序奏<Over Ture> 約束
フェアリア・・・
この国には女王が存在している。
そして・・・皇女も・・
静まり返った大広間。
紅い毛氈が敷かれた先に、一段高く設えられた主賓の座がある。
そこに居るべき者が未だに現れ出て来ない。
空席の座に、集った者達は声もたてずに待ち続けていた。
が。
「ねぇねぇ、まだ始まらないの?待ちくたびれちゃったよぉ」
座にそぐわない女の子の声が静けさの中、辺りの雰囲気を壊した。
「こらっ、コハル!もう少し黙っていなさい!」
茶髪の母に窘められて、女の子が口を噤んだが。
ジッとしていられないのか、つまんなさそうに足をぶらつかせていた。
「コハルちゃん、もうちょっとだから。辛抱しようね?」
黒髪の祖母が女の子を宥める。
「うん・・・ミユキおばぁちゃん。我慢するよ」
祖母に優しく諭されたコハルがニコリと笑って返した時。
「妃殿下、お出になられます。」
女官の声が広間に静粛を促す。
紅白の幕が垂れ下がった壇上に、絹滑りの音が進み出て来る。
「ほら、コハル。お辞儀していなさい!」
ルマに急かされたコハルが慌てて壇に向けて頭を下げる。
下げたが、絹滑りの音に興味を掻き立てられて、上目遣いに壇上を観ていると。
紅い毛氈の上を座の前まで進み来る、白いドレスと碧いヒールが観えた。
「皆、大儀です」
女官とは別の女性の声が聞こえてくる。
上目遣いに観ていたコハルがその声の方に目を向けると。
「今宵は我がフェアリア皇女の披露目。
各国大使、及び武官へ公に知らしめる、元服の儀を執り行います」
白いドレスの奥に立つ、もう一人のドレスが眼に入って来た。
「女王ユーリ陛下に最敬礼!」
女官らしい声が、さらに深く頭を下げるようにと促す。
でも、コハルは最敬礼の意味を知らず、下げていた頭を上げてしまった。
目に飛び込んで来たのは、上壇に立つ二人の女性のドレス姿。
白いドレスに横帯を着け、ティアラを冠した母娘の姿だった。
金の髪。
碧い瞳。
白く透き通るような肌。
コハルは美しく着飾っている母娘に釘付けになる。
「綺麗・・・お人形さんみたい・・・」
思わず本音が零れてしまう。
母の後ろに立つコハルの呟きが耳に入ったのか、ミユキがそっと頭を下げさせた。
壇上からコハルが観えているのか。
聞こえていたのか。
女王の前に立つ、皇女がコハルを見詰めている。
「ルナリーン、さぁ・・・」
女王が促す迄コハルを見詰めていた皇女が、壇上に足を運ぶと。
「皆さま、今宵は私の披露目に、ようこそお運び頂きました。
今後とも我が国との親睦を果たされる事を願っております。
私はフェアリア国皇女、ルナリーン。
女王ユーリが一子、ルナリーン・F・マーガネット。
どうぞ、御見知りおきを・・・」
ドレスを摘まんで会釈した。
「どうぞ、お直りください」
同時に女官が敬礼を解くように促して来る。
ミユキに頭を下げられ続けていたコハルも、やっと正面を向けるようになる。
目に飛び込んで来たのは。
「あれ?リィーンお姉ちゃん?」
コハルが素っ頓狂な声を上げる。
「わっ?!コハルっ、なんて失礼な事を!」
ルマが動転してコハルの口を塞ぐ。
「もごもご・・・らっれぇ、お姉ちゃんにゃんじゃもん・・・もご」
「あわわっ?!これはとんだ失礼を!」
塞がれた口をもごつかせて、尚も言い募ろうとするコハルに。
「そこのそなた。私は伝説の女王の名は名乗ってはいませんよ?
私の名はルナリーン。どこかの誰かと間違ってはいませんの?」
純白のドレスを纏った姫が、困ったような微笑みを浮かべる。
「と、とんでもない失礼を!こらっ、コハル!謝るのよ!」
ルマが娘の無礼を謝罪し、同時にコハルの頭を下げさせる。
「良いのですよ、ルマ武官。
あなた達家族は、私達フェアリア・・・いいえ。
人類全ての恩人なのですから。その子も、あなたの夫も・・・」
謝罪を受けたのは、女王ユーリの方。
微笑む顔が見詰めるのは、悲しき想いを未だ続ける母親の顔。
ユーリが観るのはコハルではなく、ミユキの顔だった。
儚げに微笑むコハルの祖母。
孫を持つ迄、年月が流れたというのに。
想いは変わらないのだろうかと。
それが愛娘を亡くした母親の姿なのだろうかと。
と、その時。
「人類創世を成し遂げた英雄・・・理を司る者。
そなた等が世界を救ったと陛下からも聞き及んでいます」
皇女の声が場に流れ出た。
「島田 ルマ武官。
その子を御放しくださいな、謝る必要などないのですから」
壇上を降りたルナリーン皇女がルマ達に足を運ぶ。
「あ・・・はい。皇女殿下」
ルマが進み出た皇女に平伏し、コハルを離すと。
「この子のお名前は?コハル・・・で、宜しいのですね?」
碧き瞳を投げかける皇女に、コハルが首を振って。
「違うよ?!リィーンお姉ちゃん。
お庭でも言ったじゃない、コハルは呼び名だって。
あたしはミハル。世界を闇から救った英雄と同じ。
アタシのおばさんと同じ名前の、ミハルだって!」
その場に居合わせた者達から、どよめきが巻き起こる。
「あたしは、島田美晴!
綴りは違ってもおばさんと同じ呼び方の、ミハルなの!」
ポンと胸を叩いてコハル・・・ミハルが名乗った。
暫くどよめいていた場が静まるのを待って、ユーリ女王が娘に促す。
「ルナリーン、こちらへ」
娘を壇上に呼び戻し、女官に手招きする。
「殿下、これを・・・」
女官が捧げ持って来たのは、錦の袋に包まれた長い物。
「日の本国に返還致します。
我が国との友好に感謝して、永き友情に感謝しつつ」
ユーリが日の本武官、島田真盛1佐を進みださせる。
女官から錦の袱紗を受け取った皇女ルナリーンが、コハルの父に差し出さず。
「いいえ、失礼とは存じますが、武官にではなく、母上様にお返し仕度ございます。
宜しいでしょうか、マモル武官?」
答えも聞かず、ルナリーンがミユキに向けて進み出る。
「この刀はそもそも母上様が、
日の本におわす三輪の宮殿下から賜った剣と聞き及んでおります。
お返しするのなら母上様にお返しするのが筋だと・・・」
ミユキの前まで来た皇女が錦の袱紗から剣を取り出すと。
「どうか。どうぞお受け取りくださいませ。
私には母上から頂いた家宝の剣がありますから・・・」
ついと振り返った皇女の視線の先に置かれてあるのは。
「開祖リィン女王の剣・・・魔法の剣を賜りましたから」
フェアリアに伝わる宝剣が壇奥に掲げられていた。
古代象の象牙で室られられた鞘に収まっている宝剣。
碧き珠を設えた柄。金色に輝く握部分。
「あの剣を賜れたのは皇女たる者の印。
今宵からはあの剣を持つ事になります。
私はフェアリア皇女として宝剣を引き継ぎたく思うのです」
紅鞘の剣を袱紗から取り出したルナリーンが、ミユキに剣を差し出す。
「皇女殿下、嬉しく思います。
我が主たる蒼乃殿下に参上し、お返しする所存です」
平伏したミユキが剣を受け取る。
「ミユキ・・・ミユキお母さま。今一度・・・太刀を抜かれよ!
皆に宝剣であることを示されよ!」
ユーリが確実なる返還であることを示せと願った。
「ならば・・・観て。
観ておきなさいませ、我が剣である印を・・・示さん!」
紅鞘を握ったミユキが裂ぱくの気合を込めて抜き放つ。
目にも留まらぬ速さで引き抜かれた太刀裁き。
瞬きしてしまった者には、何が起きたのか分からないだろう。
白刃が抜き放たれたと思ったら、もう鞘の中に納まっていた。
空気でさえも斬られてしまったかのように、周りに凍えるような気が放たれていた。
「確かに。剣は紅鞘・・・日の本の名刀に違いありません」
鞘に納めた剣を捧げ持つ初老の婦人が認める。
「さっすがぁお婆ちゃんだね!」
コハルが騒ぎ立てようとするのをルマが抑える。
「三輪の宮様によしなにお伝えください。
出来れば直接感謝の辞を述べるべきなのでしょうけど」
ユーリがミユキに謝辞を述べて、
「日の本へ帰国されると聞き及びましたので。
帰国の折に、返還されるのが一番良いと考えました」
島田家族が帰国するからだと返還理由を告げる。
「日の本の武官である息子、マモルに帰国命令が届きました。
マモルを待つ主人の元へ帰ろうと思います。
そしてあの子の産まれた国で菩提を弔ってやりたいと願っております」
女王ユーリに謝辞を返し、ミユキが息子である真盛を促す。
「ユーリ様、ルナリーン殿下。
日の本武官島田1佐は離任を命じられました。
新任の到着を待って本国に帰還することになります」
コハルの父マモル1佐が申告し、家族で帰る事を願い出た。
「そう・・・皆さんで帰られるのですね?」
ポツリと皇女が溢すのをコハルは聞き逃さなかった。
「皇女のお姉ちゃん?どうかしたの?」
コハルの声にビクリと身体を震わせたルナリーンが、話を変えて訊いてきた。
「ミハル・・・と、言いましたね。
あなたは御幾つなのかしら?まだ小学校に行っていないの?」
少し遠い目になって訊いてきた皇女に、首をかしげて。
「そうなの、もう8歳だもん。
日の本の小学校に行くんだよ?
お姉ちゃんは?もう中学校行ってるの?」
学校制度の違う日の本で就学すると答えたコハルに。
「そう?!善かったわねミハルちゃん。
私は12歳になるから来年初等を出るの。日の本で言えば中学生かしら?」
「へぇ、お姉ちゃんって大人っぽいからもっと年上かと思っちゃった!」
コハルとルナリーンは他愛のない言葉を交わす。
だが、皇女の眼は何かを掴んだのか、ふっと閉じた。
「そう・・・あの子が帰るまで待つわ。
ミハルがもう一度帰って来るまで・・・まだ時は熟していないのね」
瞼を閉じたまま呟いた声は、どこかで聴いた事のあった大人の声。
「?皇女のお姉ちゃん、どうかしたの?」
コハルには聞こえなかったのか、瞼を閉じたルナリーンに訊ねると。
「いいえ、何もないわコハルちゃん。
またこの国へ来てね?あなたの産まれたフェアリアへ」
碧き瞳を向けて再会を願った。
「うん!勿論だよ!また帰って来るから!必ず!!」
頷いたコハルに頬を緩め、皇女ルナリーンが小指を差し出す。
「そう?じゃあ約束しよ。指切りげんまん!」
「うん!約束するよ!」
二人の小指が絡み、約束が交わされる。
願いを、約束を・・・いつかは果たす時が来る。
諦めない限り・・・忘れない限り。
二人の少女が交わした約束に、祖母ミユキが微笑む。
幼き約束が果たされる日が訪れるのを、心から願って。
「日の本に帰っても忘れないからね、ルナリーンお姉ちゃんの事を!」
「ええ、待っているわ。きっとこの国に来てね・・・必ず」
交された微笑み。
二人の約束が果たされる日が来るのか。
来るとすればいつの日か。
周りの大人達にも分かり様が無かった。
唯、今は平和が世界を覆っている。
望めばどんな国にでも行く事が出来る、帰る事も・・・そう考えていた。
そう・・・人類に訪れた災禍は、もう過去の話だと思われていたから。
ルナリーンと約束を交わしたコハルのポケットの中で、
碧き魔法石が小さく輝きを放っていた・・・
皇女と一人の娘が辿った運命・・・
どこかの時代と同じ、フェアリアで起きた過去の物語に似ている。
もう、忘れ去られようとしている女神となった娘が辿った物語。
この世界を創り直した魔法の女神が存在した。
女神は初め、人の子として生を受けた。
宿命によって闇と闘い、女神の力を目覚めさせた。
やがて、女神は闇と共に消え去った・・・
世界に与えられていた力をも消して。
世界を救った女神は、世界から魔法も消した筈だった。
もう、必要が無いのだからと。
そう・・・一度は消えた。
消えた筈だった・・・・
思い出してみなければいけない。
彼女が如何にして世界を救う事になったのか。
フェアリア国の存在するこの世界が、どのような世界なのかを。
世界は新たに創りかえられたという。
なぜ創りかえられたというのか?
誰が、どうやって?
この世界に存在するのは、ある日の記憶。
そう・・・女神と悪魔と化した機械の伝説。
或る日の記憶と伝説を紐解こう・・・・
次回 <序奏> 残された名
君は終わる世界を救った乙女の名を叫ぶ!