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天の公僕  作者: denpa21
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偉大なる父

古代から中国では『紫微正中』、『太平天子当中坐』(太平の世に天子が世界の中央に坐す)と言う。

その言葉の由来とは、まず天上には太微星、紫微星、そして天市星という三つの大きな星座がある。

その内、ひときわ輝く紫微星、すなわち北斗七星はその中央に位置し、多くの星がこれを取り巻き守っているので、『紫微正中』、天子の象徴とされている。

天上の中央は紫微星。

なら天下の中央はどこにあたるのか?

場所ならば先に触れた中華思想を下に造られた広大かつ壮大な紫禁城であろうか。

だが、人たる天子であれば同様に語る事は出来ない。

人の歴史は良くも悪くも移ろいでいくものだ。

幾千年の歴史の中で何十人何百人もの天子が即位した。

即位に至る経緯も様々であり、その施政もやはり異なる。

善良な者、猛々しい者、無力な者、横暴な者、欲にまみれた者。

その時々、時代の天子によって下々の生活も大きく変わる。

天子次第で。

しかし、天子とは元来、天帝より中華を任された徳の高い綺羅星の如き人間の事である。

中華史上を遡り、人の世に道しるべを示す事が出来た天子が一体幾人いた事だろうか?

歴史はその答えを全て知っている。

その中でも一際輝いた中華歴代最高の皇帝・聖祖と呼ばれた男が最も後生の人々を導いたことも。


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順治16年3月(1959年5月)、5歳の誕生日を迎える玄燁は乾清宮東廡に来ていた。

乾清宮東廡、ここでは清朝皇族の子供たちが一堂に集まり、未来の清国を担うために勉学に励んでいる。

周りはみな玄燁と同じくらいの年代である。

いつもは和気藹々ふざけ合う事もある楽しい教室だが、みながみな今日は借りてきた猫の様に物音一つ立てず中央の教台に視線を向けて立っていた。

周囲に侍る家庭教師の先生方も同様だ。

玄燁も緊張していた。

楽しいはずの誕生日。

周りの人間も今日は朝からいつも以上に玄燁をもてはやす。

母も自分の成長を心から祝福してくれた。

しかしどうだろう。

これから起こる行事を前にして、素直に喜ぶことなど出来なかった。

なぜなら、今日はここで父に会える。

その事実が自分に、いやここにいる全員に失敗を許さぬ張りつめた緊張感を与えていた。

子供が父に会う、ごく自然の行為であるが彼の立場では自然という言葉が不自然である。

彼の場合は父親に簡単に会う事などできないのだから。

それもそのはず、彼の父親は大清国第3代皇帝・愛新覚羅福臨、後に元号から順治帝と呼ばれる男である。

そして、彼の立場は偉大なる皇帝の第3子。

上にはもちろん兄もいるが、一人は既にこの世におらず、もう一人は妃が産んだ庶子であった。

父は未だ若く20歳。

この頃は10人生まれても6人が成長できるかできないかという時代だ。

福臨の子供の内、成長できた者も数少ない。

だからだろうか、周囲の彼に対する期待は強く、勉学に励む際にも求める水準が非常に高かった。

しかし、彼はわずか5歳ながら既に書・算・暦・武において非凡な才能を周囲に示し周囲の期待に応えてきた。

その話が父の下に届き、この誕生日を機会に次代を継ぐに足るか視察に来ることとなったようだ。

絶対不可侵たる地位に就いている偉大なる父が、今後を見測る為に玄燁の資質を試しに来るのだ。

現皇帝に認められるか否か、自分を売り込む最大の機会が訪れた。

一世一代の大勝負まで、待っている間の一刻一刻が永遠のように感じる。



しばらくすると、回廊がざわつき出した。

時間と共に地面を蹴る靴の音も次第に近づいてくる。

元々静かだったこの部屋では、近づいてくる靴の音がよく響く。

一人文官が先に部屋に入ってきて口上した。

「皇上のおなりである!」

その口上を皮切りに幾人もの侍従と近衛を引き連れ、いよいよ父たる皇帝が子供たちの前に姿を現した。

重々しい雰囲気に反するように、宮中では至る所から花管の声や女官の華やいだ声が聞こえる。

中央の教台に坐し、こちらに向いた瞬間を計り、子供たちは一斉に頭を垂れ、拱手礼をとり、挨拶をした。

「皇上の僕がご挨拶いたします。」

福臨は満足げに頷きながら話を始めた。

「其方らが元気にしているようで何よりである。

興国間もない大清国にとって其方ら次代を担う皇族は宝である。

今日はその成長がいかほどのものか確認するために参った。

気を楽に持ちいつも通りの実力を見せなさい。」

皇帝に言葉で気楽せよと言われても実際に出来る子供などいないだろう。

それが実の親子であったとしても立場の違いに萎縮するのが普通である。

皇帝と皇族、その間には絶対的な力の差があるのだから。

しかしどうだろう。

周りが委縮し、より一層固まり震えているのに対して、玄燁からは緊張は感じられるが恐れを感じさせない。

皆は教台に坐す皇帝を見ないように伏し目がちに頭を垂れているが、玄燁からは隙あらば父の顔を見てやるという気概が見受けられる。

本来であるならば、皇帝に対する不敬そのものであるが、子供ながらの決意の表し方なのだろうか。

福臨はおもしろいものを見るように注目をしていた。

元より今日の目的は玄燁であった。

早速と言わんばかりに声をかける。

「阿瑪(玄燁のこと)、お前も5歳になった。

朕は今の其方と同じ5歳の時に帝位についた。

朕はその時すでに皇帝であった為自由などなかった。

お前は皇族であり、朕の嫡子である。

皇帝ではないが平民の子供の様に自分の気が向くままに遊ぶという事は出来ない。

それは何故だと思う?」

実はこの質問、一番最初に聞いてこそいるが玄燁の資質を計るための一番重要な質問であった。

清国はまだ若い国だ。

福臨は3代皇帝となってはいるが、中華に進出したのは福臨が6歳の時からであり、元は満州を故地とする後金国の3代目である。

その即位も5歳で即位し、翌年に叔父たる摂政王の指揮の下に明を滅ぼした順を僭称する李自成から中華を手に入れ遷都を果たした。

幼帝が建国の初期に携わるという珍しい例だ。

建国からまだ14年、20歳の皇帝に世継ぎが少ないのは当然ながら、まだまだ治世を安定させるのには時間が足らない。

中華を手に入れたとはいえ、そこに住まう人民は漢民族が主流であり、あくまでも満州族は少数派なのだ。

この国が安定し、発展させるには次代の教育と心構えこそが何より大事なのだと福臨は考えていた。

しかし、そのような思惑も政情もよく知らない5歳の子供にはまだまだ難しい。

ほんの少しでも資質を垣間見る事が出来ればと良いだろうと思い聞いたつもりだった。

だが、玄燁は恐れることなく、そして一息の間も空けずに答え始めた。

「皇上の僕がお答えいたします。

孟子に曰く『天は下民を降して、之が君を作し、之が師を作す。惟れ其の上帝を助けて下民を寵せしめんが日なり』といいます。

さらに進んでは荀子曰く『天の民を生ずるは、君の為にするに非らざるなり、天の君を立つるは、以て民の為にするなり』といい、漢書では『王者は民を以て天と為し、而して民は食を以て天と為す』と記されています。

全てに通じる事は君主の絶対的な権威は民があってこそ認められるのであって、民を保護することこそが天意であるという事です。

天意とは民の為であり、君主及びにそれに連なるものが民に公正と公平を示す事により民も君主を天と認めるのです。

ならば皇族たらんとするならば、『明徳』『仁』という資質が要求されるものと考えます。

皇族たる者に私事はなく、幼児といえども民の手本となるよう生活しなければならないからだと愚考いたします。」

福臨をはじめ、部屋に集まっていた侍従やほかの子供たちの家庭教師達も驚いた。

中には絶対不可侵たる皇帝を皇子とはいえ語る玄燁を不遜だと睨むものもいる。

だがその内容は5歳の子供らしからぬ、しかして福臨が求めていた皇帝たらんとする答えだった。

たったこれだけのやり取り。

それでも福臨はこの時玄燁の皇帝としての素質を見出した。

そして次代の皇帝に玄燁を据えようと決意した。

興が乗ってきた福臨はそのまま話を続ける事とした。

「阿瑪、其方の家庭教師はよほど優秀だったようだ。

後ほどそれぞれに褒美を取らそう。

其方は幼いながらも皇族のなんたるかをわきまえている。

ならば朕が考える皇帝位について話をしてやろう。

朕が即位を果たしてすぐに、中華は漢民族による国・明から満州族による国・大清へと代わりこの地へと遷都する事となった。

太祖・太宗の2代により故地満州での地位は確固たるものではあったが、ここ北京では違う。

長い騒乱と官吏の悪政により朝廷も民も疲弊していたのだ

朕は13歳で親政を始めたが、まずは官民の苦を均しく知った。

その為、宦官が政治に悪弊を及ぼすと考え政治から遠ざけたのだ。

疲れ果てた民との融和も考え満州の文化を押し付けるのではなく、良い物は良いと考え漢民族の文化も積極的に受け入れる事で満漢の融合を図った。

もちろん、ただ導入するだけでは漢族をつけあがらせるだけである。

満州族が国を統治していることを忘れさせぬためにも辮髪を民に強制もした。

しかしである。

いくら政治的に今をうまくやっていても躓いた時には必ずや反乱が起こる。

なぜなら、大多数の漢族を少数派の満州族が押さえ込んでいるからだ。

国家の政情もまだ安定したとは言い切れない。

もし、朕が政務を怠れば明の様に官は腐敗し民は蜂起する。

明の最後の皇帝崇禎だが、国政に与る士大夫層が長年の政治的腐敗により使い物にならず、万暦帝らの悪政によって決定づけられた衰退の流れを止めることができなかった。

最終的には李自成ら農民による反乱により痛ましい最期を遂げた。

中華の歴史はこの繰り返しだ。

ならば朕は大清をそのような国にはしない。

だからこそ、皇帝は満漢に等しく民に対して常に公明正大であり続けなければならない。

漢族を馬鹿にするな。

漢族もこの大清の民である。

この大清を次代の其方らが盛り立てる為にもよく本を読み、よく学び、より柔軟な考えを身に付けなさい。」

皇帝の重い言葉に玄燁は聞き入った。

今話している言葉は玄燁に皇帝位を見据えた上で話しかけてくれているのだと気付いたからだ。

認められたのだ、皇帝に。

他の兄弟でもない、自分が。

決して帝位を約束されたわけではないが、これからの兄弟たちとの競争に一歩先んじる事が出来たと言えるだろう。

玄燁はその事実に嬉しくなり、より一層の勉学に努める事を決意するのだった。



中国の歴史ものって私は好きなんですが、少数派ということもあり皆さんあまり書いてないようです。

上手い下手は関係なく、日本の戦国時代以外の皆さんが意外と知らない歴史にも興味をもってもらえたら幸いです。

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