第九話 ~黒く艶のある物~
翌日、ポトス達底辺ギルドはとある場所を目指していた。依頼内容はノルウェン国より東に半日ほど歩いた場所にあるグルムントと呼ばれる村へ積荷を安全に届けること。昨日グレオに言っていた護送だ。
積荷の積載された馬車のすぐ左には森を挟んでヒゴ、後ろにはポトス。ずっと前には先行して偵察しているサナがいる。更に馬車の上にはマリアがちょこんと座り込んでいた。
ノルウェン国を出てかれこれ六時間。ノルウェンから北西へ長く続く道。海に面した長い海道をひたすら進んでいたのだ。
そんな中、マリアは歩の遅い馬車の上でただ一人、歩きもせずに座っていた。
お嬢様であるマリアには少し辛い距離だ。途中までがんばって歩いていたのだが、徐々に遅れだした。積荷の上に乗ってもサナもヒゴも文句は言わないだろう。逆に良くこの距離を歩いたと賞賛してもいいくらいだ。しかし、単に情けをかけ、上に乗れといえば聖女というプライドを持ち出し、ああだこうだと言い訳して拒否するだろう。聖人とはそういう生き物なのだ。これもポトスが聖人を嫌う理由の一つだ。
だからポトスは「馬車の上で四方を見張れ」と指示してやるとマリアは嬉々として登ったのだった。
そして今に至るのだが今までの疲れ出だろうか、足を伸ばしてへたり込み、うつらうつらしてはびくりと跳ね起きる、を繰り返している。馬車の前を先行して偵察しているサナからの報告も無い。森を見張るヒゴもいる。特に危険も無いのでポトスは放っておいたのだが、これではいけないと判断したのか、マリアがポトスに話しかけてきた。
「ねぇ……リーダー」
「なんだ」
「いい天気だね」
「座って無くても眠たくなりそうな陽気だな」
ポトスが天を仰ぐと雲ひとつ無い快晴だ。海から来る潮の匂いと波の音がとてものどかな雰囲気をかもし出している。すぐそこに広がる白い砂浜に走り出し、海に飛び込みたいくらいの陽気だ。
「わ、私は別に眠ってなんか無いからっ」
「ならよだれを拭けよ聖女様」
マリアははっと気付いて口元をぺたぺたと触って確認するも何も付いていない。ポトスにからかわれているだけだった。
聖女としての威厳はまだ崩れていないことに安心し、次に出てきたのはポトスへの不満感。
「もうっ! ばーかっ!」
「はぁ……ちゃんと見張ってろよ。ゴブリン集団の襲撃なんか来られたらしゃれにならん」
この海道は度々ゴブリンの群れに襲われて積荷や運び手が被害にあっている。見れば街道の道端には襲われたであろう壊れた荷台や馬のものと思われる骨が散乱している。
「だぁ~って、ゴブリンどころか人一人通らないじゃない」
ここまでの護衛は至極平和だ。往復一日かかるとはいえ報酬額十万ピルンはまあまあだ。一日で百万以上稼げる収穫の依頼よりも大分落ちる報酬だがこれが普通の額である。
「イヨナは収穫の方に行っちゃうし……」
昨日ポトスがグレオと結んだ契約。それでイヨナは一人放れグレオのギルドへ出稼ぎだ。今日は別行動となる。
「毛玉でモフモフしたかったのにぃ」
マリアはポトスへ非難の目を向けてくる。それは毛玉でモフモフできないからということではない。イヨナを一人別の依頼へ追いやったことへの非難だった。
「出発する前にも話したが、イヨナには交戦用の召喚獣がいない」
イヨナの召喚獣は毛玉と蛇子モグラだけだった。戦闘になった時できることが無い。ならば今自分に出来ることをするべきだ。それがポトスの主張だった。
グレオと契約を結んだ後ということもあり、マリアはそれ以上反論はしなかった。別れる前のイヨナの表情は笑っていたがやはり少し複雑な顔をしていた。皆と一緒に依頼をこなしたいのだろう。だが付いてきたところでもし戦闘があったとしても指を加えて見ているだけなのだ。それよりも守られる対象となってしまう。
護送対象はイヨナではない。その方がイヨナも辛いはずだ。
それは正論で論理的な結論だが聖人という人種にその考えは通じない。ギルドメンバー一人だけを仲間外れにするなんて輪を乱す行為と捉えるのだから。だからマリアは不満顔だ。
「そうだけどさぁ……」
「まあ焦るな。イヨナは動物と話が出来る有能な召喚士だ。強そうな獣がいたら捕まえてイヨナの召喚獣にしたらいい」
ポトスとしてもこのままイヨナに泥臭い依頼ばかりやらせるつもりは無いらしい。この付近には野生の獣も多少は住み着いている。この周辺で召喚獣として一番の理想で召喚士としてのステータスとなるのは猛獣であるグリフォンだろう。しかし、良く飛び回り希少種なので捕まえるのは困難と言える。あとは成長すれば普通の狼の何倍にもなるフェンリル、似た種類の猟犬ガルム、試験場で見た火狐等か。非常に珍しいがヒポグリフというグリフォンと雌馬を親に持つ幻獣などもいる。
「じゃあ、何か面白い話して」
「はぁ……お前は何様ですか」
マリアは座っている状態からついに寝そべりだした。マリアは黒く長い髪を毛布代わりに背中を覆っている。
「お嬢様」
マリアは眠そうに瞼を細めてそう抜かした。
情けで楽させてやった事を半分後悔し、ポトスは眉をひくつかせる。
「じゃあクイズをだしてやろう」
「む」
そのクイズに暇をもてあますマリアの心はすぐに魅了された。
左の護衛を任せられているヒゴも横目を向けている。
「いつもは暗い所にいて、引っ張り出されると生暖かい場所に密着する。暖かい場所にいるときは湿ったり茶色く汚されたりするが最後に水浴びをして綺麗になる。乾いた後はまた暗い場所へ」
「ふんふん」
「そいつの色は何色か」
呪文のようなポトスのクイズにマリアは首を傾げるだけ。ヒゴも天を眺めてみるが答えが分からない。
「ヒント! ヒントが欲しい!」
「身近なもの」
「もっと!」
「マリア」
「え? 私?」
「身につけているもの」
「え……あっ!」
「ん? どうした?」
「ん? どうした? じゃないよ! 私のパンツは湿らないし茶色にもならないから!」
「本当か? 本当にそうだと言えるのか!?」
「た、たまに湿ったりするかもしれないけど、茶色なんか付かないよ! てかなに人のパンツ見てるの!?」
「見たくなくても見てしまうだろ。あんな無防備に馬車に登るんだからな」
更には馬車の上に立って前方よーし、後方よーしなどとはしゃいでいた。マリアのスカートの丈は膝が隠れるか隠れないか位なのだが馬車の高さはポトスの背より高い。そしてポトスは男。見るなと言う方が無理なのだ。
「ヒゴ、お前は答え分かったか?」
とは、マリアのパンツを見たか、と同意義でヒゴは「桃色だろ?」と何食わぬ顔で答えたのだった。
「さいってー!」
マリアは頬を膨らませ、顔を赤くしてヒゴを睨みつけている。と、そこでポトスは何かに気付いたように後ろを見るそぶりをする。ポトスの背後には音も無く忍び寄ったサナが、箱から出た姿で体を寄せていた。
「リーダ……ゴブリンがいた」
「何だと」
体を密着させているのでポトスは振り向けずそのまま応える。
サナには馬車の行く先、前方の偵察を任せていたのだ。前方に障害発生ということだ。
更にサナが言うには馬車の左方に位置する森にゴブリンが五匹いるとの事。
さすが隠密行動の得意なギルド、アサシンギルド所属の娘だ。相手に気付かれず気配を察知するとは大したものだ。
「ヒゴ、森からゴブリンだ。注意しろ」
「ゴブリンか」
ゴブリンの体はさほど大きくなく個々の力はたいしたことは無い。しかし強暴で、集団で襲ってくる厄介な小鬼だ。更にゴブリンは人や家畜を食らう。加えて僅かながら言語を使用する。研究者によると人間を食べた者は知恵がつくと、噂が広がっていたらしい。嘘か真か怪しいが本当に人間の姿になったゴブリンがいるとか。
「ああ、五匹らしい」
「あいよ」
ヒゴはこれから襲撃が来ると予想されるのになんだか楽しそうだ。
ヒゴからすればゴブリンなど朝飯前なのだろう。それが先日までの芋掘り、などという泥臭い仕事をしていた。そのせいで物足りなかったのだろう。その前には一回戦敗退という試験結果だ。早く暴れたいらしかった。
ただ、荷の上のマリアだけはゴクリと唾を飲み込んで緊張している。
マリアは聖教都市の娘なのだ。ゴブリン等の魔物という危険からは無関係な場所に住んでいるのだから無理も無い。
「あ、ちなみになんだが」
「ん?」
「サナはさっきのクイズの答えは分かったか?」
「桃色」
「聞こえてるぅ!? 何で!?」
「シミが……あっ――」
「ないから!」
流石は地獄耳、サナは聞こえていたようだ。
「マリア、お前も準備は良いか?」
「あ、当たり前よ!」
「よし。サナ、そのポイントは後どれくらいだ?」
「前方約二百メートル……もうこっちに気付いて隠れてる。私達を待ち伏せするつもり……」
「分かった。じゃあ気付かないふりをしよう」
「ほう。なぜだ、先に行って倒した方が安全だろ」
「早く荷物を届けたい。それにゴブリンは集団で行動する。ゴブリンを見たら三十はいると思えっていうだろ?」
一般的にゴブリンは力が弱い為集団で移動することが多い。その数は三十から五十と言われている。その五匹も恐らく集団から一時的に離れているゴブリン達だろう。
その説明にヒゴは納得して頷いた。
「襲撃を受けるフリをして迎撃する。その後馬車を急がせて戦線を離脱する」
「なるほどな。色々考えてるなぁおめぇはっ! まあ任せろ! 俺がさくっとやってやるよ!」
ヒゴは持っていた自分の背丈よりもやや長い棒にかけられた布を外す。すると出てきたのは短い両刃の穂先が付いた槍だった。
ポトスの判断が気に入ったのか、槍をブンブン振り回してやる気満々だ。
「おいおい、構えるなよ、気付かれるだろ」
「あ、わりぃ」
だがばれれば作戦も何もなくなってしまう。ポトスは一喝し視線をマリアへ向ける。
「マリア、お前は確か聖属性の攻撃魔法を覚えていたな」
「う、うん」
「ヒゴが盾になる、吹っ飛ばしたところを魔法で薙ぎ払え」
「わかった!」
「私……は?」
「取りこぼしがいたら処理を頼む。周りに目を見張らせるんだ」
「ラジャ」
サナはそういうとポトスの後ろから気配を消した。
「リーダーは何するの?」
「俺か? 俺はリーダーだからな。昼寝でもしておく」
ポトスの言葉にヒゴは大袈裟に笑いだした。
ヒゴはイクスになる前軍人だったらしい。軍人には命令を下す指揮官がいる。優秀な指揮官は戦いが始まると終わるまで睡眠をとる、という有名な話がある。果報は寝て待て、と言う言葉もあるがその果報が何か、優秀な指揮官は分かっているのだ。ふざけた話だが分かっている結果を起きて待つなど愚の骨頂というわけなのだろう。
「ははは! そうか! 寝てろ寝てろ! すぐ終わる!」
「リーダーずるい!」
「部下が優秀だと指揮官は何もすることが無いからな」
自分が寝ていられるのは部下が優秀であることの証。それにはマリアも何も言い返せないが一つ疑問が残る。
「でも立ったまま寝るの?」
「……器用だろ?」
ゴブリン達が隠れているポイントのすぐ手前まで来た。茂みには飛び出したくてうずうずしているゴブリンの赤黒い肌と小さな角が見え隠れしている。
隠す気が無いのか、ばればれだ。しかし出てこない。努力はしているようではあるがあまりにもお粗末だ。作戦では気付かないフリをするということだが、この状況だとポトス達が気付かない、という状況が不自然に見えてしまう。逆に怪しまれてしまいかねない。
この不思議な状況からもゴブリンの知能は隠れ方からしてもさほど高くないことが分かる。だから安心だろうとヒゴを見てみると棒を片手に口笛を吹いて余裕綽々だ。荷の上で待機しているマリアを見ると。
「マリア……緊張するなって。怪しまれるだろ」
マリアはなにやらぶつぶつと呟いて少し震えている。そういえばイヨナに近づかせまいとマリアがポトスの前に立ちはだかって剣を抜いた時もびくついていた。やはり怖いのだろう。
戦闘など経験したことが無いはずだ。聖教都市は争いの少ない町。森からも離れているため、ゴブリンやオークの襲撃の心配も無い。
「だ、だって……初めてだし」
「怖いのか?」
「こっ……怖くなんか無いし!」
「ならいいんだがな」
そう言いつつも震えるマリアを鼻で笑って一言そういうポトス。鼻で笑われた事が気に食わないのか、マリアの睨むような視線がポトスに突き刺さる。だからポトスはマリアの不安を和らげてやろうと付け加えてやった。
「心配するな、もしもの時は俺が責任を持って守ってやる」
「……り、リーダー何だから当然でしょ!」
「そうだ、俺はリーダだからな。メンバーの安全は俺が守る」
「ならよし!」
「はは……」
最後だけ見れば立場が逆転しているようだが、偉そうに腕を組んでいるマリアの震えは引いていた。
サナから報告を受けた場所。後十メートル程といった地点。皆一言もしゃべらず、襲撃に備えている。しかしその場所を見ることはせず。前だけを見て進んでいる。
やがてその地点に差し掛かった直後だった。海道とは少し段差のある森の茂みがざわざわと音を出して揺れる。数瞬後、三匹のゴブリンが森から勢いよく飛び出してきた。
「ひゃっはー!」
「やっちまえー!」
ゴブリンは森側を守っていたヒゴに上から飛び掛る形になる。だがその襲撃はばれている。ヒゴはニッと唇をつりあがらせて笑うと槍を握り締め、並んで飛び出したゴブリンの内一匹の横っ腹に強烈な一撃を入れる。更にその横、並んだ残りの二匹も巻き添えにして一気になぎ払った。
嗚咽するような呻き声と共に馬車の左前方にゴブリン三匹は馬車の左前方に吹っ飛ばされる。
「マリアっ!」
見るとマリアは片手を天高く掲げていた。その手には白いグローブがはめられ、甲の部分に青い宝石がはめ込まれている。これは聖系の魔力を増大させる、昔で言うところの杖のようなものだ。
「そこだ!」
振り下ろされた手に呼応するように、吹っ飛んだゴブリンたちの地面がぱっと明るくなる。とその光っている地面から空へ一筋の光が上っていく。
軽い爆発の衝撃と風が一番離れているポトスの前髪まで揺らし、積荷を引く馬はいなないた。
光が消えた後にはゴブリン達の姿はなく、黒く焦げた地面とそこにあったであろう小さな野花が静かに揺れていた。
「神の加護がありますように」
聖なる光によって昇天したゴブリンの魂に言っているのか、聖女らしく両手を組んで祈っている。恐らくはそういう風習なのだろう。
「おお……マリア。お前って結構すごいのか?」
「へっ!? え、えと……確かゴブリンは生れつき、闇の要素が高いって言ってたから……だからよく効いたんじゃないかなっ?」
聖人に対し、欲求を優先するゴブリンは闇の要素が強い。だから骨も残らない威力となった、という解釈だろうがその魔法を放った当の本人もびっくりしている。
「ま、まあ? 私がすごいってことにかわりはないかなぁ」
鼻高々に胸を張って自慢するマリアの足はプルプルと震えていた。実践が初めてでこれほど高威力の魔法とは知らなかったようだ。そこへ聖人が嫌いと宣言しているポトスが褒めたものだからここぞとばかりに胸を張ったのだろうが台無しだ。
「あ!」
馬車の上からマリアが何かに気付く。
「リーダー危ない!」
「ん?」
サナは五匹居ると言った。今倒したのは三匹。その残り内一匹が馬車の後ろから襲ってきたのだ。魔法に見とれるポトスは気付いていないのか動かない。馬車の上にいたマリアがいち早く気付いたのだがもう遅かった。
「人間! 食わせろ!」
そのゴブリンの手には太い棍棒が握り締められている。あれに殴られたら痛いではすまない。
「後ろ!」
「分かってる」
その棍棒を振り上げたゴブリンはポトスに飛び掛ろうとする勢いそのままに横を通り過ぎ倒れて転がった。
「ナイスだサナ」
「え?」
倒れたゴブリンの地面には黒い液体が滲んでいる。ゴブリン特有の黒い血だ。見れば倒れているゴブリンの首筋に刃物で刺されたような傷跡が見て取れる。
「余裕」
直後ゴブリンの動きが止まったあたりにサナがゆらりと姿を現して一言。隠れるところは何も無い。その場所から幽霊のように透明から半透明、そして完全な実態が出てきたのだ。
サナの要素、それは光の要素だった。光りの色や屈折を利用し視覚を操ることが出来る。サナが使用した術は光学迷彩で姿を見られることなく移動や暗殺が出来たりする。まさにアサシンであるサナ向けの要素だ。
「透明人間だ!」
マリアがなにやら恍惚のまなざしでサナを見ているがまだ油断は出来ない。報告によれば後一匹居るはずだ。
「ヒゴ! 走るぞ!」
「何?」
「あと……一匹は?」
「たぶん仲間を呼びに行ったんだろ」
ゴブリンは獲物を前に少人数で戦力も考えず襲い掛かるくらいに頭はよくないが、この状況で身の危険を察知できないほど馬鹿でもない。
先程ポトスが言ったようにゴブリンは群れる。一匹見たら近くに複数いるのだ。甘く見て集団で襲われ、散財した商人、命を落とした運び屋、果ては小さな村等は少なくないのだ。
「サナが気付いた時点で待ち伏せをしていたとなると仲間は近くにはいない」
「なんで?」
「あいつらは仲間に獲物を分け与えようだなんて思っちゃいない。戦闘があっても仲間に気付かれず、独り占めに出来る距離なら仲間なんて呼びはしない卑しい奴らだ。でも仲間がやられて手に負えないとなると逃げ帰って群れのリーダーを頼るだろう」
つまりここで戦闘しても気付かれない距離にゴブリンの集団がいるという事だ。
ヒゴは馬の尻を叩いて歩みを急かす。
「知らされた時、俺達は遥か彼方だ。急ぐぞ」
「あいよ」
「それとサナ。あたりを見回って群れの位置を確認できるか? その一匹を見つけたら殺してもいい」
「うん……わかっ――」
了承し、その場を離れようとしたサナが急に地面にひっしと伏せた。
「ん? どしたサナ」
「しっ」
サナは地面に伏せて耳を当て、周囲の音を探っているようだ。
アサシンであるサナは何かに気付いたらしい。職業柄、周辺の情報収集能力は他の職の比ではない。その感覚がポトス達よりも優れているのだ。それ故に周りで起こる出来事にいち早く気付くこともできる。
馬車の後について走っていたポトスは立ち止まり、サナに問うがサナは手で待ったをかけ、耳を地面に当てている。姿がポトスに丸見えだがそんな事も気にせず集中している。
芋ほりの時、一瞬だけしか見えなかったサナの姿だが、やはりその様相は変わっていた。声がボソボソと聞こえるのはそれが原因だと一目で分かる淡い空色のマフラーが巻かれている。
薄い緑を貴重とした服装で、動きやすさ重視なのか肌の露出が多い。行動制限の一切掛からないスリットの入ったタイトミニスカートと膝上までカバーする黒いニーソックスを履いている。そこにはナイフのようなものが何本かくくりつけられていた。
ポトスもなぜかサナの真似をして地面に耳を当ててみるが馬車とヒゴの走る音以外何も聞こえない。
「何も聞こえ……ないが」
「……何か近づいてくる……一つはゴブリン」
「一つ?」
サナの言葉から推測される事は先程のゴブリンの他にもう一匹、正体不明の生物がいるという事。
サナは地面に耳を当てたまま動かない。サナの長い髪が地面についてしまっている。しかし地面の砂の質からその汚れはあまり目立たないだろう。それはサナの髪は美しい銀髪だから。先は黄緑色のリボンで縛っている。
サナ自体は気にしていない様子。今はそれよりももっと重要なことがあると、いうくらいにサナは音を拾おうと必死だ。
「……でももう一つはゴブリンじゃない」
「何?」
「一匹は……さっきのゴブリンだと思う……もう一匹は……たぶんでかい」
「む……見える」
「……見える?」
そのポトスの言葉にサナは無意識的に反応してしまう。聞こえるなら分かるのだが、見えるとはどういうことか。比喩的に足音を見える、と変換したのだろうか。そう考えていたサナだがそうではないらしい。正体不明の生物の特徴を口にし始めたのだ。
「黒くて、少し艶がある」
「え?」
サナは地面から来る振動で早さや大きさまでは分かる。だが色や質まではどうやっても分かるはずが無い。
どうしてそんな事が分かるのか。サナは先日のポトスの機転の良さで何かに気付いたのかも知れないと推測した。同じ情報から自分とはまったく別の観点で異なる情報を手に入れたのではないかと。
この足音から得られる情報量が、それを専門にしていない者に負ける。それはサナにとって屈辱以外の何者でもない。
ポトスはこの足音を一体どう捉えているのか、どう解釈したのか。それを確かめる為にポトスの表情を伺った。
ポトスは地面に耳をつけたまま、ある一点を見つめている。鬼気迫る表情で、と比喩するにはあまりにも対極の、緩みきった表情で。
「……リーダー。それ……私のパンツ」
普段の行動から察するにやはり恥ずかしいのだろう、サナはスカートを引っ張って見えてしまっている部分を隠したのだった。