第十八話 ~黒騎士 vs ヒゴ~
ウラシア大陸中央部には巨大な樹海がある。ウラシア大陸の内人が住んでいる土地面積のほぼ千倍がその樹海で出来ているのだ。
千年ほど前、人類は好奇心からか、領土の拡張か、それとも森に眠るとされる財宝を目指してか。森を切り開こうと団結し百万という大隊を編成し森内部へと進行した。その結果で得られたものは何もなかった。というより、その結果を知らせる者は誰一人としていなかった。
黒騎士はその風貌から森へ進行した大隊の亡者と言われている。オーレン国やグルムントは鉱石を取るため山に隣接していた。その山を超えるとすぐそこに森がある。だから今までも度々現れることはあった。
彼らはもう死んでいるとはいえ実態をもっている。しかし弱々しく、攻撃性はあるものの慎重に対処すればそれほどの脅威ではない。
彼らは宙を漂う魔力を動力に、前世の未練や欲求を活力にして今も現世を彷徨っている。理性の働かぬ欲求丸出しの為、彼らの要素は漆黒の闇に染まり、その色素は体を覆い尽くす程。だから彼らを皆総じて黒騎士と呼ぶ。
「こちらです!」
ポトス達はトメトに導かれ、重力石が発掘されたという場所までやってきていた。目の前には切り立った崖。そしてその崖の岩肌に埋め込まれて押さえつけられている群青色の艶やかな石。例の重力石がその一角をのぞかせていた。
「お~あれが重力石かぁ。予想以上に綺麗だね~」
一緒に付いてきたマリアは呑気に重力石を見上げていた。
重力石が肉眼で確認できる位置からは更にもうひとつ、違う黒い物体が確認できる。重力石の真下。黒い影。例の黒騎士だった。
森のように魔力濃度が濃い場所では脅威となるがここは人の住む魔力の薄い場所。どんなに深い未練や後悔を残そうとも動力となる魔力が薄ければ体の自由が利かないはずだ。
だがポトスが駆けつけた時には黒騎士の前でこの村の自警団らしき者達が数人倒れて悶えている。
「黒騎士一匹ごときに何してる」
ポトスが呆れてトメトに尋ねた。自警団の訓練がなってないのではないかと。
「そ、それが、この黒騎士、少し様子がおかしいのです」
「おかしい?」
トメトの証言によるとこの黒騎士はみだりに人を襲うことはないようだ。通常黒騎士は生前の想いを遂げようと、その行き場のない思いを激しい攻撃衝動によって発散する。と、言うのが通説であり例外は殆ど見られなかった。
それが人を襲わないとはどういうことか。現に自警団のものは被害を受けているという事柄に対してはその限りではないようで、近づくと襲ってくるらしい。
その不可思議な黒騎士の行動にポトスはわかりすぎるほど心当たりがあるだろう。何故黒騎士がこうなったのか。何故今、このタイミングで現れたのか。
オーガの出現、そしてその場から動かず、近づく者のみを攻撃対象にする黒騎士の後ろには重力石がある。その事実だけでこの黒騎士は何のために誰によって操られているのかは明白だ。
「早速仕掛けてきたようだな」
「うん」
隣で話を聞いていたマリアもそれが何か分かったようで甲に青い宝石のついたグローブを取り出してはめ、臨戦態勢を取る。
「よう、ポトス。デートはどうだったよ」
「で、デート!?」
マリアをからかいながらやってきたのは昼寝をすると言ってトメトの家に残ったヒゴだ。この鐘の音でタダ事ではないと感じたのか、肩には槍が担がれている。
「聖女様は金がかかって仕方がない」
デートやら金がかかると言われマリアも言い繕わなければと口を開く。
「リーダーは善い行いをしたと思うよ? 自信持って! きっといいことあるよ!」
(……何だこの聖女)
「へへっ、いいように弄ばれちまったようだな。んで? 何やら騒がしいが祭りでも始まるのか?」
軽口を叩きながら見つめる先は黒騎士だ。
「こちらとしては祭りは全て終わった後にして欲しいところだがな」
「なら、お祭り気分の勘違い野郎をさっさと黙らせてやろうぜ」
「そうだな。客も増えてきたし」
昼を過ぎ、最上階に達した太陽は階段を一つ降りたところ。鳴らされた鐘と人の流れ、そしてトメトの爆破予告で重力石の採掘場はかなりの人数の観光客で溢れてきている。
爆破という日常でめったにお目にかかることの出来ない事柄は観光客にとってかっこうのイベントとなだ。そして予期せず起こるトラブルでさえ絶好の見世物と早変わり。
問題はその黒騎士を誰がどう処理するかといったところだろう。
自警団が数人倒れているので敵の強さはそれ以上。他の自警団もうかつに手を出すことが出来ず、災難が身に降り掛かったら、と観光客でさえやや及び腰だ。
しかし誰も逃げはしない。
逃げるのは黒騎士が襲ってきてから。それまでは誰かがその黒騎士に立ち向かう時を待ち、その勇姿に一喜一憂するだけ。こんな辺境な地へ赴く者達の好奇心は多少の恐怖は軽く凌駕する。
「リーダー、どうするの?」
「そうだな。とりあえずお前は怪我した自警団の手当だ」
「分かった!」
他の自警団によって救出された怪我人の方へマリアは小走りに去っていった。
「んじゃ俺は奴に一発ぶちかましてくっかな」
槍を肩にヒゴは一歩前にでる。
「一回戦落ちが大した自信だな」
手当に走るマリアの背中を目で追いながらポトスは言う。
「あれはあれ、これはこれだ。結果はあんなだったが和国では特攻隊長やってたんだぜ?」
特攻隊長とは軍の先陣を切って敵地へ乗り込んでいく強者。合戦における開幕の合図と言ってもいい。
その特攻によりその後の戦況も大きく変わる。
敵の出鼻をくじくことができれば味方の士気が上がり、敵の士気をくじくことができる。逆に失敗すれば圧倒的有利の戦況すらひっくり返される恐れもある。
特攻隊長は戦況を左右する重要な役目だ。
「冗談だよ。あのオーガへの打ち込みは見事だった。だから任せる」
「おうよ」
「だが気をつけろ。あいつは普通の黒騎士じゃない」
ヒゴは長い槍を肩からおろして構える。
「ああ、地に足つけたあのたたずまい、只者じゃねぇ」
普通の黒騎士ならふらふらよたよたしながら近づいて襲ってくるのだが目の前の黒騎士はしっかりと地に足つけて立っている。右手に盾、左手には剣。構えは解いているがそれはかかってこいと誘っているようにも見える。
このままでは膠着状態だがそれを打破することがヒゴのような特攻隊長の役目だ。
「行くぜっ」
ヒゴは矛先を黒騎士に向けて走りだす。
観光客の視線も全てヒゴに注がれる。
対するは森の亡者黒騎士。
ヒゴの特攻を確認すると垂らしていた盾を前へ突き出し構える。更に衝撃に備えるためか腰を深く落とした。まるでこの盾に打ち込んで来いと言わんばかりだ。
「へっ、上等だぜ!」
ヒゴもその誘いに乗るようだ。黒騎士の少し手前で軽く跳び、オーガの時と同様に体をひねって長い槍をしならせる。そしてそのしなった槍に体重を乗せて思いっきり黒騎士の盾へ振り下ろした。
「えぁっ!」
盾と槍がぶつかり合い、火花を散らす。
周囲に鳴り響く乾いた衝撃音。続いて空気が震え、観光客の悲鳴を誘発させる。
槍と盾はその場で一瞬時が止まったように動かなくなる。
瞬きする数瞬の間だった。
盾と槍が競り合って押して押されの意地の張り合い。駆け引きもくそもない、力と力のガチンコ勝負。
ヒゴは鋭い視線を黒騎士に送り、黒騎士もまた盾の後方から頭をすっぽりと覆う黒いヘルムが顔を覗かせる。その隙間から漏れる鈍い光はヒゴの姿を余すことなく捉えている。
かくして、この勝負に勝ち負けをつけるとすれば負けたのはヒゴなのだろう。ヒゴの全ての力を注ぎ込んだ一撃は盾で防がれた。
しかしそれはヒゴも承知の上。ヒゴは盾ごと叩き潰してやろうと初撃に全力を注ぎ込んだのだろう。先程のオーガへの一撃のように。防いでも無駄の、全てを打ちぬくその一撃で。
しかし重いヒゴの一撃で黒騎士の盾は微動だにしなかった。加えて地に足つけた両の足は毛ほども動いていない。
特攻は失敗した。ここが戦場なら味方の士気はガタ落ちである。
「ちっくしょうがっ!」
初撃はヒゴの完全なる敗北だがまだこの戦いは終わってはいない。
ヒゴの着地とほぼ同時、盾の扉が開かれ黒騎士の剣が姿を現した。その鋭い切っ先をヒゴに向けて。
ヒゴは上半身を捻って服をかする剣を避ける。それに連動し手に持った槍を同時に回転させて黒騎士を打つ。
しかし黒騎士の剣がヒゴの体を通りすぎるほどに間合いは詰まっている。長い槍と短い剣ではその間合いはかなり違う。優位性で言えば槍を持ったヒゴは完全に劣るのだ。
焦るヒゴの、回転させた槍を身を低くして悠々とかわす黒騎士。
「ちぃっ!」
だがそのヒゴの一撃は自らを軸に回転させる。回転させればもう片方も同様の勢いで黒騎士を襲う。
身を低くした黒騎士へ二撃目の槍が当たるか否かといった瞬間、黒騎士の姿が消えた。
当然槍は空を切り、ヒゴ自信もバランスを失ってしまう。
刹那、ヒゴは失ったバランスを立て直すことをせず黒騎士の姿を探した。
無闇に立てなおそうとすればその隙を突かれてしまう。敵を見失ったとなればバランスを立て直したところで死角から攻撃されればやられてしまうからだ。
意外にも黒騎士の姿はすぐそこにあった。あの短時間でヒゴが見失うほどの距離を移動できるはずはないのだから当然といえば当然だ。
だが姿を現したその黒騎士の大勢はヒゴの敗北を体現していた。
黒騎士は低めを狙ったヒゴの槍を飛び越えていた。下半身をひねり、次の攻撃姿勢を取りながら。
ねじられた体はやがて元の姿に戻る。跳ねるように舞い上がった両足の位置に黒騎士の上半身が戻るとすれば、その剣はヒゴの体を切り裂いた後だろう。
「くっ!」
ヒゴはバランスを立て直しはせずそのまま倒れこんだ。無抵抗に地面を転げに転げて黒騎士から距離を取る。
だが遅かった。
黒騎士の剣は完全にヒゴの体を捉え、切り裂いた。
周りにいた誰もがそう思っただろう。
だが黒騎士は、意外なことに剣を降ることをせずそのまま地に足をつけた。倒れたヒゴに追撃することもなく、ただそこにたたずんだまま動かない。
黒騎士は本気をだしていないのか、それともただ単に戦う意志がないだけなのか。
まだまだ打ち込みが甘いと黒騎士が言えばさも様になってあるであろうこの状況にヒゴの心中は穏やかではないだろう。ヒゴも体制は整えたものの、ざわめく心は思いっきり顔に出てしまっていた。睨みつける眼光は鈍く、頬には汗が垂れる。
黒騎士はそんなヒゴのざわめく心をさらにかき乱す。
構えを解き、剣を鞘に収め、空になった掌を天に向ける。そのままくいくいと指を曲げ伸ばしをしたのだ。
それは格上が格下の相手に「掛かって来い」となめきっている時に使うジェスチャーに他ならない。
それは絶妙なタイミングだった。
あからさまで陳腐な黒騎士の挑発は今のヒゴにとってこれほどまでになく効果的だったのだ。
出鼻を挫く役目の特攻隊長が逆に出鼻を挫かれ、一撃入れられるところを見逃された。しかも追撃されることなく、加えて騎士の魂である剣までしまわれて陳腐な挑発をされたのだ。
「やっろぉ!」
大きな波を心にうねらせたヒゴは槍を握りしめる。
続いて地面を踏み締めて蹴り飛ばし、唸り声を上げて黒騎士に再度突っ込んでいく。
が、その二人の戦いに水が刺した。黒騎士とヒゴの間を風の刃が切り裂いたのだ。
ヒゴの進撃は止まる。
「ポトス!? 何やってんだ!」
「一旦引けヒゴ!」
力の差は明らかだ。更にヒゴの精神状態も良くはない。それは周りで押し黙ってしまった観光客もひと目で分かるほどに。
「冗談じゃねぇ……このまま引き下がっちゃあ男がすたるぜ! 次は本気で潰す!」
だがヒゴも簡単に引き下がれるはずがない。ヒゴにだってプライドがあるのだ。手を抜かれて挑発されるほどの屈辱を受け、おめおめと引き下がれるはずがない。
「言っておくがお前はあの時死んだぞ」
そこへポトスの非情な一言。
非情だが正論だ。ポトスの一言はヒゴの懐にするりと入ってくる。
ヒゴは言い返すことも出来ずただ唸るだけ。
黒騎士の一撃は当たったか当たっていないか定かではないがもし当たっていればヒゴは死んでいてもおかしくはなかったのだ。
「だが……よぉ」
「そもそもだっ」
ポトスはヒゴを指さして口を開いた。
「な、なんだよ」
「全ては一発目で決めれなかったお前が悪いんだろうが!」
「ぐっ……そりゃそうだが、一発目が決まらなかったくらいで勝ち負けは分からねぇだろ!」
一発目が決まらなかっただけで、とは早計すぎるかも知れないがその後手を抜かれて生かされた時点でヒゴの負けなのだ。
「だいたい、あの時死んだお前が、これ以上このまま続ける事こそ男がすたるというものだ!」
「うぅっ」
お情けで生かされた命で再び同じ土俵で戦おうなど、それこそヒゴの望むところではないはずなのだ。
ヒゴは一言も言い返せず、ポトスは完全に論破したとヒゴを指を下ろす。
「一回戦はお前の負けだ。命あるだけ儲けものだろ。素直に負けを認めることも、男には大事なことだと俺は思う」
イクスの試験同様の一回戦負けという事実がありヒゴは引くに引けないのだろうが負けは負けだ。
男がすたると主張するヒゴへその言葉を使ったポトスの物言い。
思い留めるに十分だったようで、ヒゴは手に持った槍を下げた。
少し残酷な仕打ちで、マリアから抗議がありそうだが幸い今はけが人を治療中だ。邪魔は入らない。
「一旦戻って作戦を立てる。敗者復活戦だ」
「……わぁったよ」
イクス試験にも敗者復活戦があったのだがどういうわけかヒゴはそれを受けれなかったらしい。それは恥ずかしいからと話してくれなかった。
その受けれなかった敗者復活戦は今回は受けることが出来る。ポトスの作戦付きで。
ヒゴは回りこんでポトスの元へ帰還した。黒騎士はそれを見送ると元いた位置に戻り、また構えを解いてたたずんだ。
「やはり襲ってこないな」
黒騎士のその様子にポトスは一言そう呟いた。
黒騎士の動きはポトスの予想通りだった。
オーレン奪還の妨害。
爆破を阻止するため、重力石に人を近づけないための守護者黒騎士。ヒゴを打ち負かす程の能力を持つ黒騎士がオーガ側の差し向けた刺客とするなら、無差別に襲うことをしない異常な行動に全て納得がいく。
「なんだポトス。あいつの事しってんのか?」
ポトスの一言にヒゴが反応する。知っていることがあれば話せと言う視線とともに。
「あいつじゃなくあいつを差し向けた奴を、だがな。その実態はまだよくわからないが」
「ほう。てことはオーレンの何かに関係してるってことか」
ヒゴも薄々気づいているのだろう。
昔オーレン国を滅ぼしたオーガの襲撃。重力石を守る異様に強い黒騎士の存在。そしてポトスがオーレン国王子だという事実。そのポトスに黒騎士を差し向けた者達に心当たりがあるということ。
「察しがいいな。まあ詳しいことは後で話す。今はアイツを倒すことだけを考えろ」
「あいよ」
こうして即席の作戦会議が行われた。