宇宙船ノーザンライツ①
星暦 2020年 7月
漆黒の宇宙に無数の星々が輝いている。
地上から見上げるそれとは違い、大気に揺らぐことはない。若い星は青く、それよりも年老いた星は赤い輝きを無限の闇に投げかけていた。一際星が集中している場所では、周りのガスやチリといった星間物質も照らされて、鮮やかな濃淡を生み出している。
まるで静止した時を眺めているような気分になり、スバル・エーテルは水晶の如く透き通った天井から目線をそらした。顎のライン沿って短く切り揃えたホワイトブロンドがその動きに合わせて揺れる。
もっとも、彼女の居る艦橋全体が無数の三角形で構成された透明な装甲で覆われているため、どこを向いたとしても嫌でも外の景色が目に入ってしまう。まるで巨大なクリスタルの中に閉じ込められているかのようだ。
唯一、半透明に変化しているのは自分や他の乗員の足元、船の制御卓が置かれている部分といった一定の圧力がかかっている箇所だけで、床と壁の境い目すらよく分からない。船の全球警戒には合理的な構造とはいえ、スバルは常に船外活動《EVA》をさせられているようで、あまり好きではなかった。
〈――うぷっ! 〝宇宙酔い止め〟もっと飲んでおけばよかった〉
しっかりと糊の効いた制服の圧迫感も手伝って、スバルは苦虫を噛み潰したような表情で生唾を呑み込んだ。
つい半日ほど前、この藍染めの制服に初めて袖を通した時のやる気と期待に満ちた眼差しはすっかり色褪せ、色素の薄い瞳はうっすらと充血している。
それもそのはず、士官学校を卒業したばかりの初任務で、誰がこんな星系外の誰も寄り付かないような岩礁宙域くんだりまで遠征する事になると思うだろうか。
〈クルーとの顔合わせを兼ねて可住宙域辺りをかる~く周遊して、本部に決まりきった定時連絡を入れるだけの簡単なお仕事だと思っていたのに……〉
今やスバルが乗る宇宙船〝ノーザンライツ〟は超光速通信でも、数分の誤差が生じる距離まで来てしまっていた。
〈それもこれも全部、あの円盤のせいだ!〉
スバルが見つめる先、ブリッジの中央に浮かぶシャボン玉のような球体スクリーンには空飛ぶ円盤の立体映像が映し出されている。
まるで五百ルクス硬貨のように扁平な形をした宇宙船――。
表面は鏡のように磨かれ、宇宙の闇とそこに浮かぶ星々を映していた。それがノーザンライツの前方、五十光秒の距離をゆっくりと回転しながら航行している。回転する円盤といっても、その構造は複雑で、一番外側の部分が左回り、その内側は右回り、そのまた内側は左回りと、見てるだけで宇宙酔いがヒドくなりそうな動きをしている。
スバルがスクリーンから手元の制御卓に視線を戻すと、数分前に入力した検索結果がようやく表示されていた。
スバルは口から違うものが飛び出ないように細心の注意を払いながら声を張り上げる。
「光跡一致しました。本船前方の不審船はアダムスキー・インダストリアル社製74年式D型輸送船と判明」
「74年式と言や……えっと、50年も前の船じゃないっスか。オレ、まだ生まれてませんよ」
スバルの隣でソナーやレーダーに目を光らせていた天測士官が軽口を叩いた。背は高いが胸板の厚みはとぼしく、中央を立たせるように短く刈り込んだ頭が特徴的だ。通信士官を志すスバルにとって同じ管制科の先輩にあたるが歳が二つしか違わないため、なにかと面倒を見てもらっていた。もっとも、下心を隠そうともしないその軽いノリには少々辟易していたが……。
「今どき高次光圧推進《HPLクラフト》はおろか、真空ソナーも装備していないようなクラシックシップが航行しているとは驚きですね」
天測士官の軽口に応じるように、操舵輪の前に立つ細身の人物がどこか憂いを帯びたため息をつく。
航法士官でこの船の副長でもあるため、確実に自分より年上のはずなのだが、色白で整った顔立ちからは年齢はおろか性別すら読み取ることができない。一方、その隣で壁に寄りかかっている臨検部隊隊長の顔には深いシワと傷跡が年輪のように刻まれていた。
「クラシックの何が悪い? 今どき、軍用艦以外で縮退エンジンなんて代物、そうそうお目にかかれるもんじゃないぜ? だいぶガタがきてるみたいだが、重力ホイールまわりは悪くない。ニュートリノキャブレターとエントロピーラジエーターを交換すれば、億は下らんぞ」
「……星運局の照会結果は?」
なにやらクラシックシップについて一家言ありそうな隊長のスキンヘッドを飛び越えて、副長がスバルに尋ねる。
「連合、及びその同盟国において一致する船籍は無いと回答しています。ウチの二課の方にも問い合わせてみまたしが、当該宙域における航行計画書は提出されていません」
「当然っスね。ここは岩礁が近くて、そこら中にデブリが浮いてるんだ。まともな船乗りなら避けて通る場所っスよ」
「マトモな船乗りならな……」
含みのある言い方をしながら隊長がブリッジの前方右舷側、一段高い場所に設けられた椅子を振り仰いだ。
「どうする船長? 未確認飛行物体――いや、プレミアモンの不審船が環境に悪い推進剤を撒き散らしながら、人目につかない宙域を漂ってるようだが?」
「当然、停船させて臨検ね」
ゆっくりと回転した船長席に腰掛けていたのは、若い女性だった。年は最年少のスバルとほとんど変わらない。けれども、長いブロンドヘアーを頭の後ろでまとめ上げ、藍染めの制服を隙き無く着こなす姿は実際の年齢よりも大人びて見える。
若き船長――カノン・ポーラスターは椅子から立ち上がると翡翠の瞳で、自分を注視するブリッジクルーの顔を見回した。彼らをはじめ、この船には百名近いクルーが乗っている。年齢も性別も、生まれた星すら違う者たちの生死がカノンの小さな両肩にかかっているのだ。
その重圧に押し潰されぬよう、カノンは背筋をピンと伸ばし、声を張り上げた。
「総員、戦闘配置――!!」
水晶のブリッジに、凛とした声がこだました。