第十六話 ~マリア転がし~
「はぁ~、美味しかった」
昼食がまだだったので近くの店でポトス達は一息ついていた。
二人が今いる場所はトメトと待ち合わせをしている店。先ほどの爆弾を使って吸魔石を爆破する瞬間を実際に見物させてくれるらしいのでその待ち合わせだ。
食事は道中に起こったグロテスクな出来事によりポトスは少なめでもう食べ終わり、マリアは見ていないので普通に食事をとっていた。ポトスのお金で。
マリアは精神的苦痛を強いられたもののそれを上回るほどの喜びが先ほどのネックレスにあったのだろう。満足気にため息をついてごちそうさまをしたところだ。
「そりゃ人の金で食べる飯はうまいだろ」
あの後マリアはほっこり顔で店を後にし、更には飯をおごれと我が物顔でポトスに迫ったのだ。そうしなければ自警団へ突き出しブタ箱行きだぞ、と可愛らしい笑顔を振りまいて。その笑顔はまさに聖女、していることは傍若無人でそこらのガキ大将と変わらない。
「ねぇ、エロ王子」
更にそんなポトスへ追い打ちをかけるようにマリアが話しかけてくる。殴りつけたくなる程の笑顔で。
どうやら腹が膨れたマリアは雑談モードに入ったようだ。
「何だ、まな板娘」
エロだの王子だのと馬鹿にしてくるマリアにすかさず反撃するポトス。それにはさすがのホッコリ顔のマリアは眉をぴくりと動かしたが、それ以上、ポトスに突っかかることはしなかった。よほど先ほどのネックレスが気に入ったのだろう。今マリアの心は広めだ。
「昔追いかけられたとか夢で出てきたって言ってたのはゴブリンじゃなくてオーガだったの?」
爆弾運びの受領書にサインをもらった時の会話について言ってるのだろう。あの時もマリアに茶化されていた。ゴブリンに追いかけられるだなんて何か悪いことをしたのだろうと。
「ちっ、覚えていたか……」
「ぷふっ、リーダーはその頃子供だったんでしょ? 泣いてたりして」
泣きっ面に蜂とはこの事だ。悪いことをして追われるのはゴブリンが一般的だ。それがオーガに追われたとなればそれ以上の悪行を犯したに違いない、と。マリアはポトスをからかいにひた走る。
無い胸を触られ、村の自警団に突きだしてもいい程の罪を流してやった。そういう真っ黒な闇を背景に、聖女マリアの意地悪な笑顔は自信満々に光り輝いていた。
だがそんなマリアの輝きは長くは持たなかった。とっさに聞き返してしまうほど、ポトスの声が暗くなったからだ。
「泣いたよ」
「え? 泣いた? って、リーダー泣いちゃったの?」
「ああ、あれは俺がまだ子供の頃だった」
マリアからは顔をそむけ、机に突っ伏すような姿勢のままポトスは言葉を吐き出していく。
「真夜中だった……普段ならぐっすり眠っていて気づきもしないんだが」
これはマリアの失態だった。
よく考えれば分かることだ。自分の住んでいた故郷が、国が、見るも無残に滅んでいったのだ。しかもまだ年端もいかぬ少年。十二年前、ということはつまりポトスがまだ六歳の頃。六歳といえばまだまだ親に甘えたいざかりの時期。普通ならその惨劇を前に、平然としているという事こそ異常なのだ。
普段飄々とした喋り方のポトスとは思えないほど重苦しい口調がそれを示している。
「あんまりにも騒がしくて……それで目が覚めたんだ」
マリアから見えないが瞼は半分ほど閉じられて、瞳ははるか遠くを見つめている。その半分の瞼の裏に映しだされた当時の悲劇を現実と見比べながら、思い出すようにゆっくりと語りだす。
「……周りもまだ暗かったから朝の喧騒ではないとすぐに分かった。あちらこちらから衝撃音や声が聞こえて……耳をすませて聞いてみるとそれは助けを求める声だった。それが何重にも束になった音があちらこちらから聞こえてくる。俺は飛び起き、ベッドから這い出て、窓から見下ろした。見れば王宮に住む家臣や侍女、兵士までが必死に逃げ惑っていた。それを黒い塊が……オーガがそれこそ黒くなって追いかけてた。追いつかれて掴まれて、腕や足、頭を食いちぎられては飲み込まれ……声と姿が消えていく」
ぽつりぽつりと過去を語り落としていくポトスの死角でマリアは声にならない声を表情に変えて固まっていた。額からは脂汗が滲み、掌には汗が溢れんばかりだ。
人には触れて欲しくない過去が少なくともひとつはあるものだ。マリアはどうやらその触れて欲しくない過去のことについて聞いてしまったらしい。しかもそれはポトスにとって最もデリケートな事柄。軽く茶化すつもりだけでは聞いてはいけないことだった。
つまるところマリアはポトスの地雷を踏んでしまったのだ。
マリアは調子に乗りすぎた。聖女のくせに悪魔の所業を行ったために信仰している神から罰を賜ったのだ。
「俺は物覚えはいいほうで、王宮に仕える者達の殆どの顔や名前を覚えていた……いつもそれを自慢してまわっていたが、その日ほどその才能を恨んだことはなかった……いや、恨むという思考すら恐怖の闇に飲まれていった。涙はとどまることを知らず、足は震えを通り越して全く動かない」
まるでどこかの小説に出てきそうな表現を持って過去を語るポトス。
そのポトスの袖を何かが掴んだ。ポトスが振り返るとそれはやはりマリアだった。細く小さな手は震えながら、しかし力強くポトスの袖を摘んでいる。
「ごめんリーダー……私……聖女なのに……人の気持ちを考えもしないでっ」
マリアはそう言って鼻をすする。
綺麗で大きな目には大粒の涙が膨らんで弾けたところだったのだろう。頬には後悔と罪悪感の光る軌跡が浮かんでいた。
「ごめんなさい……ごめんなさいっ!」
聖女という職についていながらその人の気持ちを考えない自分の言動。良心の呵責からマリアはついに声を上げて泣きだした。泣き顔を見られたくないのか、ポトスの肩に顔をうずめながら。
マリアが流す大量の涙はポトスの服へ全てしみ込んでいった。主に肩の部分へ。ポトスはそれを引き剥がす。
「気にするなマリア。俺はなんとも思ってない。むしろ人間臭くていい」
ポトスは体をお越し、マリアの涙をハンカチを出して拭ってやる。 当のマリアはハンカチを受け取って涙を自分で拭う。
「私、聖女なのに……リーダーにネックレスなんかねだったりして……お礼も言ってないし……」
「あれは俺が悪かった。お前は当然のことをしただけだ。だから気にするな。な?」
聖女なのに聖女らしからぬ行動を取るマリア。だがポトスは聖女が嫌いだといった。「聖人だの、善人気取って何もしない人間が大嫌いだ」と、宣言している。なので今のマリアの人間臭い行動はポトスにとって心地いいのかもしれない。聖女であるマリアが普通の少女のような振る舞いをする事こそポトスの望むところなのだろう。それを明示するようにポトスは先ほどのマリアのようにほっこり顔だ。
「もうわがままなんて言わないから……これからは聖女として恥ずかしくない行いを――」
聖女らしからぬ行動を自覚し、反省し、悔い改める。そして今後、聖女としての行動をすると宣言しようとするマリア。その時だった。マリアの足元に何かが落ちたのだ。マリアが目を落とすと手に収まるサイズの小さな本。それはポトスの懐から落とされたもの。マリアは気づかなかったがポトスが涙を拭ってやっている時、その本はポトスの手にずっと握られたままだったのだ。それをしまう際、うまく懐のポケットへ入りきっていなかったのだ。
「ぐすっ……なにこれ」
マリアは拾い上げ、適当にページをめくってみる。それは何かの小説のようだった。
「あ、ああ、そこじゃない。ちょうど百ページあたりだ」
「え? 百? ちょっとまって」
何がそこじゃないのか。わけがわからないがマリアそのページを開け、表記されている文章を読み上げた。
「物覚えはいいほうで、王宮に仕える者達の殆どの顔や名前を覚えていた。いつもそれを自慢していたが、その日ほどその才能を恨んだことはなかった。いや、恨むという思考すら恐怖の闇に飲まれていった。涙はとどまることを知らず、足は震えを通り越して動かない」
先ほどポトスが語っていた過去話にそっくりだった。と言うか間は詰まってはいるが一言一句同じだった。
「ぐすっ……なにこれ」
「魔物に滅ぼされたその国の生き残りである王子が奮闘する小説だ。何か既視感を覚えてつい買ってしまった」
「……で?」
「その王子は幾つもの困難を乗り越えて復讐を果たした。めでたしめでたし」
「……せいっ」
マリアは、その本を投げた。本はばさばさと音を立てて軌跡を乱しながらゴミ箱へ吸い込まれていった。
「おいいぃ!? 何やって――」
「ばかあああああ!」
「ぐふっ!?」
マリアの拳がポトスの鳩尾を貫いた。
「もう! リーダーを信じた私が馬鹿だったよ!」
「あ、安心しろ……お前は馬鹿じゃない」
「ぐすっ」
「お前を信じさせた俺が天才なだけだ」
この期に及んでまだそんなことを言うか、とマリアは再びポトスを殴った。右頬をおもいっきり殴りつけた。それはとてもとても重い一撃だった。