。
今まで気づかなかったが、どうやらここは洞窟の中のようだ。
かなり大きな洞窟で、ここにいったいどれぐらいのゴブリンが住んでいるのか、とてもじゃないが見当がつかない。
その後しばらく歩き、途中でトイレに立ち寄ることになる。
ゴブリン兄さんが、緊張している俺に気を利かせてくれたらしい。
緊張していてトイレに行きたいと思っていたので、ちょうどよかった。
そんな訳で、トイレで用を済ませてから一緒に洞窟の外に出た。
「イチロー兄さん、サブローは大丈夫だったかい?」
洞窟から出ると、そこには真っ黒なローブを着たゴブリンが待っていて、心配そうに声を掛けてきた。
「待たせたな、ジロー。どうやら緊張からの腹痛だったらしい」
「やはりか! だから腹痛いなぁに三千点って言ったのさ」
どうやらこの変な言動のゴブリンが、ジロー兄さんらしい。
そうすると、白い鎧のほうがイチロー兄さんか。
「集合に遅れてごめんなさい」
とりあえず俺は謝った。
おそらくジロー兄さんも心配していたはずだ。
「気にするな」
ジロー兄さんはポンっと俺の頭に手を乗せ、軽く撫でた。
よかった、どうやらジロー兄さんとの関係も良好らしい。
俺は謝罪を終えて、改めて周囲を見渡す。
洞窟の外は木の柵がめぐらされていて、ちょっとした要塞になっていた。
中央の広場にはゴブリンたちが三十人ずつのグループで集まっていて、それぞれグループごとに打ち合わせを行っているようだ。
――そういえば、イチロー兄さんは?
イチロー兄さんの鎧は目立つので、すぐに見つかった。
ほかのグループと同じく、三十人ぐらいのゴブリンたちがイチロー兄さんを中心にして集まっている。
俺はそこに近づき、話に耳を傾ける。
どうやら、見張る場所の割り当てをやっているようだ。
話が終わると指示を受けたゴブリンたちは外を目指して歩き出し、イチロー兄さんだけが、こちらに近づいてきた。
「さて、サブローの見張るところだが、ここから南のほうへ真っすぐ進むと、スライムが群棲している場所がある。そこがおまえの持ち場だ」
「わかりました。でも、スライムって危険じゃないの?」
ゲームでのスライムは雑魚キャラの鉄板だが、ここの世界でも同じ扱いかはわからない。
だから俺は慎重を期するために質問してみた。
「こちらから攻撃しないと襲ってこないさ。それにこの辺りには、おまえでも倒せるくらいの弱いスライムしかいないさ」
「そうなんだね。安心したよ、イチロー兄さん」
「どうせお前の持ち場は暇だろうから、スライムを倒して少しでも戦闘に慣れておいたほうがいいぞ。おまえは臆病だし、もっと実践を学ぶ必要があるからな」
「そ、そうだね。なんとか頑張ってみるよ」
「しかしなんだ、本当に今日はどうした? いつも以上に臆病じゃないか。顔は俺たち兄弟の中で一番のイケメンなんだから、もっと堂々としたほうがいいぞ。そうすりゃ女にモテモテだ。ワハハハハ!」
イチロー兄さんはそう言うと、俺の背中をバシバシと叩く。
どうやら俺の緊張をほぐそうとしているようだ。
正直ちょっとありがたい。
それも一段落すると、イチロー兄さんは急に真剣な顔になった。
「では行ってくる」
そう言い残して、イチロー兄さんは俺の持ち場とは反対の北のほうへと歩き出す。
俺はその背中に手を振って見送った。
――よし、俺もそろそろ行くか。
兄さんの姿も視界から見えなくなり、俺は重い足取りで持ち場を目指し歩き出した。
その途中、一人きりで寂しかった俺はウィンドウに話しかけてみる。
「そろそろ話しませんか?」
「……」
「もしかして、まだ怒っています? 無視していたわけではないので、そろそろ許してもらえませんか?」
「……」
「ほんと、ごめんなさい。無視されるのはつらいので、勘弁してください。なんでも一つだけ言うことを聞きますから……」
それでもウィンドウからの反応はない。
俺が無視していたことに対する、仕返しだろうか。
その後も目的地に到着するまで、いろいろとウィンドウの機嫌を取ってみた。
だが、結局は返事がないまま目的地に到着したのだった。