その7・「僕は気にしないから安心して」
(え、私?)
白くまばゆい光の球が眼前に迫り、私は思わず目を閉じた。
…………。
あれ。
何も起こらない――?
さっきの土人形のようにパーンと割れてしまう覚悟をしてたんだけど、痛くもかゆくもない。
そっとまぶたを開くと、周囲で乱舞してたヒュウンの魂の残滓も落ち着いて、広間は来た時と同じ、静謐な空間に戻っていた。
ただ、自分の体に何か異変が起こっていることは自覚できた。
セイルが、驚いたような目で私を見て絶句している。
「セイ……ル……?」
「アリヤなんだね。よかった」
「よかったって、何が――」
言いかけて、自分の声がおかしな聞こえ方をすることに気づいた。
まるで、さっきまでのヒュウンの声のような、不思議な響き……
はっと気づいて、恐るおそる自分の手を見る。
もっふもふの白い毛が、そこに生えていた。
「な……なな……」
ふるふると震えながら、両手を顔の前に掲げ、私は誰に向かってというわけでもなく叫んだ。
「なんじゃこりゃー!」
「落ち着きなよアリヤ」
セイルが私の肩に手をのせて言った。
これが落ちついてられる状況かぁ! 私、獣人になっちゃってるよ!
「どうして? 何がどうなってこんなことに?」
祟り? コヨーテ様の祟りなの?
私は見てただけなのに。や、まあ……ちょっともふもふとかしちゃったけど……でも祟るってんならセイルを祟るのが筋ってもんでしょうよ!
「セイル……どうしよう」
「僕も何がどうなったのか、正確にはわからないなあ。けど、形代の祭器である土人形が砕け散って行き場を失ったヒュウンさんが、代わりに君に憑依した、って考えるのが自然だろうね」
「……そっか」
「まあ、君の命と意識に別状無くてよかったよ」
セイルは心底安心したような表情で、私の頭をぽんと叩いた。
ひょっとして、心配してくれてたんだろうか。
たしかに生きてはいる。命あっての物種ともいうけど、でも。
「私、ずっとこのままなのかな――」
水盤をのぞき込むと、さっき見たヒュウンと同じ顔が水面に映る。その場にぺたりと座り込んで、私は肩を落とした。
「ああ、君が獣憑きでも、僕は気にしないから安心して」
セイル、それフォローになってない。何をどう安心しろと。気を使ってくれるのは嬉しいけどさ。
これから先、この毛深い姿で生きていかなくちゃならないのか。
そう思うと悲しくなってきた。もう人里には近寄れない。おしゃれもできない。メリットと言えば胸が大きくなったことぐらいだなあ。セイルは気にしないって言ってくれたけど、ホントのところどう思われてるか……
「……ねえ、セイルはイヌとネコどっちが好き?」
「ネコかなあ」
この流れなんだから、嘘でもイヌって言ってほしい。
いや、さんざんイヌイヌ言ってるけどコヨーテの精霊だよね。ごめんねヒュウン。
セイルと他愛もない話をしているうちに、だんだんと私は落ち着きを取り戻してきて、客観的に状況を理解できるようになってきた。
そういえば、ヒュウン自身の意識はどうなってしまったのだろう。私はこの体で、アリヤとしての意識を保っている。ということは――
「ヒュウンはどこに行ったのかな」
「……君がわからないってことは、たぶん、もう……」
そっか。――考えたくはないけど、もうこの世にはいない可能性が高いわけだ。
「術、失敗しちゃったんだね」
「……うん」
肩を落としたセイルに、何か慰めの言葉をかけようとしたその時。
「失敗はしてないよ」
声が――私とセイル以外の、誰かの声がした。
水盤の向こうに、もうひとり誰かいる。
「――誰?」
ヒュウンは光になって私に憑依した。とすれば、この場には私たち二人以外残っていない筈だった。
また番人だろうか? 確かめるべく立ち上がり、その「誰か」に目を向ける。
「そろそろ落ち着いた? 話を先に進めていい?」
人影がそう声をかけてきた。どこかで聞いたことがあるような、ないような、女の声。
「早く本題に入りたいんだけどね。あんたたちに聞いてもらわなくちゃならない話があってさ」
「うそ――?」
私たちに歩み寄ってきた人影。その姿をみて、私とセイルはふたたび絶句した。
それは、獣人化したことがわかった時よりも強い衝撃。
彼女の姿は――私がいつも鏡を見るときに映る姿。
アリヤ・ロモそのもの。
人間だった時のこの私自身と、寸分たがわぬ顔かたちの少女が、ちょっときまりの悪そうな笑顔を浮かべて、こちらを見ていたのだった。
どういうこと? どういうこと? 双子の姉妹とかいたっけ私?
自己認識の確かさが揺らぐような事実が、次から次へ畳みかけるように目の前に現れて、私は考えるのをやめたくなってきた。
「たぶんまだ混乱してると思うけど、時間ないから説明はじめちゃうね」
なんだか声や姿だけじゃなく、口調まで私そっくり。
容赦ないところも。
自分が他人からどう見えるかなんてあんまり気にせず生きてきたけど、見れば見るほど、この女の子は、私そのものだ。
「あんたが考えてる通り」
と、私の心の中を見透かしたように彼女は言った。
「私はあんた自身。アリヤ・ロモ。ただし――五年後のね」
――ええっと。
「五年……って……」
言ってる意味がよくわからない。
「いやあ、詳しくは説明できないけど、この下にあるムパンヤ人の遺跡の力でね、五年後から時間を遡ってきたんだよ。因果律を収束させるために」
時間を、なんだって?
因果律?
「にわかには信じられない話だねえ」
セイルは訝し気に、私ともう一人のアリヤを見比べて言った。
「コヨーテの精霊に化かされてるんじゃないかって方が、まだ現実味がある気がするよ」
「……ねえ、セイル。ひとつ聞くけど、その場合どっちが化かしてると思ってる?」
心配になって私が訊くと、セイルは悩み始めた。おいおい。
でも、私もセイルと同じ気持ちだ。
これまでの人生で、信じられないような数奇な事実に遭遇してきたことは一度や二度じゃないけど、時間を遡ってきた、なんて荒唐無稽な話は、さすがにすんなり受け入れられない。ていうか、ヒュウンが生きてるんならむしろそっちの方がいい。
「証拠を」
セイルが言った。
「君が、五年後のアリヤである証拠が何かあれば、見せてほしい」
「そうねえ」彼女は少し思案してから、
「――ほれ」
と服の裾をまくり上げてみせた。
自称五年後の私は、さっきまでヒュウンが着ていたのと同じ一枚布の胴衣を着ていたんだけど、その帯を解いておなかのあたりを私たちに見せてきたのだった。
わー! その衣装でそこをまくったら、下の方まで見えるじゃん。バカなんじゃないの?
自分とそっくりな娘が破廉恥きわまりない行動をとっているのは見るに堪えない。断じてこの痴女が五年後の私だなんて信じたくなくなってきた。
さしものセイルも赤くなって目をそらそうとしたが、自称五年後の私こと痴女に片手で頭を押さえられて、強制的に彼女のおなかをガン見させられることになった。
「あ、そっか。会ったばかりだし、まだそういう仲にはなってないもんね。でも見て」
彼女が示したのは、鳩尾のすこし右あたりにある小さな古傷だった。
間違いない。
今日あの時、毒ナイフに刺された傷――
私自身も自分のおなかをまくって、彼女のものと見比べて確認してみる。位置や傷の入り方が全く同じで、彼女の傷の方は私の傷よりも治りが進んでいる。
「どう? 信じた?」
「……この傷を君が負ったことを、ヒュウンさんは知らない筈だ。それを証拠として見せてくるってことは、少なくともアリヤ自身ということになるし、こっちのアリヤにも同じ傷があるとなると――確かに」
信じなくちゃならないんだろうか。全力で否定したいんだけどなあ。
「それで、さっきの話に戻るんだけどね」
私たちの答えを待たず、痴女アリヤは帯を結び直してから、水盤の縁に足を組んで座った。
「私は五年後の未来から、時を超えて、セイルが最初にこの遺跡を訪れるよりも、ちょっと前の時間に戻ってきてたの」
「じゃあ、僕と最初に会った時から……?」
「そう。ヒュウンの魂は、その時点ではすごく不安定でさ、そんな荒ぶる精霊には、冷静に交渉できる余地もなかったわけよ。そんな状態でセイルと接触してたら、どうなってたと思う?」
「まさか、セイルが……?」
あの光の奔流――もともと攻撃的な意思が無い状態で、術の力でなんとか制御していたけど、それでも不用意に触れれば生身の人間なんて消し飛びそうな力を放っていた。それが制御もされず暴走していたとしたら……
死ぬよね。多分。
五年後の私はこくんとうなずいて、
「まあ、私自身が経験したわけじゃなくて、あんたと同じようにこの時点で未来の私からその可能性を聞かされただけだから、実は大丈夫なのかもしれないけど。備えあれば憂いなしってことで」
「つまり、僕を助けるために未来から来たと? でも、君自身はどうやってその危険な精霊を手なずけたんだい?」
セイルの疑問はもっともだった。魔法に関しても遺跡に関してもズブの素人な私が、五年の間にそういった知識や技術に精通するようになるとは思えない。ってか現時点で私にはそうしたいって思えない。
その疑問に対して、彼女は自分の胸元の護符をひょいと指で持ち上げてみせた。
「この銀鎖の護符のおかげだよ。ありがとね、セイル」
「護符――そうか、わかった。人形じゃなくて、護符だったんだ」
「どういうこと?」
一人納得しているセイルに、私は訊ねた。
「つまりね、僕は最初から間違えていたってことさ。君が首から提げている護符こそが、コヨーテの精霊ヒュウンの本来の形代の祭器だったんだ」
セイルは確信を持ったような口ぶりで私に丁寧に説明した。
「話したろう? その銀鎖の護符は、山賊たちのぶんどり品を集めた宝物庫の中にあった。僕は、山賊が誰かから巻き上げったものだろうと思ってたけど、護符は実は、もともとこの寺院遺跡の中にあったものだった」
「遺跡の――つまり、ヒュウンのものだったってこと?」
セイルはうなずいた。
「形代として収められていた護符が、本来あるべき場所から山賊によって持ち去られたから、ヒュウンさんは暴走していた。けど未来から来た君によって祭器がその場所、つまり聖域に戻ったことで鎮まり、どうやったか知らないけど、護符に封じられた」
「でも、あんたはヒュウンから、護符じゃなくて土人形を取ってこいって言われたんでしょ?」
「そうだよ。そこの、五年後の君が化けたヒュウンさんからね」
「あ――」
そうか。騙されたんだ。いま目の前にいる、未来から来たという「私」に。
その「私」はにんまり笑って、セイルの推測を肯定した。
「ご名答。さすがセイル。――でも「化けた」ってのは正確じゃないね。そのうちわかってくると思うけど、獣人化してるときの私の中には二つの意識が同居してる。アリヤ――って自分に呼びかけるのも変な感じだけど、静かに心の中に耳を澄ましてみて」
「心の中――?」
「目を瞑って」
言われるままに、まぶた閉じて、意識を自分の内側に向けてみた。
「修業時代にさ、師匠に言われて半日瞑想してたこと、あったでしょ。あんな感じで」
確かにそんなこともあったなあ。でも、あの時は途中で寝ちゃわなかったっけ?
〈そこまで気負って瞑想することもなかろうぞ〉
耳の奥で、いや、頭の中で、そんな声が聞こえた。
〈種明かしは済んだかや? もはや妾とそなたは一心同体の身。望むときに妾はいつでもそなたの口から言葉を紡ぐことができるのじゃ〉
「ヒュウン! 生きてたんだ!」
〈呆れたことを申すものよ。妾は精霊。霊は不滅なるぞ〉
ヒュウンの意識は、確かに私の心の中に同居しているようだった。
「つまり、さっきはヒュウンの言葉を自分の口でしゃべらせてたってわけね」
腹話術みたいなもんか。
「うん。ヒュウンと示し合わせて一芝居打ったわけ。で、土人形を取りにいった結果として、セイルは銀鎖の護符を手に入れ、いったん遺跡の外に逃げて私に出会うことにもなった」
「…………」
「ちなみに、あの土人形は、前室にいた番人像と連動してて、上の階の祭壇から外すとこっちにアレが出現するようになってるの」
「そんな物騒な物をわざわざ取りに行かせて、何がしたかったんだよ私!」
「詳しくは言えないけど、笛の使い方にココで気づいてないと未来の遺跡調査に支障が出るから、ってとこかな」
なんか誤魔化された。けど話の辻褄は合ってるのか?
因果関係、何かおかしくないかな?
私の横で、セイルも頭を巡らせている。そして、何かを確かめるように質問した。
「ええと、君はこのあとどうするつもりなんだい? この時代にとどまることになるのかな?」
「まさか。帰るよ、五年後に。だん――未来のセイルが待ってるからね」
「なら、ヒュウンさんをわざわざ現在のアリヤに憑依させる意味がわからないね。せっかく護符に封じたんだ、君がそのまま五年後に持っていけば――」
「五年後に、この遺跡の調査は終わるんだよ。そして、私はヒュウンを護符から解放して、元いたこの場所に還してやった。その後なんだ、時間を遡ったのは」
「だとすると――」
「私が今のヒュウンにとり憑かれたまま未来に帰ると、ヒュウンが二人になっておかしなことになるから、ダメなんだってさ。未来のセイルが言ったことだから、信じてもらうしかないね」
それで、セイルに術を失敗させるという手間をかけてまで、今の私に、いったん自分に憑依させたヒュウンを押し付けたと。そういうことか。
理解した。
理解したけどね。
とんだ貧乏くじだよ!
ヒュウンが生きてて何よりだけど。
セイルが死ななくて何よりだけど。
私も生きてるけど。
結局、これから五年の間、獣人として暮らさなくちゃならないのは変わらないってことでしょ!
「あー、そんな目で見ないでよ。――まあ、私も五年前に同じよう「押し付けられたー」って思ったから、仕方ないんだけどさ」
未来の私はまた私の考えを読んだようだ。
「言い忘れてたけど、心配しなくても、銀鎖の護符を首から外せば獣人化は解けるから。ずっとそのままってわけじゃない。人間には戻れる」
あ、そうなんだ。正直、一番最初にそれを言って欲しかった……
でもそれだと――
「――せっかく似合ってるのに、人間の姿でそれを着けられないのは残念だけどね」
ニヤニヤしながらそう言われて、私は思わず赤面した。
何もかもお見通しってことか。もう彼女が未来の私自身なのは疑いの余地がなくなったなあ。
「ま、私も五年間我慢したんだから、あんたにもできるよ。あたりまえだけど」
「そういうことなら、わかったよ。観念して、五年間ヒュウンと運命を共にしよう」
「わかればよろしい。――セイルから、あんまり未来のことは教えるなって言われてるんだけどね、ヒュウンが憑いてたおかげで助かったこともあるから。悪いことばかりじゃないのは保証したげる」
そして最後に、未来の私は私とセイルの頭に両手を置いて言った。
「これからだから、ね」




