約束と地図の価値
俺がフローシアに渡すお詫びの品について決めた頃、彼女は茂みの中から姿を現した。その顔は少し赤くなっていて、俺の視線に気づくと、バツが悪そうな顔をしながらこちらに向かって歩いてきた。
お花摘みに行ってきたのかな? お姫様なんだから、絶対にそうに違いない! たとえ違ったとしても、これ以上考えるのは無粋というものだ。俺はそのことについての思考を打ち切った。
「では、これをどうぞ」
フローシアが近くまで戻ってきたので、俺はお詫びとして【チート○】を差し出した。
彼女はそれを見て、怪訝そうな表情をする。
「なんだい、これは?」
「先ほどのお詫びです。菓子折りの代わりになりそうなのは、今はこれしかなくて」
「菓子折り? 聞かない言葉だね」
ありゃりゃ、言葉が通じないってことは、こちらの世界には菓子折りの概念が存在していないのかな? もしかして、菓子折り渡して謝罪するのって、日本だけ?
でもここは、日本のしきたりの効果を信じよう。
「えっと、要するにお菓子です。これでも食べて機嫌を直してください」
俺が頭を下げながらフローシアに【チート○】を差し出すと、彼女は不思議そうな表情でそれを受け取った。
「これがお菓子ねえ……」
お菓子の袋をフニフニしたり、ポンポン叩いたりするフローシア。受け取ったときの言葉はそっけなかったが、興味がないわけではないらしい。
それもそのはず、おそらくスナック菓子のようなものは、こちらの世界には存在していないはずだ。お詫びの品にしては単価が安いのでどうかと思ったが、むしろこれでよかったのかもしれない。
「ところでなにさ、この奇妙なモンスターの絵は?」
フローシアが尋ねたモンスターの絵というのは、サングラスをかけていて、黄色い毛をしたネコ科のキャラクターのことだ。説明しようにも、こちらの世界にそのキャラの元になった生き物が存在しているとは思えない。いったいどうやって説明しよう……。
「えーと、そのー、ここから、はるか西にある、乾燥した地域の生き物だそうで、見かけるだけで縁起がいいとの話です」
異世界のことを話すと面倒そうだったので、俺は適当にごまかした。
「ふーん、そうなのかい。でも、絵はうまいね。よく見ると、かわいいし。そんなことより、これって本当にお菓子なのかい? とても口に入れられるようには見えないよ」
「もちろんそのままでは食べられません。その絵が描かれているところは、パッケージに――いえ、包み紙で袋になっていますからね」
「包み紙だって!? このツルツルとしたのが?」
両手でお菓子の袋を持って、マジマジと見つめるフローシア。目が飛び出るくらいの驚きようだ。
「はい、そうです。それで開け方にちょっとしたコツがありまして、両手で袋をつかんで、左右に強く引っ張らないといけません」
「へえー、それじゃ試してみようかね」
そう言うとフローシアは袋を横向きにして、そのまま左右に力いっぱい引っ張った。
当然だが、袋は開かない。袋に描かれたキャラクターのイラストが、助けてくれと悲鳴を上げているように見えるだけだった。
想像していた袋の開け方の、斜め上をいく方法に、俺は閉口する。
やはり、言葉だけで説明するのは難しい。本当は袋の開け方を実際に見せるのが、一番手っ取り早い。でもその場合、どうしても両手を使う必要があるので股間を隠せなくなり、アソコが丸見えになってしまうのは確実だ。
しかしそれでは、元も息子もない。だから、俺はアドバイスし続けるしかなかった。
そのおかげだろうか、フローシアは悪戦苦闘しながらも、ついに袋を開けることに成功する。でも袋の中身を確認すると顔をしかめた。
「これ、本当にお菓子なのかい? イモムシの干物にしか見えないんだけど……」
言われてみると、ずっと昔、罰ゲームで食べさせられたことがある、ミルワームという名の幼虫に似ているかも……。
実は昆虫食、意外に人気がある。前世では自動販売機に売ってあるのを、見たことがあるくらいだ。まあ、怖いもの見たさや、ネタで売れているんだと思うけど。でも、いま彼女が手にしているのは正真正銘のスナック菓子だ。絶対にイモムシでないと断言できる。
「違います! 見た目は似ているかもしれませんが、匂いを嗅いでもらえれば、そうでないとわかるはずです」
「でも、うーん……、この匂いを嗅ぐのは……いや、ちょっと待ちな!」
「どうかしましたか?」
「やっぱりおまえ、私を騙すつもりだね」
「へっ? なぜです? 意味がわかりません」
「だって、この絵のモンスターがしたフンだろ、これっ!」
フローシアは鼻をつまみ、汚らしいものでも取り扱うかのように袋の端をつまんで、体から遠ざけた。
それを見て、俺はすぐさま首を横に振る。
「もう、違いますって! 主な原料は穀物ですから!」
「本当かい? それじゃついでに聞くけど、いったいどんな味がするのさ?」
「味ですか? えっと……」
そう言いつつ、フローシアが指でつまんでいる袋を、こっそりと確認する。そこに書かれていた文字は、チーズでもバーベキューでもなく、シュガーバター味。【チート○】の中でも、かなりレアな味だ。
「シュガーバター味ですね。砂糖とバターが混ざり合った甘い味がするはずですよ」
「砂糖だって!? こんな怪しいものに貴重な砂糖が使われているなんて、信じられるかい!」
「そこは信じてもらうしかありません。とりあえず、一口食べてもらえませんか? それではっきりするはずです」
俺の必死な説得に、フローシアは比較的小さいサイズのものを袋の中から一つだけつまみ上げる。そして鼻に近づけ、クンクンと匂いを嗅いだ。
「匂いは……、大丈夫のようだね」
匂いで安心したのか、フローシアは手に持っていたものを口の中に慎重に運んで、ゆっくりと口を閉じた。その瞬間、目が大きく開かれて、不安そうだった表情がパッと輝く。
「ウソ……、何よこれ。……おいしいじゃないのさ」
見た目と味の違いに驚いてしまったのか、ピクリとも動かないフローシア。しかし、それもほんの数秒のこと。すぐに我に返ってパクパクと食べ始めた。
その様子はまるで、グルメ漫画で服が破けてしまう演出があるときのような食べっぷりだ。ついでに口から謎の光線でも放たないかと心配するぐらいである。
それに比べ、薬を飲んだだけで全裸になっている俺って、いったい……。
しばらくすると、フローシアは全部食べ終えてしまう。そして物足りなさそうに空っぽになった袋をジーっと見つめていたが、俺が見ているのに気づくと、「コホン」と咳払いした。
「なかなか、うまいじゃないのさ。まあ、これでさっき辱められた件は、チャラにしてやるよ」
「ありがとうございます。これでやっと肩の荷が下りました」
「それはよかったね。ところで、どうやって手に入れたのさ、このお菓子」
「あー、それは秘密です」
「チッ、そう簡単には教えてくれないか」
そう言われても、教えたところで手に入れられるものじゃないんだけどね。
「では、これが約束のペンダントです」
俺は首からぶら下げていたペンダントを外すと、フローシアの前に差し出した。
フローシアは緊張した手で受け取る。そしてそのまま太陽にかざし、ジーっと見つめた。
「こいつは本当にヤバいね。鑑定魔法を使えない私でも、宝石のオーラみたいなものを感じるよ。こう言っちゃなんだけど、本当にもらっていいのかい?」
「ええ、もちろんです。ちゃんと約束を守ってもらえればですが」
「安心しな、約束は守るさ。落ちぶれちゃいるが、これでも一応は王族だからね」
フローシアはそう言うと、眺めていたペンダントを首につけ、宝石が目立たないように胸の谷間に押し込んだ。
俺はそれを見て、重大なことに気づいてしまう。
なんておっぱい――いや、なんてこったい。
まさか、おっぱい鑑定士一級の俺が、おっぱいのサイズを見間違っていたなんて。これはEカップの大きさじゃない、絶対にFカップだ! 俺ともあろうものが、なぜこんなミスを……
そんな虚しさと、切なさと、心苦しさは、彼女からの質問で解散となった。
「それじゃまず、あんたの名前を教えてくれないかい?」
「おっぱ――おっと失礼しました。そういえば名乗っていませんでしたね。ゴブリンのみんなからは、サブローと呼ばれています」
おっぱいに見とれていた俺は、あわてて言い直した。
「わかった。それじゃサブロー、まずは剣を返してもらえないかい?」
「ええ、いいですよ」
俺はあっさりと了承した。
理由は簡単だ。フローシアは拘束を解かれても、こちらを害するような素振りは一切見せなかったし、とても約束を破るような人物には思えなかったからだ。これなら剣を返しても、おそらくは平気だろう。
そう思いながら傍らに置いていた剣を手に取ると、彼女に手渡した。
「ありがとよ。それじゃ、この場で片膝をつきな」
「えっ、なぜですか?」
「いいから、さっさとおし。今から王族に伝わる、誓約の儀式をするよ」
あわてて俺は、言われたとおりにする。
するとフローシアは俺の目の前で直立し、鞘から剣を抜いて空に高く掲げた。
「フローシア・ドビンボーは王家の誇りにかけて、この周辺に住むゴブリンたちに金輪際手を出さないことを、ここに宣言する!」
続けてフローシアは俺の目の前で両膝をつき、自分の剣を喉元に当てる。そして剣の柄を俺のほうに差し出した。
「もし、この誓約を違えるようなことがあれば、この身のすべてをサブローに差し出して償うことを、この剣に誓う!」
その凛とした表情は、まるで物語に出てくる伝説の騎士と見間違えるほどだった。もし、この場面を画家が見ていたなら、きっとこの光景を描きたいと思ったことだろう。
だが、それはこのまま何事もなく、すんなりと終わればの話だった。
「これで儀式は済んだよ。この儀式で立てた誓約は、王族の私にとっちゃ絶対だ。これでいいだろ?」
「はい、しかと見届けさせてもらいました。こちらとしても、これで安心できます」
フローシアは俺の言葉を聞くと立ち上がり、剣を鞘に収めて笑顔を見せた。そして、その場でくるりと身をひるがえし、腰を曲げて地面に手を伸ばす。
手を伸ばした先にあるのは、彼女の持ち物だ。ロープで縛られたときに、落としてしまったらしい。
ビューーーッ
突如、木の葉が舞うような突風が吹いた。
いきなりのことで、俺はちょっと驚く。そして無意識に、「あっ……」という言葉が口からこぼれていた。
でも言葉がこぼれた理由は、風に驚いたからではない。あろうことか、俺の目の前でフローシアのマントが盛大にめくれ上がってしまったのだ。
「キャァァーーー!」
フローシアの口から、かわいらしい声の悲鳴が上がる。そして、めくれたマントを押さえて、その場でうずくまった。
「見たでしょ……?」
こちらを振り返ったフローシアの顔は、熟したリンゴみたいに真っ赤だ。
本来であれば、そんな恥ずかしそうに聞かれたら、質問に答えていただろう。だけど、俺には答えられない理由があった。
見たか見ていないかで言えば、見た。というより、全部見た――っていうかノーパンだった。
だって不可抗力じゃないか! 俺は片膝をついたままだったし、相手は俺のほうにお尻を向けて、前かがみをしていたんだから。
しかし、俺はジェントルマン。彼女に「見た」と伝えて傷つけることだけは、絶対に避ける必要がある。かといって、せっかく誓約までしてもらったこの神聖な場で、「見てない」とウソもつきたくない。だから俺は沈黙で答えた。
俺が何も答えなければ、すべてはシュレーディンガーの箱の中。箱の中身を知るすべなど存在しない。
でも、それを邪魔しようとするモノが現れた。
鎮まるんだ、MY SON!
俺の息子は利かん坊である。その名のとおり、まったく言うことを聞いてくれない。
今の息子の状態をフローシアに見られてしまわないかと、ハラハラする俺。見られたら、彼女は箱を開けることなく、中身を知ることができるからだ。もしそうなった場合、俺の息子は天に召され、俺は二代目LOST SONを襲名することになるだろう。
しかし、それはさすがに遠慮したい。
なので、聞き分けのない息子を必死に手で押さえつけ、バレないことを祈りながら下を向いて沈黙を貫き通した。
「ふんっ、まあいいさ。それじゃ、あとは地図だったね」
ちょっと涙目になっていたフローシアは、気持ちを切り替えたのか話題を変えてくれた。
どうやら俺は、命拾いしたらしい。俺は彼女に聞こえないようにフーっと息を吐き、緊張を解く。
そうしている間に、フローシアは道具袋から取り出した地図を地面の上で広げ、シワを伸ばし始めていた。
広げた地図の大きさはA2サイズぐらい。何度も補修した跡があって年季が入っているが、ずっと大切に使われているように見える。
俺は地図に事細かに書かれている注釈が気になり、近くで見ようと肩越しに覗き込む。
しかし、フローシアに手で遮られた。
「ちょっと待ちな。この地図はね、私が長い時間をかけて作ったんだよ。情報は安くないんだ、おいそれと全部は見せられないね。だから必要な分だけ書き写す。それでいいだろ?」
俺はそれに同意して、首を縦に振る。
「ええ、それで構いません。それと勝手に見ようとしたことは謝らせてください」
「わかってくれりゃ、いいよ。それで行き先だけど、なるべく近くで、多くの住民が住んでいるところでいいんだね?」
「はい。一応確認ですが、この格好でも殺されませんよね?」
「ああ、それは大丈夫さ」
フローシアはそう答えると、袋から何かの裏紙を取り出してサラサラとペンを走らせた。それから10分ほど待つと彼女はペンを置き、先ほどの紙を俺に渡す。
「これでいいかい?」
渡された紙には、町までの道順が描かれていた。しかも目印や目安の時間など、事細かに書き込まれている。
「スゴいですね。こんなにも詳しく書いてもらえるとは思っていませんでした」
俺が素直に感心すると、フローシアは少し恥ずかしそうに頬をかく。それを見て、俺は本当の彼女の姿を見たような気がした。
冒険者として生きる、この国のお姫様。その苦労は大変なものだろう。だから冒険者として舐められないように、男っぽい言動をしているように思えた。
もしこんな形で出会っていなければ、もっといい関係になれたのかも。そう思いながら地図を見ずに彼女の胸の谷間を見ていると、いつの間にか地図についての説明が始まっていた。
「だいたい歩いて、四、五日の行程だよ。安全なルートを選んでいるし、危険なモンスターには出会わないはずさ。それとルートからは外れるけど、この辺りは山賊のアジトがあるって話だ。間違っても行くんじゃないよ」
フローシアが俺の隣で膝をつきながら、地図を指差して説明してくれていると、隣からほわっとした、いい香りがした。
この時間がずっと続けば幸せだっただろう。だけど道順は複雑ではなかったので、説明はすぐに終わってしまった。残念!
「ありがとうございます。これで迷子にならずに済みそうです」
感謝を込めて、俺は彼女にお礼を述べた。
「礼なんていいよ。それより、ゴブリンにもう戻る気はないのかい?」
「はい、戻る気はありません。実を言うと、自分がゴブリンであることに違和感を覚えていまして、今の姿のほうがしっくりきます。だから、この姿で生きていくつもりです」
転生者で、もともとは人間だったことは伏せた。でも話した内容はウソではないし、ある意味では真実だ。
「本気かい!? ちなみにその姿になって、いったい何をするつもりなのさ?」
「先ほども言いましたけど、普通に仕事をしますよ。解体業はちょっと合わない気がするので、お店で物を販売する仕事があればいいんですが」
「変わったヤツだね。イケメンなんだから女に貢がせたり、はべらせたりもできるだろうに」
「女性にモテたいとは思いますが、そういうのはちょっと……」
「へえー、少し見直したよ。私はゴブリンも、あんたみたいなブタ野郎も本当は嫌い……あっと、いけない。どうもあんたみたいなヤツを見ていると、ついつい恨み言を言いたくなっちまう。すまないね、昔にいろいろとあって、ちょっと訳ありなんだよ」
「いえ、お気になさらずに。さて、それではそろそろ出発しようかと思います。いろいろと親切にありがとうございました」
俺はフローシアに深々と頭を下げる。そして出発しようとすると、彼女から呼び止められた。
「ちょっと待ちな。餞別だ、こいつを持っていきな」
フローシアはそう言うと、道具袋からスカーフを取り出して手渡してきた。
手触りからシルクと思われるそのスカーフは、とても奇麗な模様の刺繍が施されていて、パッと見ただけでもかなりの高級品だとわかる。
「持っていけといわれましても、私には似合いませんが……」
「そいつは腰に巻くためのものだよ。そのままの格好じゃ、目も当てられないからね」
「えっ!? でもこれって高そうですし、大切なものでは?」
「あんたが気にすることじゃないよ。それじゃ、元気でやりなよ」
それだけ告げるとフローシアは身をひるがえし、右手を振りながら仲間の元に戻っていく。
俺はその背中に再度深々とお辞儀をすると腰にスカーフを巻き、大事な部分を隠してから目的地の町を目指して出発した。




