二話
高校卒業後は、好きなものを学んでみたいと専門学校へ。
しかし、そこでも大した努力をせず、ただ趣味に明け暮れる毎日でした。同じ教室の生徒が次々と就職先を決めていく段階になっても、僕は誰かの助けを待っていました。
子どもだったのです。
小学校、中学校、高校と、自分に甘えて生きてばかりの僕は、困っていたら、なんとかしてくれるかもしれないと、頭の片隅で思っていました。
専門学校を卒業して、しばらく一年間、そのままだったのだから、もはや救いようがありません。
いよいよ誰も助けてくれないのだと知ったのは、もう就職が難しくなってからでした。
僕は専門学校卒業後は、アパートを引き払い、故郷に帰りました。実家に帰ってからは、部屋を出ない生活が始まったのです。
このとき、親はどんな気持ちだったのでしょうか。
考えると、今でも胸が締め付けられます。
アパートの料金、食事代等の生活費、加えて学費まで。専門学生の頃は、まだ妹も高校生でしたから、親たちはさぞ貧苦の生活を強いられていたのだと、想像するに難しくはありませんでした。
そんな苦労をドブに捨てたのが、僕なのです。
親たちが汗水垂らして作ったお金を、僕はすべて無駄に変えました。
バイトというものを一切やったことがありません。
専門学生の頃も、やろうとは思えませんでした。なぜなら、怖かったのです。自分の知らないことをするのが、恐ろしかったのです。
失敗すれば怒られる。
間違えば、注意される。
そんな当たり前のことなのに、僕は、そういうのが、地獄の裁判のように思えていたからです。
もちろん、地獄の裁判というのは僕の想像です。
なぜなら、僕は挑戦をさけてきました。
失敗も、間違いも、極力逃げてきました。
僕という人間は、挑戦する前から、怖じ気づいていただけなのです。
一度も働いたことがなく、報酬ももらえたことがないので、何をどうすればいいのかわかっていませんでした。
やるべきことはわかっています。
新聞に挟まっているチラシでもいいから、そこにある求人情報を見て、電話をしてみればいいのです。わかっています。
だけど、そのさきが、どうなるのかわからなくて、できなかった。
やりたくなかった。
だから、僕はこの状況を、誰かがどうにかしてくれることを祈って、ここから五年間部屋に引き籠もりました。
一年に一度は、友人から連絡をもらっていました。それも今ではありません。
一年に一度は、兄と一緒にどこかへ出かけてもいましたが、それも今ではありません。
最初は、なんとか僕を外に連れ出そうと話しかけてきた母親でしたが、今ではそれもありません。
自分の部屋は二階にあるのですが、トイレに行きたくて、だけど親にそれを気づかれるのを恐れて、もう真っ暗な夜に明かりもつけず、階段の手すりを頼りに降りていたときでした。
父親が、晩酌をしながら、母親に泣いていました。
どうしてこうなった。
何が悪かった。
頑張って欲しい。
何でもいいから。
もう何でもいいから。
ひとりで生きていけるようにさえ、なってくれれば。
僕は、真夜中過ぎて、両親が完全に眠りにつくまで、階段から一歩も動けなくなってしまっていました。
トイレとか、すでに忘れていました。
ただ、じいっと階段を見つめていました。
やがて生理反応が限界を僕に知らせて、トイレに駆け込みます。用を済ませて、まだ生きているのを、なぜか実感しました。
食べて、寝て。用を足して。また寝て。
これだけの繰り返しに、僕は生きていると自覚したのです。
そうすると、すとん、と何かが胸の中に落ちた気がしました。
僕は、声を殺して、泣きました。
声を殺して、謝りました。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ちゃんとできなくて、ごめんなさい。
普通になれなくて、ごめんなさい。
ごめんなさい。
どれほど経ったかわかりません。
僕は部屋に戻り、身を丸めて眠りました。朝が来なければいいのに、と願いながら、自責に苛まれながらも、意識を睡魔に預けました。
それから数日後ですが。
僕は相変わらず、引きこもりのままなのです。
結局のところ、どんなに悔やもうと、反省しようと、僕は自分を甘やかすのです。
あのとき泣いたのは、どんな意味があったのだろうかと、考えてもわかりません。
ただ、今日も僕は、新聞に挟まったチラシを見ています。
就職情報を見て。
これはどんなことをするのだろうか。
どんな職場なのだろうだろうか。
どうすればいいのだろうか。
どんな苦労があるのだろうか。
この仕事は、一般常識でいうところのブラックではないか。
自分にできるか。
最後に、やってみようと思えるか。
何も得ず、チラシは元に戻します。
僕は変われません。どうやっても、僕のままなのです。
そんな僕でも、やっぱり幸福には憧れていました。こんな僕でも、望んでしまうものがあるのです。自分の愚かさに甘んじながら。
続きます。