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第三十三話 ありふれた日常

正樹たちは朝食を終えた後、そのまま東京へと戻って行った。二人で寄り添いながら、たまに顔を見合わせて笑い合っている姿はとても眩しかった。お似合いの二人だ。玄関先まで見送りしていた美咲は羨望の眼差しで見ていたが、ふっと息をつくとそのまま視線を上に向けた。雲ひとつない空が頭上に広がっている。この空は今でも変わらず和明のいる場所まで続いているのだろうか。美咲は瞳を閉じて大きく息を吸い込んだ。


「同じ空の下で応援してる」


高校生の和明の顔がふと浮かんできた。目を開けると坂道の向こうに小さくなった正樹たちがかすかに見える。今度会えるのは、たぶん結婚式で・・・・。晴れた夏の日に、幸せそうにほほ笑む二人に会えるだろう。その時、どんな自分が今を思いだしているのだろうか。美咲はほのかに感じた明るい未来に思いを馳せた。五月の風に揺れている木洩れ日に見とれながら。



*



午前十時。美咲は九階にある会社の会議室で、上海にある製薬会社との共同プロジェクトについての会議に出ていた。上司3人と同期の水無月愛と橋本貴明の6人に向こうの会社の3人のメンバーだった。よもぎの成分から新しい効能の薬が考案されることになっている。毎日の分析結果について議論が白熱していた。会議は昼過ぎまで続き、やっと昼休憩をとることができた。

会社近くのカジュアルなイタリアンレストランで、同期3人は遅めの昼食をとることにした。


「ああ、やっと一息つけるわね。」


ショートカットの髪に大きな瞳が印象的な水無月愛が、店員が運んできたお冷を一気に喉に流し込んで呟いた。隣で細いチタンフレームの眼鏡をかけた橋本が苦笑しながらうなづいた。

美咲は研究開発課、水無月は企画課、橋本は営業部と同期でそれぞれの部署から借り出され、このプロジェクトのメンバーとなっていた。


「なぁ、さっき言ってた案件なんだけど・・・。」


「もう、やめてよ。休憩時間ぐらい仕事の話やめよ。」


橋本の話を途中で遮り、愛は笑いながら適当にあしらうとメニューをめくり始めた。美咲はちらっと橋本の方に同情の視線を送ったが、すぐに愛の持つメニューを覗き込んだ。

大きな組織に入ると同期とはいえ、なかなか顔を会わすことさえままならない。畑違いの部署とはいえ、やはり同期は気のおける仲間だった。

運ばれてきたパスタを3人は黙々と食べ始めた。お腹がかなり空いていたらしい。あっという間に平らげると食後のコーヒーに口をつけ、やっと落ち着いた。


「なぁ、君ら明後日の水曜日空いてないか?久しぶりに同期で飲みに行こうって話が出てるんだけど・・・・。」


「えっ明後日?えらく急な話ね。でも、せっかくだし私行くわ。」愛はすかさず返事した。


「ごめん、私は遠慮しとくわ。」


「ええ、どうして? 行こうよ。沢中さんも」


「ごめん、その日早く帰らないといけないの。」


「何か急用なのか?」


二人から疑問の視線を投げられて、仕方なく美咲は説明した。


「この間、兄から電話がかかってきて・・・。」


「兄って、たしか双子のお医者の?」


「そう。正樹からわざわざ届け物があるから、必ず早く帰るようにって釘さされちゃって・・・。」


「へぇ、でも沢中さんて、ご両親と同居じゃなかった?別に沢中さんがいてなくても・・・。」


「うん、そう思ったんだけど、たまたま両親がその日旅行に行くことになってて。」


「そうか、残念だな。幹事の奴に沢中さんは欠席で伝えとくよ。」


「ごめんなさい。」


「ねぇ、それより沢中さん。そのお兄さんも独身なんでしょ? 私、紹介してほしいな。それか、そのお友達と合コンしたい。ねぇ、ダメかな?」


女子大卒で美咲より二つ年下の愛の言葉に美咲は思わず苦笑した。


「うん、よく言われるんだけど、正樹ずっと東京にいてなかなか帰ってこないのよ。それに、この間久しぶりに顔を合わせたんだけど、結婚が決まったみたいで・・・。」


美咲の言葉に二人とも驚いて顔を見合わせた。


「ええっ、結婚するの? ショックだなぁ。もっと早く頼めばよかったなぁ。」


「ごめんなさい。愛ちゃんならもっと素敵な人がいてるわよ。」


「・・・ははは。だといいんだけど。そうだ、沢中さんもフリーでしょ?早くお互い、いい人見つけようね。橋本君はもうあの受付嬢とうまくやってるからどうでもいいだろうけど・・・。」


愛はちらっと橋本の方へ視線を向けたが当人は知らん顔でコーヒーを飲んでいた。


「水無月さんは何も知らないんだな。」


「はぁ?何が?」


「沢中さんにはもう決まった人がいてるんだよ。」


橋本は今更のように話したが、美咲と愛はびっくりして固まった。


「ええ!? そうなの?」


「ううん、違うわよ。橋本君、何言って・・・。」


橋本は笑みを浮かべ困り顔の美咲をうかがっているようだった。その時、愛が勢いよく椅子から立ち上がった。


「忘れてた。私、やり残してた仕事があって・・・・。先に行くわ。」


自分の財布からあわてて昼食代を机に置くと、急いで店を出て行った。取り残された二人はあっけにとられて、愛が出て行った扉をしばらく眺めていたが、きまずい沈黙が続きそのまま店を出ることにした。橋本と並んで美咲は会社に戻る道を進んでいた。平日の昼のためか、大通りの車はかなり混雑している。


「橋本君、さっきのって・・・。」


「えっ、何?」


「私に決まった人がいるって・・・・。」


「ああ・・・。ごめん、かまかけただけだよ。たぶん、そうかなって、違う?」


「・・・・・。」


「ごめん。気にしないで、ただ、会社の中に君のことねらってる人結構いるんだよ。君は全然その気がないみたいだから。そいつらがかわいそうでさ。早くあきらめた方がいいと思ったんだ。」


「ごめんなさい。私・・・。」


「いや、別に君が悪いわけじゃないから。でも、好きな人がいてるんだろう?早くうまくいくといいね。」


橋本の言葉に思わず美咲は顔をあげた。大学時代に仲のよかった男友達の言葉とそのまま重なり、美咲は大きく目をみはった。昔、好きになりかけた人の優しい横顔が脳裏をかすめた。美咲より高い位置にある橋本と目が合い、すぐに驚いて視線を落とした。


「本当に素直だなぁ。・・・さぁ、早く戻ろう。沢中さん、またの機会にみんなで飲みに行こうな。」


橋本は苦笑しながら美咲にそう声をかけた。美咲もつられて笑い返したが、すでに頭の中はお昼からの仕事のことでいっぱいだった。



*



「ちゃんと戸締りして、火の元は気をつけてね。冷蔵庫に晩御飯用に材料適当に入れといたから。ああ、一人なんだし外で食べてもいいわね。それから・・・・。」


「お母さん、大丈夫よ。私を幾つだと思ってんの?そんなに心配しないで。それより二人でゆっくり楽しんできてね。」


翌日の水曜日の早朝、両親は北海道旅行へ出かけるべくスーツケースを手に持ち、玄関先に降り立っていた。さわやかな風が吹き、とてもいい天気で旅行日和だ。


「帰ってくるのは明々後日ね。気をつけて行ってきてね。」


「あなた一人で本当に大丈夫?」


「大丈夫よ。本当に心配症なんだから。それよりお父さん、急によく病院休めたね。旅行で仕事休むなんて初めてじゃない?」


「ああ、そうだな。代わりのの先生が見つかってよかったよ。正樹が急に旅行をプレゼントしてくれたもんだから、行かないと悪いと思ってね。」


「そのチケット、正樹からなの?」


「ああ、そうなんだ。必ずお母さんと二人で行けっていうもんだから。」


今日の日付が打ち出された航空券に目が行った。美咲は訝しげに思ったが、せっかくの旅行の当日に水を差すわけにもいかない。今日届くはずの正樹からのプレゼントがちらっと頭に浮かんだが、別に気にすることもないだろうと両親を快く見送った。二人を見送った後、しんと静まり返った家の中はとても寂しい。まるで世界に自分だけかと思うほど孤独に感じた。孤独?いいや、違う。なにをしても文句を言われない自由な時間なのだ。美咲はすぐに思いなおすと、早めの出勤のために支度に急いでとりかかった。




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