81、春
冬はすぐにやってきた。重い白い雪が何もかも埋め尽くす。
僕たちは仮の家を民家より離れたところに建てた。慣れていない自然と馴れあうには冬は厳しかったため、森に移動するのは春にしようと決めたのだった。
新たに経営者の椅子に座ったヘンリーは冬の間着実に構想を練り、交渉相手も取り付けたようだ。彼はやはり優秀だった。どう転がっても森の伐採は廃案になりそうにない。
僕はその間、何も出来なかった。もしも、自分が死んでも廃止の一歩になることはないだろう。もしも、ヘンリーがこの森を手放しても、森に視察に来て、森の豊かな資源を欲する者の多さには絶望した。この時ほど、時代の大きな流れの中で自分がどれだけ小さな者か思ったことはない。
それでも、僕の隣には彼女がいた。僕が未だこの世にいる理由を教えてくれる。
厳しかった冬は過ぎ去り、ツグミが鳴く晴れた日、隅々磨かれた塔に村人や使用人達は皆集う。結婚式の会場が教会でないのに疑問を感じているようだったが、うんざりとした冬に飽きた彼らは娯楽を欲していた。そして、それを晴らすのには一番賑やかな結婚が合う。身内以外内緒にしていたはずなのにそれを上回るお客の数だ。僕は内心焦ったが、それを言い出せるわけなかった。
彼らは特別なものは何も持っていないが、今年一番の咲きたての花を摘み、冬の間虫食いを免れた上等な服を着て、花嫁を待っていた。
遠くから、微かに馬の蹄の音が聞こえてきた。
目を見やるとそれはまるで物語の中から抜け出してきたような立派な馬と、たっぷりとした布を柔らかな春風になびかせた美しい花嫁だった。豊かな大地のような黒髪と新緑の瞳を持ち、その唇は冬の厳しさに耐え抜き咲いた花のように紅かった。春の訪れを告げる妖精でも彼女と比べれば劣って見えるだろう。そして、花嫁の肩には世にも珍しい白い烏が乗っていた。
人々はその奇蹟のような光景に息を飲み、夢中で拍手した。
僕はシャインの元に駆け寄る。案の定、馬上の彼女は困惑した表情を浮かべていた。
「…クリストファー、どういうことだ?」
「ごめん。みんなにばれてしまったみたい」
僕は周りのきらきらとした視線を浴びながら小声で言った。
「もしも、嫌ならお願いして帰ってもらうから」
とはいってもそれは難しそうであるが。
結婚式に人を呼ばなかったことには理由がある。やはり、シャインがエルフだと知れば、恨みを持つ者は来ないだろうと。しかし、予想に反して、苗が植えられる前の畑は大勢の人で溢れかえっている。
けれども理由はそれだけでない。シャイン自身、エルフの滅亡は仕方がない事だと納得していても、この冬の間、涙を袖に押し隠していた回数は数え切れない。
四百年も暮らしてきた都を滅ぼした人間を恨んでしまうということは仕方がないことだ。これは僕がどうできるものではない。辛そうな彼女を抱きしめ、冬を越したらエルフの廃都市に行こうと言うしかなかった。
僕は振り返り、声を張り上げ、人の立ち退きを望もうとした。
「…クリストファー」
彼女は僕の手を掴んだ。目を見つめ彼女は言う。
「私は大丈夫」
「…無理をしないで。あなたが辛いなら、僕は」
心配する僕をよそに、彼女はするりと馬から下りた。集まった人々は深刻そうに話していた僕たちに少し居心地悪そうにもぞもぞと動いていた。自分たちの軽薄さに気が付いたようだ。けれども警戒しながらもどこか期待した様子の人々に彼女は、にっこりと笑む。
それはまるでぎこちない笑顔だった。
エルフはあまり感情を表に出さない。それが、洗練されていると考えられていたからだ。しかし彼女が敵意のないことを示すに選んだ手段がただ口角をあげただけの、口の形。けれども、人々は彼女が何を言いたいのか分かったようだ。仲間内で顔を見合わせ、そして返事をするように微笑み返した。けれどもそれだけで十分であった。僕の胸の内は温かくなっていた。全く異質だった水と油は交わるのだ。ほっとしたかのような彼女の顔は本当の笑顔になっていた。
エルフと人間、言葉は通じるのに結局最後までお互いを理解することが出来なかった。けれども、一番原始的な表情、笑顔によって溝はなくならないとまでも浅くなる。僕たちは気づくのが遅かったのだろうか。
小さな女の子が群の中から抜け出し、地面にこする程長いエルフ伝統の花嫁衣装を指さして首を傾げた。彼女は驚いたようだが微笑み頷いた。
女の子が誇らしげに持ち上げたドレスの裾には細かい刺繍が一面に施されていた。どこでも同じように女達の祈りが込められた美しい刺繍だ。
整備もされていない畑を僕たちは歩く。見慣れた顔、知らない顔、皆が結婚を祝福してくれる。不思議なことがあるものだ。あれほどのしかかっていた悲しみさえも消えていくような気がする。
僕たちは塔の目の前に立つ。前には白いリボンを持った神父がいた。彼は僕たちに微笑みかけ、僕たちは誓いの言葉を繰り返した。
死が二人を分かつときまで――
最後に締めくくったその言葉でさえも僕らを結びつけている呪いは解けないだろう。一つの文明を滅ぼしたこの呪いは一人の死だけではきっと物足りない。一人の死はもう一人の死も表す。しかし、この呪いは甘美な祝福でもあるのだ。これがある限り、僕は生きていける。この身が滅びるその時まで僕はエルフが欲した『変化』をそして、誰も知らない幸福を探し続けよう。
ひときわ大きな拍手に包まれ、前が見えないばかりの花吹雪がふる。力を込めてリボンで結ばれた彼女の手を握ると、温かい指は確かに握り返してくれる。隣に彼女がいる。きっと、これが一番の幸せなのだろう。そう思った。




