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チートスKILL ~中途半端な転生者~  作者: 奥 悠人
4章 冒険しても いいかも?
45/48

入浴タイムは死の予感

「ハア、ハア、ゼェ、ゼェ……」


 息が苦しい。そのうえ頭がくらくらする。


 俺は早く宿に帰ろうと思って走っていた。


 ベムさんの家から宿までは意外と近く、走って五分くらいの距離である。

 いつもであればこれくらいの距離、走ったとしてもまったく息は上がらない。それなのに息が苦しいのは、飲み過ぎたせいだろう。


 あー、ツラい。だけど、もう少しの辛抱――。


 そう思った瞬間、急に酸っぱいものが喉を通って口にせり上がってきた。


「うっ……」


 あわてて口元を手で押さえる。


 あっ、ヤバい、吐きそう。でもこの場所で吐くのはマズい。目につくから、通る人がきっと嫌な思いをしてしまうぞ。


 キョロキョロと周りを見渡す。

 すると道から少し離れた場所に、もたれかかれそうなサイズの木を発見。その場所へ脇目もふらずに走ると、木の幹に手をついた。


「おえぇぇーー」

 

 リバースされる胃の中に入っていたもの。

 キラキラとした嘔吐物が木の根元に広がる。


「ハァ、ハァ、ハァ……こんなことなら、走らなければよかった。歩いて帰ったって宿に着く時間は、十分も変わらなかったのに……」


 胃が再びムカムカする。


「ごぼっ、ゲェェーーッ!!」


 再び盛大に吐いた。


 吐き終わると口から地面に向けて唾液が糸を引いていたので、下を向いたまま何度も「ぺっぺっ」とツバを吐き出す。


「あー、気持ちりぃ……水が飲みたい……」


 お酒を飲んだあと特有の、喉の渇きのせいで喉はカラカラだ。おまけに口の中はゲロ臭い。

 しかし吐いたことで、多少だけど気分が楽になった。


「料理、無駄にしちゃったな……」


 目の前には、変わり果てた料理の姿。

 

 しかし、後悔したところでもう遅い。覆水盆に返らずということわざがあるように、地面に吐いたゲロを口の中に戻すなんて無理――。


「いや、そうだ! 木の肥料として、土にかえったと思えばいいんだ! そう考えれば、料理がまったくの無駄になったわけじゃない!」

 

 嘔吐物土にかえらす――はっきり言って、酔っ払いの戯言である。


「おっと、今はこんなことを考えている場合じゃなかった。早く宿に戻らないと」


 水は俺の部屋にある。

 ベラさんがフローシアに食事を持っていったときに、俺の部屋に水を用意しておいたと言っていたからだ。


「それじゃ行くか」


 俺は木から手を放すと木に背を向け、フラフラした足取りで宿を目指した。




 ――数分後、なんとか宿に到着。


「はぁー、やっと着いた……」

 

 玄関の周囲は、ほんのりと明るかった。これは電灯のように光る照明器具が、玄関の扉の上に設置されているおかげである。

 もちろんだが、電気による明かりではない。魔力を使った明かりで、魔導具によるものだ。

 佐藤さんの家にもあったし、オークランドでも使われていたので、この世界では一般的な照明器具なんだろう。

 

「さて、問題はここからだな」


 玄関の扉の上半分は格子状になっていて障子のような白い紙が貼ってあり、外から建物の中は見えないようになっている。

 このため中の様子を知るには、扉を開けて直接見るしかなかった。


 身をかがめて静かに玄関前に近づき、扉に手をかける。

 そして音が鳴らないようにゆっくりと扉をスライドさせ、数センチ開いたところで隙間から中の様子をのぞいた。

 

 建物の中は明るかった。

 とは言ってもそれは玄関だけで、廊下の明かりは消されている。

 このため廊下の奥のほうに行くほど薄暗くてよく見えなかったが、フローシアのいる部屋の前までくらいまでなら、なんとか見えた。


「……よし、いない」


 鬼のような形相をしたフローシアが仁王立ちで待ち構えていなかったことに、ホッと胸をなでおろした。


 おそらくフローシアは、もう寝てしまっている。だから俺の帰りを起きて待っていたかどうかは、本人に聞いてみないとわからない。

 だけど、聞かなくてもわかることはある。それはフローシアが怒っているということだ。

 

 外に出かける際、フローシアに「あんまり遅くなるんじゃないよ」と言われた。それなのに、結果はこのザマである。

 怒らないというのが無理な話だ。

 

「朝になったら、ちゃんと謝らないとな」


 玄関前で身をかがめていた俺はゆっくり立ち上がると、コソコソせずに建物の中に入る。そして、扉を閉めてから玄関で靴を脱ぎ、おもむろに廊下に足を置いた。


 そのとき、予想していなかったことが起こる。

 なんと廊下の床が「ギギイィィィッ」と音を立て、大きくきしんだのだ。

 さすが築百年は経っていそうな建物だけはある。


 この音を聞いて、味わい深いと思うか不快に思うかは人それぞれ。ただし、これが寝ているとき聞いたのであれば話は別。間違いなく、不快の一択だろう。

 

「マズいな。このまま部屋まで戻ったら、きっとフローシアさんは目を覚ますぞ」

 

 俺の部屋に行くためにはフローシアの部屋の前を通る必要があるが、薄い扉のせいで廊下の音がハッキリと聞こえてしまうのだ。


 もし、いまフローシアの眠りを妨げてしまったら、大変なことになってしまう。寝ているのを邪魔された怒りと、俺が遅くに帰ってきたという怒りが結びついて、きっと死ぬほど怒られるだろう。


「こりゃ、最初に部屋を選ぶときに、選び間違えたな……」


 玄関に近いほうの部屋を選んでおけばよかったと、ちょっと後悔。


「まあ、今さら愚痴を言っても仕方がない。大事なのは、どうやって切り抜けるかだ」


 俺はその場で腕組みして、しばらく考える。

 だけど、なかなかいいアイディアが思いつかない。


「あーあ、部屋に戻るまででいいから、時間が止まってくれたらいいのに」


 ポツリとつぶやいたが、そんなことは不可能だとわかっている。

 それが可能なのは、スタ〇ド使いかエッチなビデオの世界だけだ。


「仕方がない。慎重に歩くしかないか」


 やっぱりこれ以外に方法はなさそうだ。

 こうなったら、イチかバチかだ。


 息を止め、音を立てないように足のかかとをゆっくりと上げる。


「抜き足……、差し足……って千鳥足だよ、これっ!」


 酔っている俺が慎重に歩くなんて、考えてみれば不可能な話だった。


 酒の影響で足元がおぼつかない。あっちに行ったり、こっちに行ったりと、フラフラしながら歩いてしまう。

 

「くそっ、こうなったらヤケだ。このまま行くしかない」

 

 状況は最悪だ。いつ床が鳴ったとしても、おかしくはない。

 それなのに音がすることなく、少しずつではあるが前へと進んで行く。


「こいつはラッキー。実は俺、クセになっていたのかも、音殺して歩くの。……って、んなわけないか」


 一時期、漫画に影響を受けて、殺し屋みたいに歩くクセを習得しようとしていたのを思い出したが、こんな土壇場で才能が開花するほどの練習を積み重ねてはいない。それに主人公補正なんてものが俺にあるはずないし、単純に運がよかっただけだろうと思う。

 でも運も実力のうちだ。


 そう思っていたら、いきなり足がもつれた。


「おわっ! とっ、とっ、とっ――」


 倒れそうになり、あわてて体勢を立て直そうと両手で空中を必死にもがく。


「うわっ、うわっ、わっ、わっ――」


 つま先立ちでプルプルしながら、必死に倒れるのを我慢。

 だけど、すぐに限界がきた。


「くっ、これ以上はもたない……」


 俺は最後の力を振り絞る。


「なんのっ!」


 ギリギリで体勢を立て直すことに成功。

 しかし力尽きてしまい、ゆっくりと体が横に倒れ始める。


 俺はニヤリと笑う。


「フッ、計画通り」


 これで壁に手をつけば、床に倒れるよりも音は抑えられる。

 

 ――のはずだったのだが、手をつく場所にあったのは壁ではなく、フローシアの部屋の扉だった。


「ちょ、なんで――」


 予想外の出来事に、反射的に思いっきり手が扉のほうに出た。

 と同時に、扉を強くノックしたときのような音が廊下に響く。


「やばっ、絶対目を覚ましたでしょ、これ……」


 誰もが寝静まる深夜に、心臓が飛び出るくらいの大きなノック音。飛び起きないわけがない。


 俺は怒られることを覚悟する。

 だからフローシアの部屋の前で土下座して、扉が開くのを待った。


 シーンと静まり返る廊下。

 宿に帰ってきたときには聞こえていた虫の音が、いつの間にか演奏を中断していた。

 そんな中、死刑執行を待つかのような気持ちで、ひたすらフローシアを待つ俺だったが、足が痺れ始めるくらいの時間が過ぎた頃、ようやく顔を上げた。


「…………なんか遅くね?」


 一向にフローシアの部屋の扉が開く気配はない。それどころか、部屋の中から怒鳴り声が聞こえてくることさえなかった。


「助かった……ラッキー!」


 どうやらフローシアは爆睡中だったようだ。


「でも、次は起きないとも限らない。何かいい方法を考えないとダメだな」


 同じてつを踏むわけにはいかない。

 そう思っていると、いい案を思いつく。


「そうだ、匍匐ほふく前進があった!」


 隠密行動といったらこれしかない。

 転倒することはないし、床に体重が分散されるので大きな音は出ないはずだ。

 

「よし、それでいこう」


 匍匐ほふく前進のやり方は、よく知っている。

 うちで飼っていた愛犬がたまにやっていたので、よく覚えているからだ。


 俺は腹ばいになって足をピーンと伸ばすと、顔を持ち上げ、腕の力だけで前進し始めた。


 初めての匍匐ほふく前進。やってみて、気づいたことがある。


「大事な部分が妙に擦れるな……。もしかして、何か間違っているのか?」


 そういえば、うちの愛犬の匍匐ほふく前進を見た人は、みんな大笑いしていたような……。


「いや、気のせいだな。今は、生死をかける戦いの真っ最中だ。余計なことを考えずに進もう」


 ――と、そのときである。いきなり「プッ」っとオナラみたいな音が聞こえたのは。


「へっ?」


 いきなりのことに驚く俺。思わず心の中で言い訳する。


『待ってくれ、俺のオナラの音じゃないから! そうだ、たぶん床の鳴った音だよ! 全校集会でやらかしてしまったときのような言い訳に聞こえるかもしれないけど、信じてくれー!』


 ウィンドウに対して言ったのだが、この場にウィンドウがいないのを思い出したのは、すべて言い終えてからだった。

 なんだか、ひどくむなしい。


 でも、そのあとすぐに気持ちを切り替えて匍匐ほふく前進を続け、なんとか自分の部屋の前に到着。

 扉の前で、よっこらせと立ち上がる。


「ん? なんだこれ?」


 俺の部屋の扉に、紙が貼ってあった。


 薄暗かったので目を凝らしてみると、文字が書かれているのがわかる。

 内容はこうだ。



――――――――――――――――――――――――

 出発時刻は8時! 時間厳守!!


 遅刻したら、今回のあんたの依頼報酬分まで全部もらうからね。


 フローシア

――――――――――――――――――――――――



「あ、危なかった……」


 あのままベムさんと飲み続けていたら、寝坊は確実。せっかく依頼を達成してもタダ働きになっていただろう。


 俺は張り紙を剥がして部屋に入る。

 すると、すでに布団は敷かれていて、布団の上には着替えが置いてあった。


「えっと、水はと……」


 部屋の隅のほうに寄せられたテーブルの上に、水差しを発見。

 それをコップにつぎ、グイっと一気に飲む。


「プハーッ! 生き返る!」


 水が体中に染み渡っていく。

 続けてもう一杯飲むと、喉の渇きはなくなった。


 体が少し落ち着いたので服を脱ぐ。そして、準備してあった浴衣のような服にそでを通した。


「さて、明日も早いし、さっさと寝るか」


 枕元の目覚ましをセット。

 もちろん、これも魔導具だ。


 布団の中に入り、目を閉じる。

 酔っぱらっていたせいだろう。ものの数秒で眠りにつけたのだった。




 ――朝がきた。


 障子越しに太陽の光が目に入る。


「んん……」


 まだ目覚ましは鳴っていない。

 でも、まぶしくて目が覚めてしまう。


「ふわぁぁっ……」


 とりあえず大あくび。

 気分は最悪ではないが、ちょっと二日酔い気味。


 枕元にあった時計を手に取って時間を見ると、時計の針は五時半を指していた。

 計算すると、四時間半くらい眠っていたことになる。


 まだちょっと眠い。

 二度寝をしてもいい時間だが、サッパリもしたい。


「よし、風呂にしよう!」


 即決――でも、これにはちゃんとした理由がある。


 実はこの宿には大浴場があり、源泉かけ流しの温泉で二十四時間いつでも入れるのだ。

 このことは、昨日ベムさんから聞いた。

 宿泊客がいないときには村人たちが利用しているそうだが、その分手入れが行き届いているらしく、おすすめだそうである。

 そして、これが最も重要。それは風呂が一つしかなく、男女で着替える場所が同じだということだ。

 それが意味するのはひとつしかない。そう、混浴である。


 ラッキースケベのチャンス到来か!?


 バカ言っちゃいけない。フローシア相手にそんなことを期待してはダメだ! パンツを見ただけであそこまで怒るのに、裸を見ようものなら、きっと殺される。

 でもまあ、今回の場合はそんなに心配する必要はないだろう。こんな朝早い時間に、風呂に入っているはずがないからね。


「さて、風呂に行く準備をするか」


 布団をたたみ、手早く風呂に行く準備を済ませる。

 それが終わると部屋の扉をゆっくりと開け、廊下に顔を出した。


「よし、誰もいないな」


 風呂に入る前にフローシアと出くわさなくて助かった。

 こんな朝早い時間からガミガミ言われたら、たまったものではない。


 部屋を出た。静かに扉を閉めると、なるべく足音を立てないように廊下を進む。

 途中、床が大きくギシギシと鳴る場所があったが、フローシアの部屋からはだいぶ離れているので、おそらくフローシアの耳には届いていないだろう。


 廊下の突き当りを左に曲がる。すると、温泉マークの暖簾のれんがあった。


「この世界にも、温泉マークがあるんだ!」


 上がるテンション。ウキウキした気分で暖簾のれんをくぐり抜けようとしたが、その途中で立ち止まった。


「……一応、声をかけておくか」


 フローシアが絶対に風呂に入っていないとは言い切れないし、宿泊客がいるのを忘れた村人が風呂に入っている可能性もある。


「すみません、中に誰かいますかー?」


 大声ってわけではないが、必要にして十分な声の量。

 十秒くらい待っても反応がなかったので、「入りますよー」と言って暖簾のれんをくぐる。


 脱衣所は広かった。それでいて清潔。

 とうを編み込んだような脱衣かごが二十人分くらい置いてあり、その数と同じだけの人数が同時に着替えても、のびのびと着替えられそうな広さがあった。

 

 とりあえず浴場の扉のほうに向かいながら、脱衣かごの中をチェックする。

 

「よし、全部空っぽだな」


 でも念には念を入れて、浴場に向かって声をかける。


「おはようございます。今から着替えて風呂に入りますが、誰も入っていませんよねー?」


 風呂につながる扉の前から大きな声で呼びかけたが、返事はなかった。


「うん、やっぱり誰も入っていない」


 俺は脱衣かごがあった場所に戻ると、鼻歌混じりに浴衣のような服を脱いで裸になる。そして部屋から持ってきたタオルを腰に巻いてから、大浴場につながる扉の前に立った。


「それじゃ、入浴タイムだー! でも、新聞を読むわけじゃないぞー!」


 小ボケをかましてから、思いっきり扉を開ける。


 そのとき俺は、扉が引き戸なので「ガラガラ」というような音が鳴ると思っていた。

 それなのに耳に聞こえてきたのは、扉を開ける音に加えて「ブーーーッ」という変な音。例えるなら、まるで笑いを吹き出すかのような音だった。


 俺は驚く。


「な、なんだこの扉……壊れているのか?」


 奇妙に思いながらも、扉を通って脱衣所から大浴場のほうへ移動し、扉を閉める。

 すると今度は、「ガラガラ」という聞きなれた音しかしなかった。


「あれっ? 今度は普通だ……。なんだったんだ、さっきの音」


 どうにもせない。

 試しに、何度か開け閉めをやってみる。

 だが、さっきみたいな変な音はしなかった。


「まっ、いいか」


 急にどうでもよくなる。素っ裸のまま、いつまで考え続けるんだよって話。

 俺は扉に背中を向けた。


「すごい湯気だな……」

 

 目の前には、もうもうとした白い湯気が立ち込めていた。

 大浴場は霧のベールに包まれたように視界が悪く、近くまでしか見えない。

 そんな中、まず目に入ったのは洗い場だったが、そこで奇妙な物を発見する。


「ん? あれって、もしかして鎧か?」


 俺は不思議に思い、近づいて確かめる。


 やっぱり鎧だった。

 その横には脱衣所から持ってきたと思われる脱衣かごが置いてあり、服や下着といったものが折りたたんで入っている。


「えっ……これって……」


 背中のほうの防御は皆無で、前だけは立派に見える鎧。そんな変な鎧を着る人物なんて、俺の知る限り一人しかいなかった。


 あわてて湯船のほうを見る。


 そのとき、突然窓から風が吹き込んだ。

 まるでタイミングを見計らったかのように吹いたその風は、湯気を散らす。

 開けていく視界。

 例えるなら、レースのカーテンが風でめくれあがっていくような感じだった。


「ゴクリ……」


 生唾を飲み込む俺。


 目の前の視界はクリア。正面に見えるのは、十人くらい余裕で入れそうな湯船と、その中に浸かっている人物――フローシアだった。


 無言でこちらをジッと見つめるフローシアを見て、俺は戦慄せんりつする。


 ヤバい、殺される。


 そう思うのに、フローシアから目が離せない。

 理由は簡単。風呂に入る女性の美しさにあらがえず、俺は見とれてしまっているのだ。


 水に濡れ、しっとりと湿り気を帯びているフローシアのサラサラとした赤い髪。普段は透き通りそうなくらいの白い肌も、今はほんのりと上気して桜色に染まっていた。

 胸はというと、谷間しか見えない。なぜなら乳白色のにごり湯のせいで、体がお湯に浸かっている部分が修正液をこぼしたかのように、白色に塗りつぶされてしまっているからである。


 それでも少しくらい透けて見えないかと必死に凝視していると、フローシアの胸元で何かがキラリと光った。


 よく見ると、フローシアの胸の谷間から宝石がのぞいている。それはフローシアに以前譲った宝石――ゴブリンスターだった。

 どうやら、まだ売却していなかったらしい。


「あっ、やばっ……」


 フローシアから宝石に意識を向けたせいで、俺はハッと我に返る。

 

 正直、どれくらいの時間フローシアの姿を見続けたかはわからない。

 五秒か、十秒か、それともそれ以上か。


 俺は、あわててフローシアに背中を向ける。


「わぁーっ、ゴメンなさい、ゴメンなさい! でも、何も見ていませんから! 本当に何も見ていませんからね!」


 焦っていたせいで、言葉が早口に。明らかにウソだとわかる口調。だがここは、ごまかすしかない。

 確かに胸の谷間まで見てしまったわけだが、俺は決してエロい気持ちでフローシアを見ていたわけじゃない。腰に巻いたタオルがテントを張っていないのが、その証拠だ。

 まあ、証拠を見せろと言われたら、説明に困るけど……。


 しかし、俺の言葉を信じたのか、フローシアは何も言ってこなかった。

 俺はここぞとばかりに話を続ける。


「でも、悪いのはフローシアさんなんですからね。さっき大浴場に入る前に声をかけたとき、返事を返してくれなかったじゃないですか。そりゃー誰だって、風呂に入っていないと勘違いしますよ。だから私に罪はありませんよね?」


 俺にまったく非はない。だって、非のないところにチ〇コは立たぬのだ。


 フローシアが話すのを待つ。


 しかし、またしても返事はなかった。

 もしかして、反論できなくて悔しがっているのか?


「あのー、フローシアさん?」


 そのとき、唐突に後ろのほうから声が聞こえる。


「前を向いたまま聞きな」


 いつものフローシアとは少し違う感じの声だった。

 風邪でも引いたのだろうか?

 少し気になったが、それには触れずに返事する。


「やっとしゃべってくれましたか。もちろんフローシアさんのほうは見ませんから、安心してください」


 俺は姿勢を正して、言葉を聞き逃すまいと耳を傾けた。


「そうかい。では本題に入るよ。ボク――いや、私は今から頼みごとを一つする。それを聞いてくれたなら、すべて水に流そうじゃないか」


「あー、なるほど! お風呂場だけに、水に流すってわけですね」


「ぷっ……そ、そのとおりだよ。わ、わかっているじゃないのさ」


 俺の話が面白かったのか、フローシアの声が上ずった。


「それで、頼みというのは?」


 なんでもしますと言って、安請け合いするのは危険すぎる。ここは、ちゃんと話を聞こう。


「なに、簡単なことさ。キミ――いやアンタの目の前にあるその鎧を、今すぐ遠くに捨ててきてほしいんだよ」


「えっ!? 急にどうして……この鎧、大切にしていますよね?」


 目の前にある鎧には、まったく汚れがない。

 ということは、浴場に鎧を持ち込んだ理由は、おそらく洗うためだったはずだ。

 それなのに、いきなり捨ててこいとはどういうことだ?


「なんだよ、理由が必要ってのかい?」


「えっと、一応教えてもらえると嬉しいのですが……」


「簡単な理由だよ。この鎧を着るのが、急に恥ずかしくなっちまったのさ」


「……」


 もっともらしい理由に聞こえるが、本当だろうか?

 別に今すぐ捨てなくてもいいように思えるけど。


「何さ、疑っているのかい?」


「いえ、そういうわけじゃ……」


「なら、早く答えを決めな。このままお湯に浸かっていたら、のぼせちまうよ」


 正直悩む。何か試されているんじゃないかとも思えるし。

 いったいどう答えるのが正解なんだよ……。

 

 俺は考える。

 そして、しばらく考えて結論を出した。


「決めました」


「ふぅー、やっとかい。もちろん答えはオッケーなんだろ?」


「はい、オッケー浴場!」


 その直後、後ろのほうから笑いを我慢するような声が聞こえてきた。


「ぷっぷっ……ぷぅ……くすくす」


 そして、ついに笑いを我慢できなくなったのか、大爆笑の声になった。


「うひゃひゃひゃひゃ!!」


「えっ!?」


 明らかにフローシアとは違う声。

 後ろを見るなと言われたのに、驚きのあまり振り返る。


 フローシアは相変わらず湯船に浸かっていた。

 俺がさっきフローシアを見たときと、まったく同じ場所、寸分違わぬ姿勢で。

 

 笑い声は今も続いている。

 それなのに、フローシアの表情は少しも変わらず、唇も微動だにしない。


「まさか……」


 俺はピンときた。

 この茶番が誰の仕業であるのかを。

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