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逃亡者たち  作者: モーフィー
第一章 Dawn
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6、倦怠

 それからというもの僕は一日の仕事である馬屋の掃除を早く終わらし、塔へ通い始めようと思った。しかし次の日は泥で汚れた馬のおかげで仕事はなかなか終わらず、気づいたときには夕食の時間であった。


 何日かしてやっと時間を見つけた僕は息を切らして塔へ向かった。硬い石畳に座り、夜に書き溜めた詩を暗唱する。しかしいつどんなに待っていても彼は塔へ来ることはなかった。



塔へ行く道の小麦は次第に刈られて、夢のようだった麦の海は干上がっていく。次第に僕はあれが夢なのではないかと思い始めるようになっていった。するとまだなじめない農場暮らしが急にカラカラに乾いたような暮らしに思えた。それでも習慣とは不思議なもので、仕事が終わると足は自然に小道をたどり、古ぼけた塔の石に座り詩を暗唱していた。しかし、僕の胸は日に日に何かが詰まっていくような気がした。



「どうした小僧。最近また元気がないじゃないか」

「いえ…」


 すると、ブレンダーはちょいとぼさぼさな眉を上げて白色になりかけた眼を向けた。


「おまえさん、いつも塔に行っているそうじゃないか」

「え…?」

「あの塔には近づくな。エルフのたたりがある」


 僕は弾かれたようにブレンダーを見た。急に目の光を取り戻した僕を見て彼は続ける。


「あの塔は、昔の学者の奴が天体観測のために建てたもんだが、いつの間にかエルフが住み着くようになった。ずっと森にしか住んでなかったのだがなあ」

「エルフは本当に存在するんですか?」


 彼は大きく頷いた。


「ああ。耳がとんがって、どんな王侯にも負けないほど高貴で美しい。そして物腰は猫のように滑らかで人間より賢い。彼らは魔法に守られて森の奥の城でひっそりと暮らしている。昔は尊敬されていた存在だが今は疎まれている」

「エルフは人間に何か害を与えるのですか?」

「そりゃあなあ。エルフは元々広大な森に住んでいた。しかし、ここのご主人は森を開拓してこのでっかい畑を作ったんだ。すみかを奪われたエルフは怒るってわけさ。ちょっと頭が回る分、人間を惑わしやがる。わしが小さい頃にはまだエルフは好意的によく人間の前に姿を現したもんだ。しかし、今となっては姿を現すのはいたずらするためにだ」

「けれど、まだ人間に好意を持っているエルフはいるのでは?」

「いんや。あいつらは今では人間に対して憎悪しか持っておらんよ。エルフは森に囲まれてしか生きられない。しかし人間はそれらを崩した。今でも人間に近づいてくるのは何らかの目的があるからだろうよ」


 僕はあの日出会ったシャインの無表情の瞳を思い出した。奥に隠されている感情は何も見えず、渦巻く叡智だけが僕を威圧していた。その時彼は、僕を見て何を思っていたのだろうか、心がチクッと疑念がさした。


「そうですか…」


 彼は釘をさすように目を向けた。


「いいか、あの塔にも、それから森の中にも決して入ってはならんことだ」



 その日、僕は塔に行かなかった。本当は、足は道を覚えていてどこか一部では彼に会うことを楽しみにしていた自分がいた。けれど無理に家へ足を向けた。何も言わない僕を母が不思議がっていたのも無視してベッドに潜り込んだ。

 自分の細く色のない髪の毛が視界に入る。もう随分と伸びた。それをつまんだ手は青白くて野良作業には向いていない。僕はシャインの手を思い出した。手に触れたその手は大理石のように白くて冷たかった。花びらのような唇が僕の詩を読み上げる。するとまた心が鋭く痛んだ。


 どうして?

 きっと彼は僕のたった一人の友だからだ。僕を分かってくれる

 けれど、彼は僕を裏切っているのかも。種族として恨みを晴らすために。

 それではあの微笑みは? 僕に向けたあの美しい顔は?

 分からない

 僕はもう一度彼に会いたい。


 しかし、どうすればいいのか分からなかった。いつまでたっても塔には人が訪れる気配はない。僕は迷子のように途方に暮れてしまった。




 そんな時、遠くへ貿易をしに行っていたらしいここの主人が久しぶりに帰ってきた。屋敷は宴会のムードに包まれた。しかし、僕には何にも響かない。人の視線を避けて彼に捧げる詩を書く。一日はたんたんと過ぎていく。

 また今日の仕事が終わったとき、母はニコニコとした顔で帰ってきた。


「クリストファー、お嬢様がお呼びよ。あなたと話したいのですって」


 僕は顔をしかめた。


「それはどういうこと?」

「さあ。それはもしかしたらあなたの方が分かるんじゃないかしら。それと、これはお嬢様からあなたにですって」


 そう言って母は簡素だけれど高価そうなシャツとズボン、そして上着を差し出した。生まれてから一度も腕を通したことのないほどの贅沢な物だ。僕はとまどった。どうしてお嬢様はこんな僕にこんな事をしてくれるのだろう。うれしさより困惑が顔に出た。


「僕、大丈夫。いらないよ。これは返してくる」

「お嬢様はあなたにぜひもらってくれだって。そう言われて押しつけられたわ」


 それから困ったように僕を見てまたクリストファー、と言った。


「これはきっとあなたを変える事よ。あなたがもし本当に立派な詩人になりたいのなら変化を受け入れなければ。知らない人にも詩を聞かせないといけないのよ。お嬢様はあなたに何かあってこんな立派な物を用意したはずよ」


 僕は無言でそれを受け取って着替えた。母は僕を小さな鏡の前に座らせ、ぼさぼさの髪を何度もとかした。そしていつもの藁や、麻布などの切れ端ではなく綺麗に裁断され、刺繍が入った紐を取り出し僕の髪を、貴族がやるみたいに襟首で縛った。眉にかかる前髪はもうすぐ僕のうすい色の瞳にかかるほどだ。それを母は水を付けて左右になでつけた。


「ほら、ハンサムな芸術家が登場」


 小さな鏡に二人の顔がぼんやりと映る。母に似た夢見がちな瞳がこちらを見る。僕は母に似ている。色のうすい髪や目、細い顎の線や、青白い肌。そのおかげで女だと間違えられることもしばしばだ。


「おかしくないかな」

「大丈夫。とっても格好いいわ」


 僕は母から白いハンカチを受け取った。


「あなたならきっと大丈夫よ。…いってらっしゃい」


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