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逃亡者たち  作者: モーフィー
第三章 Twilight
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80、それでも

 そんな中僕はハッと目覚めた。


「クリストファー、大丈夫かしら」


 額に冷たい布が当てられる感触がして、心配そうに僕を見つめる母を見つけた。辺りを見渡すとそこが見慣れた母家の一室だということが分かった。


「母さん…」

「だいぶ呻いていたけれど、お水飲む?」


 グラスを受け取り、喉を湿らすように飲んでいると母は立ち上がった。母もだいぶ窶れているようだ。思わず子供時代に心配かけたことを思い出した。


「みんな心配していたのよ。洋服だってあちらこちらほつれていて。ずっとシャインさんが看病していたのだけれど、あなたの身を案じてずっと寝てなかったのは彼女だったもの。今は休んでもらっているわ」


 彼女の名を聞くとズキンと胸が痛んだ。


「とりあえず、目を覚ましてよかったわ。時間になったらご飯をもってくるわ」


 そう言って母はたらいを持って出ていった。後には僕だけが残される。


 僕はどんな顔をして彼女に会えばいいのか。


 胸の痛みだけがひどい。最後に彼女が浮かべた困惑の顔。あれほど、彼女に会いたかったのに、今となってはそのことを考えると指が冷たくなっていく感覚がする。何て言えばいいのだろう。

 うつらうつら考えているとドアが静かにノックされた。


「どうぞ」


 そこに立っていたのはシャインだった。僕はハッとした。


 白い肌に光沢のある艶やかな髪をなびかせた彼女は少し痩せたと見られるもの、やはり人間離れして美しかった。


「クリストファー」


 彼女は呟いたかと思うと歩み寄り僕を強く抱きしめた。


「無事でよかった」


 彼女の髪の香りを嗅ぐと条件反射のように抱きしめてしまう。


 しかし、それは自分勝手なことなのだ。僕という人間は罪を犯してなお、こうして、甘い花から離れられない。その白い頬に何度もキスを繰り返す。


 そのうち、彼女の瞳から涙が流れ出した。睫を震わせ、滅多に泣かない彼女が感情のまま涙を流している。それを見て僕はようやく決心がついた。もう、彼女を悲しませてはいけない。喉から絞り出す声を出し、ようやく僕は彼女に告げた。


「シャイン、ごめん。僕は君との約束を守れなかった。…エルフの町は滅んでしまった」

「知っている…。ワイズダムが獣たちからすべて聞いた」


 そっと、僕は瞼に口づけ彼女から離れる。途端に胸に抱えていた温かさがすべて消えてしまった。


「僕のせいなんだ。僕がこの森にさえ来なければエルフ達は地下に潜ること無かった」

「けれども、あなたがここに来なければ私たちは会えなかった」

「シャイン。あなたは、僕が、人間が伴侶になったことを後悔している?」


 彼女は眉をひそめた。


「どういうことだ、クリストファー?」


 僕は正面切って彼女の顔を見られなかった。


「僕は、エレヴェンダー王にエルフ達の歴史を聞いたんだ。信じられない内容だった。それでも完全にでたらめだって言えない。エルフ達は進化という名の崩壊の道をたどり、今度は人間が同じ道をたどろうとしている」


 彼女は黙って僕の話を聞いていた。けれどもその緑の瞳に浮かべたまっすぐな光が恐ろしく感じられた。


「それでも僕にはそれを止めるだけの力がない。それどころか、人間の発展を完全に否定することが出来ない。発展を止めてしまえば僕たちは死んでしまう。そして、最後の頼みの綱だった道を示してくれるエルフ達はもういない。…僕にはどうしようもない。何も出来ないんだ」


 僕は絶望の眼差しで彼女を見上げた。


「こんな男がどうしてあなたを守ることが出来る? あなたのためを考えたら、あなたをエルフ達とともに地下へ送り届けた方がいいかもしれない…」


 その時、高らかに平手が舞った。音だけが大きく鳴り響き、痛みは遅れてやってきた。見ると、彼女の唇は歪められ、厳しい瞳がこちらを見ていた。惨めな男を射すくめるように。新緑の瞳が再び潤み、もう少しでこぼれ落ちそうなとき、彼女は突然、僕に腕を投げかけた。涙は見えなくなったが、首元に当てられた目からは冷たい滴の感触がした。


 彼女は何度も顔を上げようとし、その度にあふれ出す涙を止めることが出来ないようだ。


 彼女は僕の服の裾を握りしめ、いつまでも泣いていた。


 僕はその艶やかな髪をなだめるように撫でた。


「…ごめん、こんなこと言って。あなたの方がつらいのに」

「あなたは、馬鹿だ」


 彼女はか細い指を固く強ばらせ僕を弱い力で殴る。けれどもその痛みは心臓に響く。


 もう彼女を二度と泣かせないと誓ったのに。


 側にいる資格なんて無いのに、まだこうして彼女の温もりにすがっている。


「そうだ。僕は大馬鹿者だ」


 強く握りしめられたその手をゆっくりと離そうとしたその時、二度目の平手打ちがなった。


「クリストファー!」


 震えんばかりの唇で彼女は僕の名を呼んだ。双眸は涙をこらえるようによせられている。


「私が怒っているのはそういうことじゃない」


 クリストファー、今度は優しくそう彼女は呼んだ。何度も何度も僕の名前を口で呼ぶ。

クリストファー、クリストファー。

喉元に熱い塊が込み上げる。その都度真珠のような涙が頬をつたうが、彼女は拭おうとしなかった。


「あなたが人間でも誰であろうと私はあなたを愛している」

「でも僕は…」


 そして三度目の平手がなった。


「これで最後だ。エルフはいずれ滅びる運命だったのだ。例えあなたがここに来なかったとしても、そうなっていた。今こうして悩んでもどうにもならない。確かに私も悲しい。けれど、もう終わったことなのだ。過去のことを悩むよりも私自身の未来を作るためにどうしても明日のことを考えないといけない。もしも、人が道に迷うなら私は力を貸そう。それもあなたがいればできることなのだ」

「僕が…」


 僕はひりひりする頬を抑え呟いた。


「そうだ。あなたがここにいるから、あなたを信頼しているから、あなたを愛しているから私はこうしてあなたの前にいる」


 彼女はひんやりとした手で僕の火照った頬を包んだ。


 驚く僕の顔に彼女は口づけた。ゆっくりと、自分の思いが伝わるように。


 その温かな感情は凍りついていた僕の罪悪感を溶かしていく。どくんどくんと心臓から濁流が押し寄せてきた。どうしても流せなかった涙が今、頬をつたい落ちる。二人の涙が混じり合い一つになった。


「…抱きしめて」


 ギュウと互いの境界線がないぐらいに。もしも二人が溶け合って、彼女が僕であってもいいように強く。


 僕は耳元で囁いた。


「…シャイン、僕と結婚してくれる?」


 消えることのない大きな悲しみの中で生まれたたった一つの希望の芽。けれども何よりも尊い芽だ。腕の中で小さな微笑みが弾けた。


「…ええ」



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