ビエルの最悪なる一日 【ビエル】
「なんてガメツいヤツなんじゃ! ムカつくー!」
エルフの少女は不満を口にしながら、手のひらで机の上を何度もバンバンと叩いた。
少女の名前はビエル・カレンセン。
絹のようなサラサラとした金色の髪に、透き通るような白い肌をしていて、ひときわ目を引く可憐な姿をしている。
だが、その少女は長寿のエルフ族。小柄な見た目に反して人間の年齢でいえば、とうに成人を過ぎている。そんな少女――もとい彼女がどうして机に八つ当たりしているかというと、原因は先ほどメルカミで取引相手と揉めたからだった。
いつ、誰が、何のために作ったか誰も知らないメルカミというフリーマーケットは、選ばれた者だけが使える不思議な取引場所だ。直接の対面取引を必要とせず、魔法で作られた異空間を介して取引相手と連絡が可能なので、いつでも気軽に商品の売買が可能となっている。
ただ、相手の顔を見る必要がないので、ごく稀に礼を失する人物がいるのも事実。その場合、普段のビエルなら取引をやめてしまうのだが、今回ばかりはそういうわけにはいかなかったようだ。
結果、出品していた薬は原価を大きく割って売る羽目になり、腹を立てているというわけである。
「想定外じゃった。まさかあそこまで値引きを求めて来るとは……。おかげで机を叩いた手も、真っ赤になってしもうたわい」
赤く腫れ上がった手を見つめるビエル。
痛みがジワジワと襲ってきて、大赤字になったことよりも机を叩いたほうを後悔した。けれども、そのおかげで怒りが少しだけ収まったようだ。
「それにしても、本当に手紙のとおりになったのう……」
ビエルは机の引き出しの奥にしまい込んでいた手紙を手にとると、書かれている内容をぼんやりと目で追った。
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ビエル・カレンセン殿
ハローなのじゃ。
相変わらず、大好きな薄い本のことばかり考えているのじゃろうな。
そして今この瞬間、秘密にしているはずの趣味がバレていることに、さぞ驚いていることじゃろう。
まあ、驚くのも当然じゃな。
絶対に知られたくない、おぬしの一番の秘密じゃからのう。
しかし、なぜ私がそれを知っているかというと、おぬしのことならすべて知っておるからなのじゃ。
なんせこの手紙の送り主は、未来のおぬしなのじゃからな。
どうじゃ、ビックリしたか?
だが、許すがよい。これも未来の自分からの手紙が、本物だと信じてもらうためのことよ。
さて、ここからが本題じゃ。
ある薬が長いこと売れ残っていると思うのじゃが、この手紙が届く頃にその薬を買いたいと言ってくる者が現れる。ところがじゃ、相手はおぬしの大嫌いな値引きを執拗に要求してくるし、態度も無礼なヤツなのじゃ。プライドの高いおぬしなら、そんなヤツに絶対売らないと思うのじゃが、そこを曲げて売ってやってほしい。
それと、もう一つ。
どんな値段で売れようと、タダで魔法のロープを三本おまけしてやってくれ。
おかしな頼みなのは重々承知しておる。しかし、理由は話せぬのじゃ。
ささいなことでも話す内容によっては、大きく未来が変わるかもしれぬでのう。
では、頼んだのじゃ。
追伸:ベッドの下に隠してある薄い本のコレクションは、すぐに隠し場所を変えるのじゃ!
さもなければ、私の名誉に関わることが、きっといつか起こる。
何があってもこの未来だけは、絶対に変えねばならぬ!
決して忘れるでないぞ。
未来のビエル・カレンセンより
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なんとも奇妙な手紙だった。
いくら天才魔法使いであるビエルでも、過去に手紙を送って歴史に影響を与えるようなことはできない。
一部の学者は「時間を操る魔法は存在する!」と古代の文献を読んで夢見がちに言っているが、眉唾物との考え方が一般的だ。ビエルもそれと同じ考えであり、最初はこの胡散臭い手紙を捨てようとした。ところが書かれている秘密は真実で、筆跡も自分のものに似ていることから本物である可能性を否定できず、捨てられなかったのである。
「それにしても、ある薬とは『人間になる薬』のことであったか。ちゃんと手紙に書いておけばいいものを……」
ビエルは眉間にしわを寄せ、不機嫌そうに手紙を読んだ感想を漏らす。
なぜ彼女が急に不機嫌になったかというと、早く処分したいと思っていたほうの薬ではなかったという、身勝手な理由だ。
今度はそのことでイライラしそうになったが、彼女は何かを思いつくと、落ち着きを取り戻した。
「もしかして、何か理由があって薬の名前を書かなかったのではなかろうか?」
ビエルは腕を組んで頭をひねる。
しかし、いろいろな理由を考えていたようだが、しっくりくる答えにはたどり着かなかったようだ。結局、彼女は考えるだけ時間の無駄だと諦めた。
話は変わるが、「人間になる薬」が売れなくなったのには理由がある。その一番の理由は、この薬を使っているかを調べられる魔導装置が開発されたからだった。
田舎でひっそりと暮らす分には問題ない。だが、ある程度大きな町に入るときには必ず調べられるので、人間以外の種族であったことがバレてしまう。これが原因で、サッパリ売れなくなってしまったのであった。
「さて、急いでいるようじゃったし、とっとと発送するかのう」
ビエルは棚の奥からホコリまみれのビンを手に取ると机の上に置く。ついでに机の引き出しからはロープを取り出した。そしてビンのホコリを簡単に取り除いて発送の準備を終えると、両手を左右に大きく広げて空中に向かって叫んだ。
「来るのじゃ! 魔法の宅配便」
すると突然、ビエルの目の前の空間にぽっかりと穴があき、穴の中からは「ニャー」という動物の鳴き声が響いた。
魔法の宅配便、それは取引相手が持っている収納魔法の異空間に、品物を届けてくれるサービスのことである。そしてさっきの鳴き声は宅配ニャンコと呼ばれる生物のもので、品物の集配に来た合図だ。
そんなわけで、さっきあいた穴に荷物を放り込めばメルカミでの取引完了というわけだが、彼女はすんでのところで思いとどまった。
「そうじゃ、ひらめいた! やられっぱなしは性に合わぬし、ちょうどいい悪戯があるではないか!」
ビエルは不敵な笑みを浮かべた。
そのあと、あわてて段ボールの中に大量にしまわれていた「アホ汁」と書かれているビンを一つ取り出して、机の上に置いてからそのフタを開く。続けて「人間になる薬」のほうもビンのフタを開き、先程の「アホ汁」をスプーンで三杯入れてからフタを閉めると、慣れた手つきでシェイクした。
この「アホ汁」という液体は、大苦の葉をすり潰して搾り取ったものだ。食べ物や飲み物に少量混ぜただけでも、死ぬほどまずい味になるが、臭いは無臭で、体にもまったく害のない代物である。
そんな特性なので、ビエルはイタズラに使ってもらうことを想定していたのだが、まったく売れずに大量の不良在庫になっていた。
「できたぞ、ゲロまずい『人間になる薬』の完成じゃ!」
ビエルは完成した薬を両手で誇らしげに掲げる。
その様子は事情を知らない人が見ていたなら、不治の病の治療薬が完成したのかと勘違いしてしまうくらい、神々しかった。
「なに、薬の効果は同じじゃし、問題なかろう。それにこれくらいせねば、私の腹の虫がおさまらぬからな」
気難しい表情をしていたビエルの顔は、いつの間にか晴れやかな笑顔になっていた。だがその笑顔は、すぐに悪巧みを考えている表情へと変わる。
「あとは魔法のロープを三本じゃったな。うっしっし、こっちも一本だけ細工しておくかのう」
細工とはいっても、ビエルはロープに切れ目を入れるようなあくどい悪戯は考えていない。ロープの使用目的によっては命に関わる可能性もあるので、彼女の良心が許さないからだ。あくまでジョークの範囲内というわけで、彼女は魔法を使ってロープに新たな特性を追加する。
このことは、いかにビエルが優秀で特別な存在であるかを物語っていた。完成している魔導具に特性を加えるような特殊なことができるのは、エルフの中でも限られた者だけだからである。
「さて、準備は整ったのじゃ。宅配ニャンコを待たせておるし、急いで発送せねばな」
ビエルはそう言うと、異空間の穴から顔を出して眠そうにあくびをする宅配ニャンコに薬を渡した。
「宛先はサブローという者じゃ。もちろん、こちらの住所は秘密で頼むぞ」
すると、「ニャニャニャッ!」という鳴き声とともに空中の穴は閉じ、いつものビエルの部屋に戻った。
ビエルはそれを見届けると、手紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱にポイッと捨て、ブツブツと魔法をつぶやいてカミゾンのサイトにアクセスした。
「久々に手に入ったカミポイントじゃ。どの本を買うか、じっくりと悩むとしようぞ」
ビエルは今日あった嫌な出来事を忘れようと、好みのBL漫画を探すことに集中した。その結果、その目論見どおりに彼女は嫌なことを忘れることに成功する。
だが手紙に書かれてあったことまですっかり忘れてしまい、ベッドの下に置いてある本を移動させることまできれいさっぱり忘れてしまうのだった。
のちにビエルは生涯後悔することになる。
彼女のあだ名が「ビーエルフ」とつけられる原因が、このことだったことに。




