第二十二話 真剣勝負
落ち着いた懐かしい声が美咲の耳に届いた。黒の綿パンにチェックの半そでのシャツをはおり、平均的な均整のとれた姿態にやわらかそうなこげ茶色の髪が額にかかっている。サングラスを外した瞳からやさしい色の光が見てとれた。
「修ちゃん! どうしたの急に、びっくりした。」
「美咲、元気だったか?久しぶりだな。」
美咲は急いでその男性に駆け寄った。和明は驚いてその様子をただ眺めていた。はじめは誰だか全然わからなかったが、美咲の嬉しそうな顔と相手の顔を見比べているうちに和明はやっと人物を特定した。昔、美咲の家に遊びに行って、いつも離れたところからにこにこしながら見ていた年上の男の子の顔が浮かんできた。年の離れた兄の修司が帰省で我が家に帰ってきたのだ。修司は母親似の穏やかな性格で、勝気な正樹とは対照的に、昔はよくけんかしていた正樹と美咲の間にはいり、二人の仲裁をするやさしい兄だった。控えめな性格のせいか地味な印象は否めないが、美咲にとっては優しくて頭のいい自慢の兄だ。はじめ美咲を嬉しそうに見ていた修司は、視線を和明の方に向けて同じように微笑んだ。
「君は、和明だよな。大きくなったな・・前に会った時は、まだ小学生だったかな、見違えたよ。」
「修兄ちゃん、久しぶりです。お元気そうで・・。」
「ははは、そんなに丁寧に挨拶しなくていいよ。でも本当に驚いたな、あの和明がこんな男前になって美咲とまた一緒にいるなんて・・。」
修司は和明のかしこまった挨拶にきょとんとした顔をしたがすぐに目を細めて二人を見やった。美咲と和明は二人で顔を見合わせ、頬を赤らめた。
「修ちゃん、今日帰ってくるって言ってた?私、何も聞いてなかったけど・・。」
「いや、みんなを驚かせようと思って・・。さぁ、我が家へ帰ろうか。和明、君も一緒に来ないか?もし、よければ、美咲との話でも聞かせてくれ。」
修司は遠慮して断ろうとした和明を強引に誘い、三人で沢中家へと向かった。坂道で和明と別れようとした美咲は一緒に家に帰れることになり、心の中で修司にお礼を言っていた。修司は二人を車に乗せて、ゆっくりと坂道を登っていった。空は茜色に染まり、修司は久しぶりに見る我が家のたたずまいにほっと息をついた。美咲は大好きな修司と和明の間に入り、玄関の扉に手をかけて修司に声をかけた。
「お母さん、きっと喜ぶよ。いつも修ちゃんいつ帰ってくるかって言ってたから。」
「そうか、びっくりするかな。」
「和ちゃんもいてるし、きっと大喜びね。」
美咲は嬉しそうに二人に微笑み、修司も笑って返した。右手に大きなボストンバックを下げ、左手にはお土産でもはいっているのか紙袋の手がすぐにもちぎれそうだった。和明の手にも荷物が持たされていた。美咲は先に家に入り、奥の方へと進んでいった。しばらくすると美咲と共に驚いた顔をした母親の佐智子が現れた。
「ただいま、母さん。」
「修ちゃん、お帰り。・・もう、急に帰ってきて・・。さあ、早くあがって。あら、和ちゃんも・・どうぞ早く上がって。」
佐智子は修司を見て顔をほころばせ急いで荷物に手をかけたが、修司は重いからとその手を避けた。和明はせっかくの家族の団欒に水を差すようでやっぱり帰ればよかったと思っていたか゛、美咲に手を引かれ部屋に足を踏み入れた。
「やっぱり家は落ち着くなあ、ほっとするよ。」
修司はコーヒーを飲みながらソファでくつろいでいた。美咲と和明もその横に並んで腰掛けている。半年ぶりに会う兄に話したいことはたくさんあったが、隣にいる和明の手前恥ずかしさから美咲は口をつぐんでいた。その時応接間の扉が開かれ、正樹が部屋に現れた。
「兄貴、おかえり。あれ、二人とも・・。」
部屋に修司だけだと思って入ってきた正樹は、美咲と和明の姿を捉え驚いて声をあげた。
「もう帰ってきてたのか・・。ええと・・。」
デート楽しかったかと聞こうとしたが修司の手前、遠慮していると修司が軽く返した。
「ちょうど坂の下で会ったんだ。デートの帰りかな?美咲、水臭いぞ。いつから和明とその・・。」
修司は楽しそうに二人の顔を見た。正樹もなんと答えようかと考えている美咲の顔を眺めている。美咲は困った顔をしてうつむいた。何も言わない美咲の代わりに正樹が口を開いた。
「ついこの間さ。二人とも長い片思いにやっと終止符を打ったんだ。じれったいったらなかったな。兄貴は全然家にいてないから何も知らないだろうけど・・・。」
「正樹、うるさい。」
「はぁ?」
「余計なこと言わないで」
「あのなぁ、俺がどんだけ気ぃつかって・・・。」
美咲は顔を赤くして正樹を睨んだ。隣で和明が苦笑している。修司は興味深そうに二人を見やった。
「へぇ。小学校の時からだもんな。昔、美咲が泣いて学校から帰ってきた時のこと思い出すなぁ。和明、必死で玄関先で美咲が出てくるの待ってたのに美咲、結局部屋から出なかっただろう。あの時、たしか俺高校から帰ってきたとこに和明がずっと前で待ってたんだよな。・・・たしかあれ以来だよな、顔合わすの。そうか、初恋が実ったんだなぁ。よかったな、二人とも。」
修司は感心するように一人うなづいていた。美咲と和明は修司の言葉に驚いて顔を見合わせ、うつむいた。
「兄貴、和明めちゃめちゃもてるんだぜ。成績はトップクラス、運動神経抜群でそのせいで俺の存在がかすんで見えるんだよ。」
「へぇ、そうなのか?」
「正樹、お前変なこと言うなよ。修兄ちゃんが誤解するだろう。」
和明はあわてて否定したが修司は興味深そうに正樹にその続きを促した。
「和明はスポーツなにやってるんだ?」
「バスケだよ、中学からずっと。」
「ふうん。・・・和明、俺と勝負しようか。」
「へ?」
「将棋だよ、昔教えてやっただろ。今の和明とやってみたくなった。昔は相手して負かしたらすごい悔しそうな顔してたよな。何度も何度も勝負して、懐かしいな。」
なにを急に言い出すのかと三人は顔を見合わせた。昔小学生の時に三人とも修司に将棋を教わった。三人とも夢中になりよく相手していたが和明がダントツに強かった。頭のきれる二人の勝負はどちらが勝つのか見物だと正樹は楽しそうに将棋盤を持ってきた。
゛測られている゛和明は口元は笑っているが目は真剣な修司の顔を見てそう思った。おかしなことになったと和明は面食らっていたが修司の「俺に負けるぐらいの奴に美咲はやれない」と言った言葉に乗せられ、真剣な面持ちで駒を進めることとなってしまった。
「昔はハンデつけてたけど今はもう必要ないよな。」
「俺将棋するのかなり久しぶりなんだけど勝てるかな・・。」
二人は笑いながら駒を並べた。穏やかだった部屋は急に緊張感が沸き、修司の急な提案に美咲も固唾をのんで見守っている。取っては取られるの繰り返しが続き、ほぼ互角の戦いが続いていた。いつのまにか時間もかなりたっていたのか、佐智子が部屋をのぞきにきたがそのまま出て行ってしまった。和明は真剣な表情で盤の隅々まで視線を走らせている。ふと心配そうな美咲の方に目を向けるとわずかに口角を上げ微笑んだ。その時なぜか美咲は和明の勝利を確信した。その後も黙々と二人とも駒を進めていたが、一見修司の方が優勢かと思われていたのに和明の一手でがらっと形勢が逆転してしまった。修司は余裕で指していた状態から一転し、驚いて和明の顔を見た。先ほどと何ら変わらない状態で盤の上に視線を落としている和明がいる。修司はあわてて盤の上に目を走らせたが、このまま続けても結果が変わらないことに気づき大きなため息を落とした。
「・・・俺の負けだ。お前、強くなったなぁ。」
修司は感心して嬉しそうに笑っている和明の顔を眺めていた。