第十一話 ~オーガと黒い石~
サナの小さな悲鳴と共に聞こえてきたのはオーガの皮膚を引き裂く音ではなく金属音。
硬い岩でも突いてしまったかのように、サナのナイフは火花を咲かせて弾き返された。
「サナ!?」
黒い石を抉り取れと命令を下したポトスも目を丸くする。
もしかして弱点となる黒い石を間違えて突き刺してしまったのだろうか、と一瞬ポトスは考える。しかし弱点となる黒い石はもろいことで有名なはずだった。
ならばオーガの皮膚が刃も立たぬほどに硬いのだろうか。しかしそんな事聞いたことが無い。話によれば人の筋肉のようにな硬さではを弾く強度は無かったはずだ。
これによってポトスの目算が狂う。更に悪いことに火花を咲かせたサナの身も危険となっていた。
オーガを倒すこと、背中の石を得ること。両者を得ようと欲をかいた結果がこれだ。二兎を追うもの一兎をも得ずとはまさにこのこと。
予想外の背中の硬さでだろう、サナの手からダガーがポトリと地に落ちた。加えてその丸腰状態で密着しているサナへオーガが振り向きざまに太い腕で薙ぎ払いにかかる。
ダガーを手放してしまうほどの手の痺れ、ポトス同様の狂った目算がサナの反応を遅らせた。
「あ……」
諦めにも似たサナの声に引き寄せられるように再び黒く太いオーガの腕が迫る。
「伏せろ!」
サナはオーガの体越しにそう叫ぶポトスの姿を垣間見た。ポトスが駆け出しながら剣を振りかぶっている。
だがもう遅い。少々距離が開きすぎているのだ。しかもポトスの持つ剣はさほど長くは無い。ちょっとやそっと伏せたところでもう逃れられないのだ。
やがてポトスの振りかぶる姿が黒い腕で隠され、サナの視界は真っ黒に染まった。
諦め、目を瞑ったサナ。反射的に腕を前に出して衝撃に備える。やがてその衝撃はサナを襲った。それはサナの体ではなく鼓膜に。
「え?」
サナは妙な感覚に襲われた。高音で耳の痛くなるような音がすぐ横を通り過ぎる感覚。その後風が吹いたと思えば瞼の裏からでも分かる明るい光り。先程までオーガの手によって遮られていた太陽の光りだ。
目を開けると視界は開け、ポトスが剣を振り切った姿が映し出されていた。
すぐ傍には以前と変わらずオーガがいた。サナがオーガの体を確認すると振り切った後の体制をとったまま固まっている。更に注意深く自分にあたるはずだった、振りかぶった腕を目で追う。すると信じられないことに薙ぎ払おうとした腕が肩から下にかけてなくなっていた。その断面は鋭い刃物で切り取られたように綺麗な平面となっている。更には僅かな光沢さえ見て取れる程。
「サナ! 放れろ!」
何が起こったのか、その断面で判断を下そうとまじまじと見つめていたサナだが、今はそんな状況ではない。不意打ちや暗殺を得意とするアサシンに正々堂々、顔を合わせての戦闘は不利以外の何者でもない。種のばれた手品師だ。さっさと退散するに限る。
ポトスの声で我に返り、ダガーを拾ってその場を離れた。
オーガの注意はサナから声を張り上げたポトスへ遷移する。
オーガの身長はヒゴと同じかやや高いくらいか。肩幅は異常に発達していて筋肉の鎧で包まれていて、面と向かって見合うと相当の威圧感だ。更に睨んでくる二つの赤い目が不気味さもあいまってそれに拍車をかける。
「こいよ」
だがポトスは物怖じせず、加えて挑発する。言語が通じるか怪しいが、ポトスの表情は真剣そのものだ。
「化け物」
ポトスは剣を地面と水平に目の高さまで上げる。続けて剣を握っている手とは逆の手で刀身を柄から剣先に向けて撫でるように滑らせた。するとオーガの強襲を受ける前の状態と同く風が纏わりついた。
その直後だった。オーガが唸り声を上げてポトスに襲い掛かった。切断された腕を気にするそぶりもなく、まだ生えている腕でポトスの頭を掴みにかかる。
それに対しポトスは棒立ちのまま剣を振った。またしてもそれはポトスの持つ剣の間合いでは届かない距離がある。
「グゥ!?」
ポトスの頭を狙っていたオーガは気がつけばポトスを通り過ぎ、首を捻っている。
ポトスは元いた場所から動いてはいない。
ならば腕がポトスの頭を捉えているはずなのにと。オーガが自分の腕を確認するとそこにはポトスの頭どころか腕ごと無くなっていた。
これはポトスの剣に纏わせた風を、風の刃に変化させ飛ばしたものだ。先程サナを救ったのもこの風の刃のおかげだった。
その事はオーガにも察しが着いたようだ。ポトスが現れてから自分の腕が一本、二本となくなっていったのだ。その原因は誰か。それは目の前にいる男以外にいない。
腕がまだあったなら強く握り締め、拳を握っていたに違いない。それくらいに歯を食いしばってポトスを睨みつけて喉を鳴らす。
「なんだ? 怒ったのか? 化け物にも感情があるんだな」
目で威嚇してくるオーガに対しポトスは更に挑発を一つ。しかし、そんな軽口を叩くにはポトスの表情は少々怒りの色が強い。その色はすぐ傍で観戦しているサナの目にもしっかりと映っていた。普段の行動が行動だけに今のポトスはサナの目に少し怖いくらいに映っただろう。
「……リーダー?」
サナがそう呟き終わるかどうかの間際だった。馬車をマリアに任せたのか、ヒゴがポトスの背後から勢い良く走って抜き去った。
「ヒゴ!?」
「後は任せろ!」
手に長い槍を持って走り抜けながらそう豪語する。
「体は不味い! 頭を狙え!」
「おうよ!」
ポトスはまだ諦めてはいなかった。弱点である黒い石を避けるようヒゴへ忠告する。
忠告をもらったヒゴは良い返事と共にオーガの目の前でジャンプ一番飛び上がる。自分よりも背の高いオーガの頭へ標準を合わせて槍を振りかぶった。
「ふんっ!」
勢い良く振りかぶられた槍は太い。とてもしなりそうに無いその槍をしなりにしならせて渾身の一撃がオーガの頭に打ち込まれた。
オーがは両腕が無い。だから防ぐこともできない。
しなりを効かせた槍の威力は絶大だった。
豪打を打ち込まれたオーガの頭はそのまま叩き落されたように地面に落ち、さらに顔面から地面にめり込んだ。
「な、なんだこりゃ……」
「ん?」
豪打の直後、ぽろりとヒゴの手から槍が落ちる。
「くっそかてええええええ!」
膝を突き両手を天に掲げてそう叫んだ。岩のように硬い物体を懇親の渾身で殴りつければ痛いに決まっている。ヒゴはゴブリンだからと油断していたのか、グローブもつけていない。衝撃はじかにヒゴへ伝わったはずだ。
「そして痛てええええええ!」
「サナが一回そうなっただろ……見てなかったのか?」
ただの馬鹿なのか、それとも遠くて見えなかったのか。
それでも硬く、かなりの重量を持つ巨体を一撃で沈めるヒゴの腕力は他のイクスと比べても群を抜いていると言えるだろう。力が全てとは言わないがそれでもこの力は底辺ギルドには場違いだ。
「あ、後は任せたぜ……」
「ああ」
まだオーガを倒したわけではない。早くしなければせっかくヒゴが作ってくれた隙が無駄になる。
今度は痛がるヒゴの横をポトスが駆け抜ける。手には風を纏わせた剣を持って。
両腕の無いオーガは今、顔面を地面に突っ伏した状態。黒い石はおあつらえ向きに突き出している。絶好のチャンスだ。
ヒュンヒュンと風を切る音と共に黒い石の周りを削った。そしてポトスはオーガの背中に突き出た黒い石を鷲掴みにして引っこ抜いた。
「お、意外に簡単に取れたな」
あっさりとオーガの背中から取れたのは光沢の無い黒い石。丸みを帯び、気泡の穴が無数に開いた石だった。それ程重くも無いのかポトスは軽々と持ち上げている。
一方、引っこ抜かれたオーガの体は見る見るうちに黒い灰となって崩れた。やがて潮風に乗って空高く舞い上がり、見えなくなっていったのだった。
「上手くいったな」
オーガは倒し、黒い石も入手した。万事上手く事が運んでポトスは満足顔だ。
ポトスが何気なく言ったその囁きのような一人事をアサシンのサナは聞き逃さなかった。ポトスのすぐ後ろにサナがぴたりと張り付いた。
「どっ、どうしたサナ?」
いつもいつも神出鬼没のサナ。それに多少の気後れを持って目だけを背後へ向けて応じるポトス。
「……硬かった」
とはオーガの皮膚のことだろう。
先程ポトスが呟いた上手くいった、という言葉への反感か、その声はちょっと拗ねたようなそれ。
「そ、そのようだな……」
「……硬いよ」
「う、うん、そうだな」
「……手が痛い」
「お、おう」
更にポトスにぴたりと張り付き、追撃を放つサナ。
どうやらオーガの肌が硬質だという情報を教えなかった事について不服を申し立てているようだ。
サナの言い分ももっともで、オーガの事を知っているポトスならばその硬さも知っていたはずだ。しかも取るに足らない情報ではなく、オーガを倒すには注意しなければいけない必須の情報。黒い石を抉り取るならば尚更だ。
そのせいでサナはあの太い腕で殴られかけたのだから不満がないわけがない。
「いやぁ、任せろと言っておきながら面目ねぇ。しかしかってぇなぁ。こんなに硬いのか? オーガって奴は」
痺れた手をプラプラさせながらヒゴがポトスへ歩み寄ってくる。
「う~ん……いや、本来なら奴の硬さは人より少し固いくらいで、聞いた話では水と泥で作った団子状態。それをこの黒い石で制御し型を形成してる、と言うのが研究者の間で最有力となっているはずだが……まさかこれほどとは思わなかった」
最後にポトスは「すまない」と背後に張り付いているサナに謝っておいた。
「おい、見てみろよ。なんか出てきたぜ」
まだ風に乗って飛んでいない黒い灰の中から白い骨のようなものが覗いている。
「これはゴブリンの骨だな」
小さい頭蓋骨に小さな角、鋭い牙。ゴブリンの特徴に一致している。
「さっき食った奴がもう白骨化してんのか?」
「オーガは食べた生物を吸収するらしい。全部吸い取られたんじゃないか? 人の肌や頭を持ったオーガが目撃されたと生き残りの証言からあるくらいで――」
と、ここで突然ポトスが言葉を切った。それはゴブリンの骨の全貌を隠していた灰が全て飛んでいったからだ。その灰の中にはまた別の骨が隠されていたのだ。
それは先ほどかみ砕かれたゴブリンのものではない。もっと小さく歯が丸い。見れば黒い砂の中からいくらか白いものが見え隠れしている。
「これは石食らい……」
「石食らい?」
石食らいとはその名の通り、石を食物として生きるネズミのことだ。石や鉱石等を主食にしている体長五十センチほどのネズミだ。
この近くにはオーレンという国があり、鉱山資源が豊富なことで有名だ。それをオーガが食べたのだろう。
この付近では鉱夫が掘り出す資源を狙ってよく現われるのだ。主食が鉱石の為、鉱石が皮膚に浮き出て鎧となり槍で突いてもびくともしない。その為追い払うのも一苦労だ。鉱夫の間では忌み嫌われている。
しかしその体についている鉱石で周辺で取れる鉱石の種類がわかるので鉱山を開拓する際にはいい目印となるメリットもある。
それをさっさとヒゴに説明してやると博識なポトスに感心したようだ。
「おめぇ、よく知ってんなぁ」
「……これくらい、常識の範囲だよ」
そっけなく返したすぐ後、サナが問う。
「このせいで……硬かったってこと?」
「そうなる」
見ればその髑髏は一つではない。同じような骨が複数黒い砂の中に埋まっていた。
「だからああなった責任は俺にはない……って、それは無責任すぎるな。悪かったな。俺の不注意だ」
「ううん……リーダーは私を助けてくれた……それは嬉しかったよ」
「そ、そうか」
「それにあいつの硬さ……知ってたし」
「そうか……え?」
「本に……書いてあった」
「……じゃあ、なぜあんな責めを」
「面白かったから……」
「ほぅ」
「……てへ」
サナはそうぬかすとポトスに捕まえられる前に光学迷彩で姿をくらませたのだった。
「へへっ、やられたな」
「ちっ……そういえばヒゴ、馬車が見当たらないが? マリアはどうした?」
「え? あ、いっけね」
「ん?」
ヒゴが先導していた馬車の上にマリアはいた。急かす馬車の上で必死にしがみ付いているマリアの姿が思い出される。
海道の先を見ればもうマリアの姿どころか馬車の姿さえ見えなくなっていた。
「い、急いで馬車を追うぞ!」
「お、おう!」
こうして一行は馬車を慌てて追いかけたのだった。