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天の公僕  作者: denpa21
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風雲、急を告げる

順治帝の治世もいよいよ17年。

昨年には明旗を掲げる台湾での鄭成功による北伐を阻むことに成功し、これにより清国は名実ともに中華の覇者となった。

これにより、いよいよ腰を据えて内政に従事する事が可能となり、今後の国内発展と国民の穏やかな生活が見込めるようになった。

若き皇帝にもしものことがあったとしても、清国の正統をつなぐ皇子達もいる。

もはや栄政を阻む存在もなく我が世の春を迎えたのだった。


順風満帆。

一見なにも問題がないようにみえた。


しかし、秋になると事態は一転する。

董鄂妃の容体が急変したのだ。

精神的に弱っていた愛妃はこの一年間食べる事さえ拒み続けていた。

元々、触れると折れてしまいそうな嫋やかさを秘めた体つきだったが、拒食により弱り、ついには病魔に抗うだけの体力も残っていなかったのである。

季節の初めに、ほんの軽い風邪を引いた。

最初はわずかに咳を繰返すだけだった。

福臨も心配でたまらず何度も愛妃の下へ見舞いに行った。

わずかだが、胃にやさしい粥なども食べさせ、少しでも体力を養わせようと試みた。

最愛の人を失いたくない、その為にも必死で何か病気を治す方法はないかを考えた。

だが、それでも手遅れだった。


順治17年8月19日(1560年9月23日)、福臨は最愛のひとを失った。

享年22歳、愛する人を失うには早すぎる。

葬儀に際して、福臨はすぐさま宣言した。


「追号は孝献皇后、埋葬は自身が弔われる予定の清孝陵に合葬とする。」


一人の妃に、しかも次代皇帝の生母でもない。

それを死後とはいえ皇后位につけ、自分自身と同じ墓陵に埋葬するなどかつてない事だった。

その内容には、董鄂妃への愛と悲しみがにじみ出ている。


「愛妃よ、朕は許しておらんぞ、一人だけで後宮をはなれるなど…」

葬儀も終わり、10日かが過ぎた。

臣下の者たちも困惑していた。

彼は皇帝、彼が望めば国中の美女が集まるのだ。

だというのにただ一人の女を想い、悲嘆にくれている。

日中の政務は愛妃への哀しみを忘れる為にか積極的にこなしているので支障はない。

だが、どこか無理をしているのは誰の目からも明らかであり、日に日に顔もやつれていった。

内大臣を務める索尼ソニンはそんな皇帝の姿に一抹の不安を感じていた。

「何事もなければよいのだが…」

杞憂かもしれないが、どうしてもその不安を払うこともできなかった。

今日の政務も無事終わった。

しかし、最近では変わった言動も増えてきた。


「朕は前世では僧侶であった。

今も心の中は仏法に帰依しているのに、なぜこの度は皇帝になんぞ生まれたのか。

可能であるならば世俗を離れたいものだ。」

元々、福臨は幼少期から仏教に傾倒していたのも事実。

それでも、さながら皇帝位を捨てるかのようなこの発言はあまりに無視できない。

だからこそ、ソニンは侍従達にも福臨の行動に気を付けるように注意をする事にした。

なにかが起こってからでは遅いのだ。


そのように考えていながらも、ソニンたちの心配を他所に福臨は五台山清凉寺に来ていた。

政務をある程度まとめて終えた福臨が一日寺に籠って愛妃の冥福を祈りたいと言い出したのだ。

深い悲しみは時間が解決する他ない。

家臣一同もその程度の事で皇帝の気が休まれば良いと考え、寺への行幸を認めたのだった。

そして、本堂に籠ると福臨は人を遠ざけた。

幾人かの侍従は衛兵もつけず皇帝を一人にしておくことは出来ないと諫言するも、頑として首を縦に振らなかった。

「朕は一人愛妃との日々を想いながら、朕自らの真心を以て弔いたいのだ。

だというのに其方達が傍に控えるのは無粋である。

今日のところは控えよ。」

世の皇帝にこのように言われてはどうしようもない。

ソニンは本堂扉前に衛兵を控えさせることにした。


みな、本堂から出て扉を閉める。

しばらくすると、中からは愛妃を想い、一人声をあげて泣く男の声が響いていた。。




-------------------------------


次の日の朝、いつまでも出てこない福臨を心配してソニンは様子を見に来た。


「皇上、そろそろお時間です。」

しかし、いつまで待っても中から返事はない。

何かいやな予感がした。

こういう時の予感と言うのは悪い方向で的中するものだ。

ソニンは連れの者達を外に待たせ、一人早足で本堂に入っていく。

「皇上、起きておいでですか?

ソニンが参りました。

どちらにおいでですか?」

声を掛けて回るが、ソニンの声だけが広い本堂の中を響き渡る。

呼びかけに答える声もなく、普段なら幽玄としたこの空間を何やら得体のしれない雰囲気が支配する。

香木に紛れてわかりにくいが奥からは白檀以外の鉄さびた臭いがする。

最初はその足も早歩き程度だったが、今では気づかぬうちに駆け足になっていた。

しかし、本堂中心部にある文殊菩薩の前でその足が止まった。

「皇上…。」

呆然と立ち尽くすソニン。

彼は今この現場を見て、自分の意識を手放さないように必死だった。

「なぜですか、皇上…。」

血だまりが出来ていた。

人一人の体に一体どうやってこれほどの血が入っていたのだろうか。

振るえる足を一歩、また一歩と前に進める。

まだ血だまりは乾ききっていないようだ

中心には物言わぬ骸となった皇帝が横たわっている。

わかっている。

もう手遅れであり、既にこの世を発っている事はわかっている。

だが、じかに確認するまでは確信したくなかった。

今ようやく叶った中華の統一。

若き皇帝はまだまだ24才と若く、智勇に優れ、この清国の発展はこれからという時に…。

ソニンはこれからの清国を思い、知らず間に涙を流していた。


ふとソニンは文殊菩薩の足下を見た。

そこには福臨がしたためた遺書が残されていた。


「朕は第三皇子玄燁に後継を指名する。

彼の物は未だ7歳ながら智に優れ、覇気もあり、王たる資質を備えている。

加えて、彼は朕の皇子達の中で唯一、幼きときに一度天然痘にかかっている。

彼の者の治世なら国内を長くまとめる事が出来るだろう。

しかしながら、その歳未だ若く、親政を行うにはもう幾年か必要となる。

今後の大清国を担うには彼の者を支える者が必要である。

よってソニン(索尼)、スクサハ(蘇克薩哈)、エビルン(遏必隆)、オボイ(鰲拜)の4人に輔政大臣の位を授け、玄燁による親政が始まるまで4人で合議して内政に当たるよう命ずる。

玄燁を宜しく補佐し、大清国のさらなる発展を願う。」


勝手なものだ。

自らは愛妃を追ってこの世を去り、未だ7歳の息子に大清国皇帝という重荷を背負わせるのだ。

自分でも幼少の頃から帝位に付けさせられ、摂政王の補佐の下、苦労してきたはずなのに同じ運命を実子にさせている。


ソニンは苦笑いを浮かべて遺書を読んでいた。

しかし、何より今重要なのは「皇帝の自殺」。

この事実を如何にして隠すかが、ソニンに求められた課題であった。

台湾北伐を阻んでまだ1年、国内をようやく平定したばかりだ。

そのような状態で天子たる皇帝が自ら命を絶ったとあれば、今まで押さえつけていた漢人は勿論、平西王呉三桂を筆頭とした漢人武将達はどのように動くであろうか?

呉三桂に限らず、清は中国侵入にあたり尚可喜、耿仲明らの漢人武将を重用している。

彼らの軍事力は清にとって大きな価値があり、また脅威でもあった。

今ここにきて、彼らに反乱を起こされてしまうと、また戦が続く日々へとなってしまう。


考えに考えを重ね、ソニンは外の衛兵に急ぎ典医を呼びに行かせた。

それから時間をそう空けず典医は本堂に着き、彼一人だけを伴って遺体が置かれた場所まで案内した。

場所に着くなり皇帝の遺体を見た典医は顔を真っ青にさせ腰を抜かした。

「私は見てはいけぬものを見てしまいました。

内大臣閣下、閣下は私に何を求めていらっしゃるのでしょうか?

私如き人間ではお力になれぬかと存じますが…。」

典医も気づいている。

この件が公になる事がいかに危険な事かを。

自分がこれから迫られる選択肢の一つでも誤れば消されてしまうだろうことも。


ソニンは典医の様子を見て、まずは落着かせるような口調で冷静に一つ一つ遺書も交えて説明していく。

「典医殿、落ち着かれよ。

残念ながら、皇上はご自身の意思で天に帰られた。

幸い後継を定めた遺書もある。

しかしながら、次代の皇帝はまだまだ幼いのだ。

だからこそ、大清の忠臣である其方にお頼みしたい。

皇上がご病気になり、治療の甲斐なくお亡くなりになられたと事実を改めてもらいたいのだ。

これが公になればおそらく大清国は崩壊するだろう。

今、大清国の命運は其方にかかっているのだ。」


その切羽詰まったソニンの言葉に典医も頷く他なかった。

彼には最初から拒否権などないのだから。

断ればこの場で首を切られ、別の典医が同じことを依頼されるだけだ。

自分が頷き、黙っていればそれで済むのだ。

典医は頷きながら、誰に言うでもなく話し始めた。

「皇上は本日倒れられた。

診断致したところ天然痘と見受けられます。

これより快方されるまでは部屋の中に誰も近づいてはなりません。

すぐに籠を用意させ、皇上の身を養心殿へお移し下さい。

内大臣閣下は、身の回りを世話させるものを慎重に選び、養心殿から出ないようにご手配ください。

なお、今身に付けているものは天然痘に侵されているかもしれません。

出来る限り燃やしてしまった方がよろしいかと存じます。」


その言葉に頷きながらもソニンは驚いた。

「後々世話係の者も天然痘に感染したとして口封じに処分すると捉えてよいのか?

その上、皇上の身も荼毘にふしてしまうというのか…」

「内大臣閣下、関係者は少ない方が良いかと存じます。

どのように対策を講じてもどのようにして漏れるかなどわからないのですから。

また、皇上の死は四ヵ月後の元旦明けがよろしいかと存じます。

それまでにご遺体が腐乱に耐えられないので荼毘にふすのです。

幸い皇上は仏教に心を寄せられていたので問題にはなりません。

ご葬儀の際には替え玉を用いて、最後に皇上のご遺骨と取り換えましょう。

私も全てを終えた後、自ら命を絶とうと考えております。

対面としては皇上に殉じるとしていれば周囲の不信は無いでしょう。

ですから、あとの始末は内大臣閣下にお頼み申します。」

「かたじけない。

其方のような忠臣は大清国の宝だ。

貧乏くじを引かせてしまい申し訳ないが、家族の事は私が面倒を見るので心配するな。

宜しく頼む。」



こうして、順治18年1月初7日福臨は天然痘により若くして崩御したこととされた。

順治帝享年24才、大清国の実質的な初代皇帝として廟号は世祖を送られた。

慌ただしく行われる皇帝交代の裏で活躍した典医の名前は正史からも完全に消され、その事実は最後まで漏れる事はなかった。


前話でのあとがきの様に一般的には順治帝の死は天然痘によるものと考えられています。

俗説にもある潭柘寺、もしくは五台山清凉寺で得度して愛妃の御霊を鎮めるというのも素敵ですが、私はどうしても順治帝の恋愛エピソードには興味がわきませんでした。

なのでこの二つの中間でなぜ玄燁が急遽皇帝位に就かなければならなかったのか理由を考えてみました。


因みに話の中に出てきた文殊菩薩は順治帝も康熙帝も度々参拝しているようですね。

元来、清朝皇帝はチベット仏教では文殊菩薩の化身と見なされており、満洲人の民族名となったマンジュは、サンスクリット語のマンジュシュリー(文殊師利→文殊菩薩)に由来するという言い伝えもあるようです。


順治帝も亡くなり、もうそろそろ本編に入れそうです。

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