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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

なまえをよんで!

甘さは控えめで!

作者: 行田 あやこ

「好きです!」


 ずいっと、目の前に小さな箱が差し出される。可愛くラッピングされたそれを握る手は、見ているこちらが可哀想に思うくらい震えていた。


「ええと……」


 津田は驚いて瞬きを繰り返す。

 同じ色使いの制服に身を包んだ少女は、じっと津田の言葉を待っていた。

 ずきりと胸が痛むのを感じながら、意を決して口を開く。


「……気持ちは嬉しい、けど、ごめん」


 甘酸っぱい気持ちを向けられることはもちろん嬉しい。しかし、その想いに応えることは出来ないのだと、揺れる瞳から目を逸らさずに伝えた。

 少女は潤んだ瞳から涙を零すことはせず、けれど声を震わせて「ありがとう」と笑う。


「じゃあ、チョコだけでも受け取ってくれないかな……」

「……ごめん、甘いものは苦手で……」


 甘いものが苦手。体のいい断り文句として使う人間も中にはいるかもしれないが、津田の場合は本心だった。チョコレートやクリームなど、甘いものの味や匂いで吐き気を催してしまう。

 嘘ではないということが伝わったのか、はたまた彼女が引き際を弁えている子だったのか。少女はもう一度礼を言い、足早に去って行った。

 津田はほっと息を吐いて肩の力を抜く。


 今日は、二月十四日。

 世の女性も男性も浮き足立つバレンタインデーだ。





   甘さは控えめで!





 放課後の主な活動場所である風紀室。その扉を開けた瞬間、色とりどりの箱やら袋やらが視界に飛び込んできて、津田は思わず顔を引き攣らせた。


「おお、津田。遅かったな」


 いつになく上機嫌な声で津田を迎えたのは、副委員長である吉野だ。――いや、三年生である津田たちはもう引き継ぎを終えたため、吉野は元副委員長ということになる。後輩たちに縋られて顔を出しているだけだ。

 すでに揃っていた他の委員たちに挨拶をしながら扉を後ろ手に閉める。


「今日はバレンタインだもんな。女子から呼び出しか?」

「茶化すなよ……。甘いのダメだし、ほとんど話したことのない子だったから断った」

「ふぅん。もったいね」

「そういうお前は相変わらずおモテになるようで」


 紙袋から溢れんばかりのチョコレートらしきもの。扉を開けて真っ先に飛び込んできた色とりどりの箱たちは、どれも吉野に贈られたプレゼントたちだった。

 人は良いが恋愛にはなかなか発展しない。そんな津田と違って、吉野はとてもモテる。それを自覚しているからこそ、毎年バレンタインデーは上機嫌なのだ。


「まぁ、全部が全部本命ってわけじゃないだろうけどな」

「そうだとしても、その数はすごいだろ」


 ちっとも羨ましいとは思わないけれど。あれだけの量のチョコレートを考えるだけで血の気が引きそうだ。

 津田は二の腕をさすりながら、座り慣れた奥の席ではなく吉野の隣に腰掛ける。

 引き継ぎをしてすぐの頃はつい癖で委員長が座る奥の席に座ってしまい、吉野を始めとする他の委員に笑われてしまっていた。今ではそんなこともなくなり、慣れてしまったことに少しだけ寂しさを感じる。

 一人だけしんみりとした空気に包まれていると、机の上に何かが置かれた。


「……コンポタ?」


 今の時期はどの自動販売機にでも入っているであろう、黄色やオレンジ色で彩られたコーンポタージュの缶。


「ぬるい……」


 刺すような冷たさはないものの、購入直後の温かさもない。


「言っとくけど、俺からじゃねぇからな。俺が来たときにはもう置いてあったし、他の奴らも知らねぇって」

「え? じゃあなんで俺に――」

「よく見てみろよ」

「……?」


 吉野に言われ、缶を手の中で転がしてみる。

 一見ただのとうもろこしの絵が広がっているだけだが、よく見ると小さく文字が書かれていた。


『津田へ』


「あ……」

「な?」

「いや、だけど、なんだっていきなりコンポタなんか……」


 そもそも、差出人は誰なのだろうか。この中に目撃者はいない。津田自身も心当たりはなかった。――一体誰が、何の目的で。

 頭を悩ませながら、プルタブに爪をかける。何度か空振りしてカリカリと音が鳴った。


「えっ、ちょ、おまっ――」


 カシュッ。缶が開いた音と、吉野の慌てたような声が重なる。

 友人の信じられないと言いたげな表情を見て、しまった、と手元に目を落とした。


「振ってない」

「そこじゃねぇ!」


 間髪を入れずにツッコまれる。もしも彼の手にハリセンが握られていたのなら、確実に振り抜かれていただろう。無論、津田はボケたつもりなど一切なかったのだけれど。


「お前、それを飲むつもりか? 誰が置いたのかもわかんねぇのに……」

「俺宛てだし、別にいいだろ。缶なんだから毒入りってわけでもないだろうし」

「飲み口に塗ってある可能性も」

「怖いこと言うな!」


 不覚にもゾッとしてしまった。

 誤魔化すように缶を(あお)る。どろりと流れ込んできたそれはやっぱりぬるかったけれど、何の変哲もないコーンポタージュの味だ。


「バレンタインだっつーのに、冷めたコンポタなんて寂しい奴だな」

「うるさい」


 一気に缶を空けた津田の横で、吉野が「あっ」と声を上げる。


「今度はなんだよ」

「いや……、お前さ、甘いのダメなこと、相川あたりに話したか?」

「相川? ああ、この前なんとなくそういう話になって」

「なんとなく、ねぇ……。そうか、バレンタインか」

「なに」

「いいや?」


 意味深な濁し方をしたと思ったら、先ほどの慌て様が嘘のようにニヤついている。

 気にはなるが、どうせのらりくらりと躱されてしまって終わりだ。いくら問い詰めても楽しそうな笑みを浮かべたまま逃げられてしまうに違いない。

 津田は早々に諦めて、後輩を指導するため席を立った。



   * * *



 バレンタインデーから二日が経ち、校内はあっという間に落ち着きを取り戻していた。


「あ、津田くん」


 担任に頼まれた雑用を終えて廊下を歩いていると、のんびりとした声が背中に飛んできた。

 振り向けば、相川がひらひらと手を振っている。その後ろには、相変わらず不機嫌そうな三國の姿。


「帰りですか?」

「ああ、ちょっと雑用を頼まれてさ。終わって今帰るとこ」

「そうなんですね。僕たちも今から帰るところです」

「みたいだな」


 相川と何気ない言葉を交わしながら、三國も誰かと一緒に下校したりするんだなぁと不思議な気持ちになる。

 無意識に三國の整った顔を見つめてしまうも、視線は絡まない。彼がずっとそっぽを向いてしまっているからだ。

 いつだったか。ほんの少しのアルコールで酔ってしまった彼と眠ったのは。あれから、彼は一段と津田を避けるようになった。


「あっ、そういえば!」


 相川の声に、三國の頬を射抜いていた視線がようやく外れる。

 優しそうな垂れ目を細め、相川はどこかわくわくとした様子で尋ねてきた。


「会長からのバレンタインプレゼントはどうでしたか?」

「へ?」

「いくら甘いものが苦手だからって、バレンタインにコーンポタージュは色気がないと僕も言ったんですけ――むぐっ」


 不自然に言葉が途切れる。相川の口を大きな手のひらが覆っていた。


「み、みくに……?」


 柔らかそうな頬に、三國の骨ばった指が食い込んでいる。さすがに力を入れ過ぎではなかろうか。


(――ってか、バレンタイン? コンポタ?)


 説明を求めるように三國を見やれば、その耳がこれでもかというほど真っ赤に染まっていた。


「この馬鹿……!」


 手に力を込めたまま、三國が低く恨めしげに唸る。

 津田はぱちくりと瞬いた。


「え、あのコンポタって三國が置いたのか」


 想定外の事実だ。

 刹那、三國のものと思われる鞄が顔面に飛んでくる。


「へぶっ」


 予想以上に重たい一撃だった。きっと教科書や辞書が入っているに違いない。教科書をきちんと持ち帰っているなんてこれまた意外だ。試験前だけ死ぬ気で持ち帰る津田とはわけが違う。

 そうしている間に、耳を真っ赤に染めたままの三國は脱兎の如く走り去ってしまった。


「……大丈夫ですか?」

「……なんとか」


 赤くなった鼻を押さえ、床に落ちた鞄を拾う。やっぱり重たい。


「すみません、余計なことを言ったでしょうか?」

「いや……」

「てっきり手渡ししたものとばかり……。まさか差出人不明のままだなんて思ってもいませんでした」

「俺も、まさか三國からだなんて思ってもなかったよ」


 言われてみれば、『津田へ』と書かれた文字は三國の字に似ていたかもしれない。さすがに缶には書きにくかったのか、いつもよりも崩れていたから気が付かなかった。

 あの綺麗な少年が自動販売機でコーンポタージュを買ったのかと思うと、なんだか不釣り合いで笑えてしまう。


「とりあえず、この鞄はどうしたらいいんだろうか」

「会長なら今頃きっと、とぼとぼと駅に向かっていますよ。定期だって鞄の中でしょうし、予習復習をきちんとする人ですからね。無いと困ると思います」

「遠回しに俺に走れと言ってるな、相川さん」

「バレましたか」


 悪戯っぽく舌を出す相川に、津田は肩を竦めた。

 自分の鞄に加え、この重い鞄を抱えて走るなんて考えただけで嫌気が差す。それでも放って帰ることができないのは、とぼとぼと鞄も持たずに歩く三國がなんだか間抜けで少しだけ可愛く思えてしまったからだ。


「それじゃあ、ひとっ走りしてきますよ……」


 まずは教室に戻って自分の鞄を持たなければと、相川に別れを告げて背を向ける。

 数歩進んだところでふと気が付いて、背後を振り返った。線の細い後姿に呼び掛ける。


「なぁ、相川」

「はい?」

「この場合は、ホワイトデーにお返しすべきか?」


 津田の問いに相川は一瞬きょとんとして、それから、満面の笑みを浮かべて頷いた。



 重たい鞄を抱え、津田は考える。

 お返しにコーンポタージュを贈ったら、彼はどんな顔をするだろう。怒るだろうか。それとも、自分の選択がそのまま返ってきて戸惑うだろうか。


 後日、名前呼びに戻すことが今一番のお返しだと相川にアドバイスされた津田は、再び三國の鞄を顔面に受けることになる。

2015.02.14

2017.09.10 加筆修正

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