大浴場で大欲情
残されている時間は十秒ちょい。俺は湯船に向かって走る。
なぜなら走り幅跳びみたいにジャンプして、湯船に飛び込もうと思ったからだ。
でも、全速力で走っているわけじゃない。湯船までの距離が五メートルくらいしかなかったというのもあるが、床が濡れているので、速く走ると滑って転びそうだったからだ。
そういうわけで走り方は、かなりゆっくり。リズムを重視して、踏み切るタイミングを考えながら走っている。
そろそろ踏み切り位置。
大きな石に囲まれた湯船――岩風呂の縁にある石を最後の一歩で踏み切り、声を上げながらジャンプする。
「とりゃー!」
傍から見ると、自ら死地に向かうような行為。なのに、なぜフローシアがいる湯船のほうへ行こうとしているのか?
それは視界を妨げていた湯気が消え去った今、洗い場にいると確実に見つかってしまうからだ。そこで湯船の真ん中付近にある、大きな石の後ろに隠れることにしたってわけ。
ただし大きな石といっても、水面上に見えている部分はほんのわずか。肩付近までお湯に浸かっていないと、体がはみ出してしまうくらいの大きさしかない。
ゆえに、本当にイチかバチかだ。
バシャーン!
足からお湯の中に落ち、水しぶきが高く上がる――と同時に、それに負けないくらいの高さで、俺は反射的に跳び上がった。
「うわぁあああぁ! あっちぃぃー!」
俺は思わず叫び声を上げてしまうと、再びドボンとお湯の中に落ちた。
「あーちゃちゃちゃちゃっ! なんだこの風呂は!? 熱すぎるだろ!!!」
尋常じゃない温度だ。かけ湯をせずに飛び込んだとはいえ、熱湯が好きな俺が、今すぐ風呂から上がりたいと思うのだから。
俺はその場で足踏みしながら耐える。
だが、タイムリミットが刻々と迫ってきていた。
「……ヤバい、早く潜らなきゃ時間切れになる」
湯船の中に飛び込んだあとは、目的の場所まで潜っていくつもりでいた。お湯が透明ではなく乳白色の色をしているので、潜ってしまえばタイムリミットを過ぎても見つからないと思ったからだ。
ところがどっこい、このお湯の温度はさすがに想定外。
でも、やるしかない!
「南無三!」
俺は意を決して、一気に肩までお湯に浸かる。
「ぬぉぉぉぉぉぉっ!!」
昔テレビでやっていた、熱湯コ○ーシャルの出演者の気分を味わう俺。
残り一秒。
目を閉じて大きく息を吸い込む。そして息を止め、一気にお湯の中に潜った。
――ぎりぎりセーフ。
でも、本当にヤバかった。下手すりゃ、これまでの努力が水の泡になっていたところだぞ、熱湯だけに。
……っと、ボヤいている場合じゃなかったな。隠れようと思っている石のところまで五メートルもないはずだ。早く泳ごう。
俺はフローシアに気づかれないように、潜ったまま慎重に泳ぎ始める。
だが、熱いお湯に潜っているせいだろうか、進むにつれて、だんだんと意識がもうろうとなっていった。
かなりマズい状況。
さすがに、もう限界――。
そう思ったとき、水をかき分けていた手が何かに触れたので、俺は音が立たないよう慎重に水面から顔を出した。
潜ったときから閉じていたまぶたを、俺は少しずつ開けていく。すると暗闇に包まれていた世界が、すべて灰色に変わった。
理由は単純である。目の前に石があって、それ以外は何も視界に入らない状況だったからだ。
よし、ちゃんとたどり着けたようだな。
でもよかった。目を開けたときに、目の前にフローシアがいなくて。漫画とかだと、よくある展開だからね。
――おっと、いかんいかん。そんなことより、この石の反対側にフローシアがいるはずだが、気づかれていないよな?
俺は耳をすまし、周囲の様子を探る。
すると、聞こえてきたのはジョロジョロと湯口から注がれるお湯の音だけだった。
ちなみにオルタナの笑い声はというと、いつの間にか聞こえなくなっていた。あれだけ大笑いしていたんだ。笑いをこらえているとは思えないし、もうこの場にいないと思ってよさそうだ。
で、フローシアについてだけど、今のところなんの気配も感じ取れない。しかし、まだ時間が止まったままだということはないだろう。ということは、のんびりとお湯に浸かっているに違いない。
「ふぅ、よかった……。俺がいるのには気づいていないみたいだ」
そう小声で呟くと、安心しきった俺は、横を向きながら石にもたれかかった。
――と同時に、俺は面食らって声が出る。
「えっ!?」
予想外の出来事。なんと視線の先――四メートルくらい離れた場所にフローシアがいて、ポカンとした表情でこちらを見つめていたのだ。
あわてて俺は周りを見る。
するとフローシアの今いる位置が、オルタナがいたときと少しも変わっていないことに気づいた。
「オーマイガー……」
なんてことだ。まさか、真っ直ぐ泳げていなかったのか?
そういえば泳いでいたとき、最後のほうは意識を失いかけていたからなぁ……。
考え込んでいると、正面からフローシアの声。
「へえー、のぞきかい。こりゃ感心できないね」
視線をフローシアに戻すと、いつの間にかフローシアは、俺との距離を詰めていた。
水面にいくつも小さな波紋が広がる。フローシアが握りこぶしを作り、わなわなと震わせているせいだ。
怒っているのは明らか。
やべっ、弁解しないと。
「ち、違うんです。これには深い理由がありまして――」
「そりゃそうだろうね。のぞきが目的なんていう、不快な理由があるんだから」
うまい! ――って感心している場合じゃない!
俺はフローシアを真剣な目で見る。
「そういう意味じゃありませんって! 今の私にスケベ心なんて少しもありません。だって、やっと仲直りできそうなときに、よこしまなことをするはずないじゃないですか!」
「ふーん、そう言うんなら、ひとつ教えちゃくれないかい? あんたが風呂場に入ってきたときに、扉の音をたてずに入ってきた理由とやらをね。のぞくつもりがないのなら、私に気づかれないように入ってこなくてもよかったはずだよ」
そりゃ気づくはずがない。だって、さっきまで時間を止められていたんだから。
問題はそれを伝えたとして、信じてくれるかどうかだ。
「それについても、ちゃんと説明できます。ただ、にわかには信じがたい話をしないといけませんが……」
「信じがたい話? まさかとは思うけど、音がしなかったのは怪奇現象だったとか言い出すんじゃないだろうね。いやだよ、私はお化けの話が嫌いなんだから」
「いいえ、安心してください。幽霊とかのせいではありませんから。そう、すべては――」
俺は右手を肩の高さまで持ち上げると、人差し指をピンと立てながら言う。
「プラズマのせいなんです!」
フローシアは、きょとんとした表情をする。
「へっ? プラズマ? なんだい、プラズマって?」
「あれっ? プラズマって聞いたことありませんか? たいていの怪奇現象は、プラズマの仕業ってことで説明ができるんですけど……って、違う違う! いつの間にか、違うこと説明しているよ俺」
あわてて言い直す。
「すみません。さっきのは間違えで、時間魔法のせいでした」
それを聞いたフローシアの表情が一変する。
「なっ! 痴漢魔法だって!? のぞきじゃなくて、痴漢するのが理由だったっていうのかい! 殺すよあんた!」
ある意味ではそうとも言える魔法だが、そうじゃないって!
俺は即ツッコむ。
「んな魔法があるわけないでしょ! 痴漢魔法じゃなくて時間魔法です! その魔法のせいでフローシアさんの時間が止まっていたんですよ」
「そんなバカげた言い訳するんじゃないよ! 時間を止める魔法なんてものが、あってたまるかい!」
「ですよねー、普通はそう思いますよねー」
「ほら、やっぱりそうじゃ――」
俺は正面に腕を伸ばし、手のひらを広げてフローシアの話をさえぎる。
「いいえ、本当にあるんです! だからフローシアさんには、俺が扉を開けたときの音が聞こえなかったんですよ。それに言っておきますが、俺は服を脱ぐ前に大浴場の外から声をかけて、人がいないか確かめています。混浴だから不要なのかもしれませんが、念のためにやったんですよ」
完璧な説明。
頼む、信じてくれ!
「それじゃ、時間を止めてから私に声をかけたってことなのかい? バカじゃないの、あんた」
「勘違いしないでください。俺は魔法を使えません。やったのは別のヤツで、俺――じゃなくて、私はハメられたんですから」
「別のヤツねぇ……。なら、どこにいるんだい、その別のヤツってのは?」
そう言いながらフローシアは周囲を軽く見回したが、見つかるはずもなく、すぐに疑いの眼差しを俺に向けた。
「それがそのー、もうここにはいません……」
「ふーん、そりゃ残念だねぇ。まあ、どうせそんなヤツなんていなかったんだろうけどね」
俺は反論する。
「いいえ、いました!」
それを聞いたフローシアは、「はぁ……」と深くため息をついた。
どうやら俺がウソをついたと、素直に認めると思っていたようだ。
「そこまで言うんだったら、そいつの背格好や顔の特徴なんかを言ってみな。もし何者かわかっているんなら、それも含めてね」
当然の流れ。
だけど、それについて答えるのは無理だ。だって俺はオルタナの姿を見ていない――というより、ヤツは姿かたちを持っていないみたいだから答えようがない。
じゃあ何者なのか?
そんなの俺が聞きたいぐらいだ。
くそー、わかるのは名前くらいか……。
「すみません。ヤツと会話はしましたが、姿は見ていません。でも名前は聞いたのでわかります」
「なんだい、わかるのは名前だけかい。ますますウソ臭い話だねぇ」
フローシアは呆れた顔をした。
そしてその表情のまま、話を続ける。
「それで、名前は? 一応聞いといてやるよ」
「はい、オルタナと名乗っていました」
「――オルタナだって!」
フローシアがすぐに反応した。めちゃくちゃ驚いた表情をしている。
「まさか、オルタナを知っているんですか!?」
ビックリした俺は、身を乗り出して尋ねた。
すると、驚いていたフローシアの表情が普通に戻る。
「いや、知らないよ?」
予想外の返答。
俺は思わず「ズコー」と後頭部からズッコケた。
それを見てフローシアがプッっと吹き出す。そして、ケラケラと笑い出した。
「いやー、悪い悪い。まあ知らないといっても、忘れている可能性もあるんだけどね」
そりゃ人は忘れる生き物だから、確かにその可能性はあるだろう。
けれど、もし過去にオルタナと出会っていて、その名前を聞いていたとしたら、その可能性はない。姿かたちを持たず、声だけの存在の名前なんて、忘れるはずがないだろうし。
――結論。おちょくられた以外の何ものでもない。
「もう、からかわないでくださいよ!」
「だから悪いって。そんなことより、ほかに知っていることはないのかい? 名前だけ聞かされても、あんたの話が本当だってことにはならないよ」
まあ確かに。名前なんて思いつきで言えるからね。
ということは、フローシアに関係がありそうな話をしないとダメってことか。それ以外の話をしたって、どうせ信じてくれないだろうから。
うーん、関係ありそうな話か……。
「……そういえば、ヤツの目的――いや盗もうとしていたものなら、わかります!」
どういった目的があったのかは、結局わからずじまい。
でも、盗もうとしていたものならわかる。
「ほー、言ってみな」
フローシアの目つきが、急に鋭くなった。
それを見た俺は、ゴクリと生唾を飲み込んでから口を開く。
「まず最初にそれを知っている理由ですが、ヤツが私に盗みをさせようとしていたからです。もし従わなければフローシアさんの止まっている時間を動かして、何も知らずに風呂に入ろうとしていた私を、のぞき魔に仕立て上げると脅して……」
「なるほど。断ったから、今の状況になったと言いたいんだね」
俺は「はい」と言って頷く。
「それで肝心のオルタナが狙っていたものですが、フローシアさんの剣と鎧を盗むように言われました」
そう答えたのと同時に、水面が大きく波打つ。
フローシアがその場で勢いよく立ち上がったからだ。
「なんだって!」
フローシアは驚いている。
俺も驚いている。
まさか、いきなり立ち上がるとは思わなかったし。
一瞬フローシアが、あわれもない姿をしているように見えた。
だけど、ちゃんと体にタオルが巻かれているから、ひと安心――って、タオルが肌にベターっと張り付いていて、逆にとんでもなくエロいんですけど!!
白いタオルに薄っすらと透けて見える肌の色。胸の谷間から続く、その先のおっぱいの形がくっきりと浮かび上がっていた。
それ故に、見入ってしまう俺。
だけど途中でハッとなった。
くぅー、このままずっと見続けていたいが、やはり命は惜しい。ここは仕方がない。恥ずかしい格好をしていますよって伝えよう。
俺は親切心でフローシアに声をかける。
「もっと、もっと、見ていたい――」
無意識に出た言葉だった。
うっかり願望が口に出てしまったことに、すぐに気づく。
「あっ、まずっ……」
あわてて言い直す。
「ちょっと、ちょっと、見えちゃいますよ、フローシアさん!」
そう言うと俺は、怒られるんじゃないかと内心びくびくしながら、顔を横に背けた。
少し間があって、フローシアが返事をする。
「……ああ、そうだったね」
なんとも気の抜けた返事。
考えごとをしていたようで、俺のさっきのヤバすぎるセリフは聞こえていなかったようだ。
やったラッキー! ビンタのひとつくらいは覚悟していたのに、助かった!
小さく揺らいでいたお湯の水面が、大きく揺らいだ。
フローシアが再びお湯に浸かろうとしているからだろう。
でも勘違いだったら困るし、もう少し待ってからフローシアのほうに顔を向けよう。
そう思っていると、急にブクブクという変な音が聞こえてきた。
なんだ、この音?
気になった俺は、いてもたってもいられなかった。
きっとお湯に浸かり終えているはず――という希望的観測のもと、俺はゆっくりとフローシアのいるほうに顔を向ける。
結果は読みどおり。しかも、音の正体も判明。
なんてことはない、フローシアがお湯の中に口をつけて、空気の泡をブクブクさせている音だった。
まだ考え込んでいるみたいだな。
でも、まあいいや。気にせずに話を続けよう。
「それで、さっきの話の続きなんですが、剣と鎧が単純に欲しいってわけではないみたいでしたよ?」
ブクブクといっていた音が急に止まった。
音の発生源であるフローシアの口が、お湯の中からゆっくりと現れる。
「……根拠は?」
「えっと、盗み終えたら、近くにある底なし沼に捨てるように指示されましたので。だから、間違いないと思います」
これ以上ない根拠。もし手に入れるのが目的であれば、そんなことは言わないはずだ。
フローシアは俺の話を聞いて険しい表情を浮かべると、後ろを振り返って彼女の鎧が置いてあるほうを見つめた。
「ということは、やっぱり私の鎧の秘密を知っているヤツみたいだね……」
気になる発言。
「秘密? その変な――いや、後ろ半分がない鎧を着ているのって、貧乏で買い替えるお金がないからだと思っていましたが、違うんですか?」
以前の話になるけど、フローシアと一緒にいた仲間の二人が、確かそんなことを言っていたはずだ。実は、違う理由だったのか?
「ちっ、余計なことをしゃべっちまったね」
あいたたた、触れられたくない話だったか。
くそっ、気まずくなる前に、これだけは言っておかないと。
「言っておきますが、俺のせいじゃないですからね。フローシアさんが勝手に自爆したんですから」
責任回避。だって俺は悪くない。
「そんなことは、わかってるよ。でも、この際だ。秘密の一部を、あんたには話しておこうかね」
えっ!? なぜそうなる!?
嫌な予感しかしない。聞いてしまったが最後、厄介事に巻き込まれそうな気がするんだけど……。
「ちょっと、やめてくださいよ! 秘密にしていたのなら、そのまま秘密にしておきましょうよ。ねっ?」
「おだまり! いいからお聞き!」
くそー、俺に拒否権はなかったか。
「わかりましたよ。聞けばいいんでしょ……」
俺は不貞腐れ気味に返事した。
しかし、フローシアはそれを気にした様子はなく、冷静な表情で話し始める。
「私の鎧はちょっと変わっていてね、一日のうち二時間以上脱いでしまうと、鎧が持つ『ある特殊な効果』の恩恵が、二度と受けられなくなっちまうのさ」
その話を聞いてピンとくることがあった。
――で、思わず反応してしまう。
「あー、だからオルタナは、手の届かない場所に捨ててこいと命令したのか……」
「たぶん、そういうことだろうね」
それで納得がいった。なぜフローシアは大浴場にわざわざ着替えを持ってきていたのか。それは、鎧が盗まれないように、脱いだときは常に目の届く場所に置いておくためだったに違いない。
おまけに鎧を脱いでいられるのは、一日のうち二時間だけだ。もし一分一秒を争う場合に近くに置いていなかったら、着るのが間に合わないからというのもあるだろう。
……ん? そういえば時間制限があるっていうのに、こうも悠長に話していていいのか?
「あのー、話はまだ続くんでしょうけど、とりあえず鎧を着てもらえませんか? オルタナと話していた時間は二十分ぐらいでしたけど、どれぐらい前から時間を止められていたかはわかりませんので」
オルタナの口ぶりからすると、おそらくまだ大丈夫なはずだ。よっぽどフローシアが長風呂していない限りだけど。
「ああ、そうだね。念のため、そうさせてもらうよ」
どうやら、少しは俺の言ったことを信じてもらえているようだ。もし、まったく信用してくれてないのであれば、こうは言わないだろう。
「それじゃ着替え終えるまで、後ろを向いていますね」
「ああ、そうしてくれると助かるよ」
その返事を聞き、俺はすぐに後ろを向いた。
するとすぐにフローシアがその場で立ち上がる音がして、洗い場のほうへお湯をかき分けて遠ざかっていく音が聞こえてきた。
俺は後ろを向いたまま話す。
「ところで話は戻りますが、その鎧にはどんな効果が――」
と、口にしたところで思いとどまる。
「いや、やっぱりいいです」
さっき「ある特殊な効果」と言っただけで効果を明言しなかったのは、きっと秘密にしておきたいからなんだろう。
「聞かなくていいのかい?」
「はい、私にとって、さほど重要ではありませんし、それに教える気はないんでしょ?」
「まあね。教えない限り、盗まれる心配をしなくて済むからね」
その言葉が意味するところを理解する。
「なるほど。どんな効果を持つかわからなければ、盗んだところで無用の長物。盗む意味がないというわけですか」
「正解、そのとおりさ」
「確かに理にかなっています。ただ言わせてもらえれば、効果を知ったとしてもそんな変ちくりんな鎧、私は欲しくありませんけどね」
「コラッ! 変ちくりん言うんじゃないよ!」
「あっ、すみません……」
俺は素直に謝った。
「それでも一応、あんたが少しでも変な気を起こさないように、この鎧が持つ最大の欠点を教えておくよ」
「えっ!? 脱いでいられる時間以外にも、まだあるんですか!?」
「ああ、それがなんなのか聞けば、絶対に手に入れたいと思わなくなるはずだよ」
「なるほど、そういうことなら聞いておきます。それで、どんな欠点なんですか?」
そう尋ねたのだがフローシアはすぐに答えず、少し間があいた。
「……それがね、そのー……下着…………よ」
ようやくフローシアの声が聞こえてきたのだが、とても小さな声だった。フローシアに背を向けていることもあり、まったく聞き取れない。
「えっ? なんですって?」
俺は思わず聞き返した。
すると、またしても少し間があいてから声が聞こえてくる。
「……えっと、……か下着…………ダメなんだよ」
さっきよりも少し声が大きくなったが、まだ全部を聞き取れない。
イラっとした俺は、思わずフローシアがいるほうを振り返る。
「だから聞こえませんって!」
かなり強い口調。
振り返った先には、真っ白な鎧をすでに身に着け終えていたフローシアがいた。
思いっきり目が合う。
「あー、もうっ! 裸か下着じゃないとダメなんだよ! この鎧を着るためにはね!」
フローシアはそう叫ぶと、顔を真っ赤にして下を向いた。
「えっ!? 鎧の下が下着なのって、それが理由だったんですか!? もっと恥ずかしい理由があるのかと……」
俺はその事実に、驚きを隠せない。
驚きのあまり呆然としていると、フローシアがゆっくりと顔を上げた。
さっきと変わらない真っ赤な顔。
でも、さっきとは何かが違う。例えるなら、下を向くまではリンゴのような赤色だったのに、今はマグマのような赤色をしているような……。
俺はフローシアに、恐ろしげな表情で睨まれる。
「恥ずかしい理由ってあんた……まさか私に露出癖があるとでも思っていたわけじゃないだろうね?」
実は少しだけ……。いくら貧乏だとはいえ服が買えないってことはないだろうし、マントをめくったらパンツが見えるなんて、まるでスカートめくりをしてくれと言っているようなもの。だから、心の中で喜んでいる可能性もあるんじゃないかと思っていました。
しかし、そんなこと口が裂けても言えないので、手のひらと顔を左右に振りながら否定する。
「いいえ、滅相もありません」
そう答えたあと、すぐフローシアに尋ねる。
「だけど、どうして鎧の後ろ半分がないんですか?」
鎧の下に、なぜ下着を着ているのかはわかった。だからこそ、どうしてもその理由が気になる。
フローシアは手のひらを上に向けて肩の高さまで上げると、肩をすくめた。
「さあ?」
なんで知らないんだよ! ――って、たぶん違うな。
「あー、もしかして最初からなかったんですか?」
それなら知らないはずだ。手に入れたときから、なかったわけだから。
フローシアは、あっけらかんとした表情で言う。
「さあ、どうだろう?」
ちょっと待てぇー! 答える気ないんかい!
でも、まあいいや。本題はそこじゃない。
「……もういいです。なんにせよ、とりあえず鎧を修理しましょうよ。鎧の後ろの部分だけ作ってもらえば、恥ずかしい思いをせずに済みますし」
普段はマントで後ろ側を隠しているのだから、違う素材で作ったとしても目立たないはずだ。問題があるとすれば費用の面。オーダーメイドだから多少高くつくかもしれない。
でも、俺が譲った宝石――ゴブリンスターが高く売れるみたいなことを言っていたから、なんとかなるだろう。
「それは無理だね。鎧が持つ効果が失われちまうよ」
「えっ、ダメなんですか?」
フローシアが無言で頷く。
「鎧が持つ効果を失わずに後ろを隠せるのは、この専用のマントしかないのさ」
フローシアはそう言うと、脱衣かごの中にあったマントを持ち上げ、俺の前に広げた。
色は漆黒。大きさはマントにしては小さい部類。フローシアが羽織ったのを何度か見たが、ミニスカートよりもちょっと長い丈しかない。それでも、よっぽどのことがない限り下着は見えなかったんだから、あるだけマシなんだろうけど。
「なるほど、いろいろと制約があるのか……。だけど本当にフローシアさんの言っていたとおりでしたね。その鎧、死んでも欲しくなくなりましたから」
もちろん本心。
「そう思ってくれたなら、恥ずかしかったけど言ってよかったよ」
フローシアはホッとした表情をした。
そういえば、もう一つ聞きたいことがあった。聞いておかないとモヤモヤしそうだから、聞いておくか。
「ちなみになんですが、鎧の下は下着だけで寒くないんですか?」
興味本位。
「聞くと思ったよ。安心しな、不思議なことに冬場でも寒くないよ」
やっぱり。そうじゃないと寒い日は外に出られないからね。おそらくは、寒さを感じない効果も付与されているんだろうな。
「わかりました。話は変わりますが、あの折れた剣のほうは、どんな秘密が?」
最初は厄介事に巻き込まれると思って聞きたくなかったけど、鎧の秘密についていろいろと聞かされてしまったからには、もういっしょだ。この際だから聞いてしまおう。
フローシアが考え込む。
「んー、秘密ねぇー…………たぶん、ないね」
「えっ!? じゃあ、なんで折れた剣なんて使っているんですか!? 鎧と同じく、何か理由があって使っているんでしょ?」
「理由なんてないよ。ゴブリンが倒せれば、なんでもいいんだから」
「えー、でも、なんかこう、少しくらいはあるでしょ?」
「うーん……強いて言えば、刃こぼれしないってことだろうね。買い換える必要がないし」
それが理由? オルタナが捨てろと言うくらいだから、もっとほかに何かあると思うんだけど……。
「とりあえず、わかりました。そういえば、剣はここに持ってきていませんよね? なぜです?」
「そりゃ、鎧と違って非常識だからに決まってるよ。あんたは風呂場に武器を持ち込まれて、ゆっくりと風呂に入っていられるのかい?」
いや、自信たっぷりにそう言われても、鎧も充分に非常識だと思いますよ?
だけど俺はそれを口にはせず、話を合わせる。
「言われてみれば、確かにそうですね。おちおち風呂になんて、入っていられませんから」
フローシアは俺の答えを聞き、ウンウンと頷く。そしてそのあとに、近くに置いてあったカゴを持ち抱えると、脱衣所のほうを見た。
「さて、先に風呂場から出て行かせてもらうよ」
俺は驚く。
「あれっ? もういいんですか?」
「ああ、体は洗い終えていたからね。それともなにかい、私の背中を流そうとでも思っていたのかい?」
「いや、そうではなくて……誤解は解けたのかなぁと思いまして……」
俺はおそるおそる尋ねた。
「なんだ、そのことかい。うーん、そうだねぇ……確認するけど、さっき話した内容にウソはないんだろうね?」
「はい! 誓ってウソはついていません!」
そう答えた俺のほうを、フローシアがじっと見つめる。真実かどうかを見極めようとしているようだ。
数秒後、フローシアはヤレヤレといった表情を浮かべた。
「わかった。今回のことは誤解ということで、許してあげるよ」
それを聞いた俺は安堵する。
後ろにある石に、力なく寄りかかった。
「助かった……」
一時はどうなるかと思ったけど、これで無罪放免だ!
喜びを噛みしめていると、フローシアが神妙な顔をする。
「でもあんたの話には、一つだけウソがあったね」
なんですとー! そんなはずない。すべて正直に話したはずだ。
「えっ? どこの部分ですか?」
熱いお湯の中だというのに、冷や汗。でもそれを悟られないように、冷静なふりをして答えた。
フローシアがクスッと笑う。
「そりゃ、スケベ心がないってところがだよ。理由はともあれ、こんな美人と一緒に風呂に入ったんだ。実はまだドキドキしているんじゃないのかい?」
――違う意味でドキドキしとるわい!
せっかくハッピーな気持ちだったのに、水を差さないでくれよ。確かにその部分にウソはある。だって俺も男だし。だけど、相手にそれを気づかれる振る舞いをしなければセーフなんだから、わざわざ指摘しなくてもいいじゃないか。
もしかして、からかわれているのか俺? そういうことなら、こっちにだって考えがあるぞ。
「そんなことありません! もし証明しろとおっしゃるのなら、今すぐ証明できますが?」
それを聞いたフローシアが、いじわるそうに笑う。
「へえー、じゃあ証明してもらおうじゃないのさ」
どうやら俺が強がっていて、口から出まかせを言ったと思っているようだな。
ちっちっちっ、あまいあまい。
確かにこれは悪魔の証明だ。
しかし、ビッグバン理論の証明――宇宙の膨張とダークエネルギーの関係性から思いついた方法を使えば、今現在エロい気持ちでないことの証明は簡単なんだよ。
「いいでしょう」
俺はニヤリと笑みを浮かべて、自信たっぷりに答えた。
「えっ、どうやって証明するつもりだい? 口で説明したって、証明したことになりゃしないよ?」
そんな面倒なことをするつもりはない。
「なーに、ちょっと確認してもらうだけです。俺のほうを見ていてください!」
そう答えると、俺の周りのお湯がバシャーンと音を立てる。
俺が勢いよく立ち上がって、タオルを巻いた腰を見せつけるようなポーズをとったからだ。
「ほら、このとおり。股間のタオルがテントを張っていないのが、その証拠です!」
ナイスな証明方法。ナニの膨張と、スケベエネルギーの関係性から考えついた、その名もビッグチ○コ理論。タオルのもっこり具合によって、今現在エロい気持ちであるかを証明できるってわけだ。
「あら、ほんとだね――って、それのどこがだい!」
フローシアはそう言うと、顔をひきつらせた。
「へっ?」
驚いた俺は、スタイリッシュなポーズを解いて下を向く。
「げげっ!」
タオルの中央には、立派なテント。いやらしい気持ちはないつもりだったが、俺の下半身はそうではなかったらしい。
うわぁー、やっちまったー。俺が元いた世界なら、間違いなくセクハラと呼ばれる行為。ネットゲームだと、垢BAN確定だ。
もうおしまいだー。せっかくもう少しだったのに……。
俺の頭の中で、とあるゲームのゲームオーバーになったときの音楽が流れ始めた。
まるで鎮魂歌――鎮まるべきはチ〇コか? なんてパニクっておバカな思考状態の中、俺はとっておきの言い訳を思いつく。
――いける、この言い訳ならいける!
「こ、これは違うんです! お湯が熱いから、熱膨張してしまったんですよ!」
「そんなわけ、あるかー!」
フローシアはそう言うと、近くにあった風呂桶をつかみ、俺に投げつけた。
「あいたっ!」
見事に頭に命中。
しかし、フローシアはそれを見ずに、顔を真っ赤にして大浴場を出て行った。
「最悪だ……とりあえず謝るしかないか」
俺はすぐに風呂から上がって着替えると、フローシアの部屋に謝りに行った。
その結果、まだ顔が赤かったフローシアに「今後は気をつけなよ」と言われただけで、特に怒られることはなかった。ついでということで、日をまたいで帰ってきたことについても謝ったが、これまた同様で「仕事に影響なければ、かまわないさ」と言ってあさりと許してくれた。
実はフローシア、意外に優しいのかもしれない。
こうして俺は人生最大のピンチ――いや品性最低なピンチを乗り切ったのだった。
いろいろと誘惑が多くて、書くのが遅くなってしまいました。
次はお盆までには書き上げたいと思っています。




