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逃亡者たち  作者: モーフィー
第三章 Twilight
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76、希望


「地上を破壊?」

「ああ、そうだ。土地を草一つ生えないようにした過去がある」


 僕は驚き、エレヴェンダー王を見た。冷たい無機質の部屋は僕たちをじっと見ていた。部屋を作った者の感情などは全く伝わってこなかった。


「そんなの無理だ。草はどんなに刈っても生えてくる。どうがんばってもそんなたいそうなことが出来るわけない。魔法を使ってならまだしも、その魔法もないんでしょう?」

「いいや、一度まわり始めたらそれは非常に簡単だ」

「何がまわるのです?」

「文明の歯車だ。人が豊かになろうと回した手が結局破壊に繋がったのだ」


 意外な答えだ。


「どうして文明が発展したらそうなることになるのですか? 幸せになろうと文明を発展させるのに壊してしまうなんて」

「そうだ。全く不思議なことだ。…生物には欲がある。どうしても生きようと思う欲だ。その欲がなければどんな生物も生き残ることは出来ないだろう。しかし、それはどうしてもぶつかり合う」


 エルフは黒い瞳孔で僕を見据えた。


「鼠は生き延びようとして必死に逃げるし、猫は腹を見たし生き延びようとするため必死に追いかける。猫と鼠以外にも欲のぶつかり合いは、いろんなところである。それらが悲しみを引き起こす。しかし、それは仕方のないことだろう。言えば悪いが些細なことだ。しかし、文明はその欲を叶えるため発達する。生き延びるためには相手より大きな力が必要だ。そして相手を、相手をといっている間にその力が巨大になっている事に気づくのだ。それはまるで指一つで世界を破滅させるのが可能になるぐらい」

「そんな…」


 僕は言葉をつぐんだ。世界を破滅させたなんて考えられない。他の誰かがこう言ったならば妄想だと一笑しただろう。しかし今、エルフの王がこうして現に冗談の欠片もなく言っている。


「先祖達はそれらを悔やみ、地下に潜った。そして、二度とその過ちを犯さないように今のエルフを作ったのだ。先祖達がどのように今の我々を作ったか分からない。けれども、彼らが我々の先祖だと言うことは確かだ」

「その先祖はどのような気持ちだったのでしょうか…」

「どうだろうか。彼らの記憶はこの歴史書一冊にしか保存されていない。この歴史書もただ事実を淡々と綴っただけだ」


 僕は周りを見回した。人の息づかいを感じさせないこの部屋を彼らの先祖はどうして残したのだろうか。


「我々は彼らの負の部分をすべて消去した新しい種だった。姿は美しく、知識はありながら、森を破壊しようとは思わない。そして世界を滅ぼそうとする知恵を知ることのない。それから、彼らは私たちに不思議な特性をくれた。それが最良の伴侶を得るまで歳をとることがないというエルフ最大の性質だ」


 王は手に持った本を元あった場所に戻した。


「彼らは種としての利益ではなく、個人にとっての利益を与えたのだ。伴侶になりえるものが多ければそれだけ子孫は安泰だ。しかし、その分だけ浮気やら愛人やらとたくさんの問題を孕むわけだ。だから先祖達は私たちに有益な人生を送れるよう愛という無償のものを託したわけだ」

「それなのにあなたたちはそれを呪いというのですか?」

「ああ、そうだ。他か見れば贅沢だと言われるかもしれない。しかし、今この状況を見れば、我々は流れ行く時代に、文明を発展させることによって自らの生きる道を見いだすことも出来ない。それが、我々がこの世に生きることのできる条件だったのだ。この愛というぬるま湯に浸かり、刻一刻と自らの滅亡を待つのは、それはそれで恐ろしいのだ。それでも我々は何も出来ないのだよ」

「…どうして、過去の知恵を使わないのです? 命と天秤に掛ければどちらが大切ですか?」

「先祖が培ってきた知識は世界を滅ぼすというため、すべて封印されている。確かにここの書物をすべて解読すればどうにか一歩は踏み出せるだろう。けれども、我々は滅びの記憶を持つ。どうしてそれを踏みにじってまで自分を救おうと思えるか?」


 叡智の頂点に立つエルフの王は顔を覆った。深い皺は老いだけではないものが刻まれていた。

僕は何も言えなかった。


 エルフの先祖が経験してきた時代、それはどんなものだったのだろうか。幸せを、繁栄を望み、その結果、指一つで世界を破壊できる力を手に入れた。それは僕が考えていた魔力よりも大きな力である。


 それが良いか悪いかなんて僕には言えない。


 ただ、ただ自分がその立場だったらとてつもなく恐ろしく感じるだろう。


 僕は震える拳を握りしめた。


「…その事実があるならば人間はこれからどうすればいいのですか?」


 僕は問う。


「これから人間は文明を発展させていくでしょう。自らの生活を豊かにするために必然的に。僕はそれらが悪いとは思いません。けれどもあなたが言ったことが本当ならば、僕たちはどうすればいいのですか?」


 沈黙が流れる。僕はエルフの顔に浮かぶ表情を一つも見逃すまいとじっと直視する。


 ふと、エルフの顔が笑った。


「そなたはそのことを私に聞くのかね? 何も出来ずに、逃げる私に?」


 僕は戸惑った。


「あなたは僕にこのことを言うためにここへ呼んだのではないのですか?」

「私が教えられることはここまでだ。これは私の勝手な思い過ごしにすぎないかもしれないのだよ。ただの塵ほどの価値に過ぎないかもしれない」

「それでも、あなたは人より多くのことを知っている。ここに残って僕たちを導いてください。あなた達の過去を知れば人間達も…」

「クリストファー。それはできない」


 エレヴェンダー王は優しく、それでもきっぱりと言った。


「私たちは離れすぎてしまった。エルフと人間はお互いのことを知らない。もう昔このことに気づいたなら、どうにかなったかもしれないが、その時のエルフは未来を予想できるほど賢くはなかった。エルフは既に限られた環境でしか生きていけない」


 僕は黙った。


「僕は分からない。僕はどうすればいいですか?」


 ただオウムのように聞き返すことしかできない。見通しの良かった道を歩いてきたつもりだった。しかし、今となっては全く前が見えない。それだけではない。今まで僕を支えていた常識さえもぐらつき、底が抜けてしまったようだ。


 崖から落ちたような感覚が身体を支配する。身体のすべてが溶けていくようだ。


「クリストファー」


 エレヴェンダー王が呼んだ。


「クリストファー、顔を上げてくれ」


 少し高い位置に高貴な顔があった。その顔は涙でぼやけていた。心の空洞にしみ出す恐怖の涙だ。


「僕は…」

「未来は誰にも分からない。そしてそなたはまだ若いんだ。よく考えればいい」


 エルフの王は父のように僕を抱き留めた。柔らかい衣は不思議なほど人間味があり、僕を優しく受け止めてくれた。


「そなたは今日知ることが出来たんだ。もう何も分からない小鳥ではない。光は見えている。そして、そなたの隣には彼女がいる。我々が呪いと呼ぶこの結びつきは何にも負けないほど強固なものだよ。逆にそなたを守ってくれるだろう」


 僕ははっと顔を上げた。


 僕には彼女がいる。


「シャイン…!」


 そして彼女は今も僕の代わりに人間達の中にいるのだろう。早く行かなければ。


「そうだ。そなたと彼女の結びつきは我々を変えうる『変化』なのだ。私が唯一信じている希望だよ。…彼女の元へと行きなさい」


 僕は部屋から飛び出そうとして思いとどまった。


「エレヴェンダー王、すべてのエルフが地下へと退散すれば、この里はどうなるのですか?」

「多くの備品や書物は地下に移されるだろう。だが君が望むならいくらか書物を残しておこう。それらが何らかの助けになるかもしれない。建物は、もともと木々や他の生物の断りをたてて、建設したものだ。彼らの新しい住処となるだろう」

「しかし、人間はきっとここまで木を切りに来るでしょう。そうなれば、生き物はここで暮らしていけない。…そこで、僕の話を聞いてくれませんか?」


 僕はただ今閃いたことをエレヴェンダー王に告げた。これが今の僕に出来る精一杯のことである。それを王は穏やかな顔で承諾した。


「そなたに任せよう」

「ありがとうございます」


 ほっとして僕はさっと身を翻して、部屋から出ようとした。


「クリストファー!」


 振り向いた僕にエルフは笑みを深めた。


「結婚おめでとう」


 僕は深く頭を下げた。小さな温かさが心に灯る。そして扉を抜け、外に出た。もうエルフの姿は見あたらない。人間がいつ森を攻めてくるか分からない。僕は焦る心を鎮めながら森を下る。


 里を抜け、森を走る僕の隣に狼が加わる。まるで僕を守るかのように更に数匹の狼が加わった。


「…僕を信じてくれるのかい?」


 狼たちは何も答えなかった。更に木々をかき分け大勢の鳥や獣が集まり、僕の走りに加わる。エルフの里から人里まではひどく遠かった。時折迷いそうになる道を修正してもらいながら、僕は半日をかけようやく森の終わりにたどり着いた。




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