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逃亡者たち  作者: モーフィー
第三章 Twilight
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67、舞い上がった書類


 次の日は僕の最後の経営者としての日である。僕のやるべき事はすべて終わった。すっかり冷たい風に寒さを覚える。朝食を食べ終えた僕は部屋に引き返した。今頃はヘンリーが引っ越してきているはずだ。僕は最終的な荷物の撤去と、ヘンリーの手伝いのためだ。通い慣れた古い廊下をぬけ、部屋をノックする。


「すみません、ヘンリー殿、遅くなってしまって」

「やあ、おはよう」


 袖をまくり上げて部屋で荷物を整頓していたヘンリーは埃でくしゃみをしながら言った。


「君が早めに片づけてくれて助かったよ。そうでなければ今頃は大混乱だっただろうな」


 彼は額の汗を拭って顎で扉の向こうの廊下に山積みにされた荷物を示した。


「どうも、ここに来てから荷物が増えてしまってね」

「僕が運びますよ」

「いいや、大丈夫だよ」

「気にしないでください。せっかくここに来たのだから何か手伝わせてください」


 僕は笑って、腕にずっしりくる荷物を机の脇に運ぼうとしたとき、開けられた窓から爽やかな一陣の風が吹いた。


「あ」


 抱えていた書類がパラパラとほぐれて空を舞う。まるで木の葉のようにヒラヒラと風に身を躍らせる紙の中、ヘンリーと目が合う。まるで幻想的な風景であったが、僕ははっと我に返った。


「すみません!」


 慌てて腰をかがめ、書類をかき集めようとした。その時、僕は一枚の書類に目を取られた。ゆっくりとそれを拾い上げる。それは何の変哲ものない契約書であったが、書かれていた内容に思わず目が引きつけられる。


『私、ヘンリー・ウィンスレットは山に鉄道を敷く許可をいたします』


 それが、効力を持つようサインも既にされていた。


「ヘンリー殿…」


 どういうことなのだ、これは。


「どうしたんだい」


 振り返った彼に僕は何も言わずに手に持った書類を目の前に突きつける。冗談だと行って欲しかった。これは本当に彼が書いた物だろうか。昨日も力強く僕に約束をしてくれたこの立派な人が?


 ヘンリーはそれを灰青色の瞳で一瞥しただけだった。二人しかいない狭い部屋でその淡々とした態度は変わることはない。けれども彼は冷静な口振りで言った。


「私が認めたよ」


 それがどうしたんだい、とでも言うように平然と。呆然とする僕に目もくれないで、彼は落ちた書類を一枚一枚丁寧に拾いあげた。それを机の上に積み上げると、ゆったりと椅子に腰掛けた。


「少し説明する必要があるようだね。君も座ったらどうかい」

「…結構です」


 目の前に据わる男はまるで昨日と変わらない態度で顎を撫でた。何が起こったのか、訳が分からない。ため息を付いたヘンリーは穏やかに話し始めた。


「そうだね、こうなってしまえば君は裏切られたと思うだろうがね。けれども、私は君のことも考慮に入れて、最終的にこの結論にたどり着いたんだ」

「あなたは山に本当に鉄道を建設するつもりですか?」

「そうだよ」


 まるで天気の話でもしているようだ。僕は思わず声を荒あげた。


「冗談を言っているのではないんですよ!」

「ああ、私は本気だ」

「僕は…僕は山に鉄道を建設するぐらい不効率なことはないと言っていたのに! あなた自身もこの山を実際その目で見たでしょう。眠っている石炭はそんなに多くない。それに、鉄道を造るためには山は急勾配すぎるし、森は呪われている! 鉄道がどんなに割に合わないものか!」


「クリストファー、私は鉄道が石炭の利用で終わるだけじゃないと思っているよ。山には上質な木材が多い。石炭の次は森の木だ。ロンドンには人が集まってきていてね、木材が大量に必要になっているわけさ。今はまだ小規模のようだが、人数を増やし量産すれば鉄道建設費ぐらいは軽く稼げると思うよ」


「そんな…」


 僕は言葉を失ってしまった。彼はその物優しげな仮面の下でそんなことを考えていたのか。鉄道だけではない、森の木を、そしてエルフのすみかを奪ってしまう。


「確かにね、十分な利益を得るためには山全体の木をすべて切って輸出しなければいけないけれど。それでも、クリストファー、考えてみてごらん。ほとんど元で無しの商売だ。この森は都心にも近い方だから、鉄道一本作るだけでどんなに楽なことか。君も仮に経営者だった身だから、これが濡れ手に粟だと言うことが分かるだろう」


「けれども森に住む者たちは、どうするのですか?」

「もちろん、それなりの手当を彼らが要求するならば、一生働かなくてもやっていけるだけのお金だって払う」


 しかし、その対象は人間のみである。


 すべては人間中心に進んでいく。自らの発展を目的とし、そのために利用できるものはなんでも利用し、邪魔なその他の生き物は切り捨てられる。


「森に住んでいた生き物たちは? どうなるんです?」

「これは驚いたね。君は動物愛護にでも興味があるのかい? 君が、特別動物が好きだとは知らなかったな」


 ヘンリーは鼻で笑った。僕は歯を食いしばる。ここで負けたらおしまいだ。


「森は、きっとそんな人間の横暴を許さないでしょう」

「そう思うかい? 私は森に心があると思わないが」

「森は僕たちが思っているよりもずっと賢い。何千年も何百年も彼らは僕たちに生きる糧を与えてくれた。彼女たちはそんな森の会話を大切にして生きてきた。最低限に森を傷つけないと言うから鉄道建設を許したというのに!」


「そもそも森とは何なのか? 獣とは何なのか? それは神から人間に与えられた贈り物だ。体を温め、腹を満たすためにそれらを作られたのだ。神は人間がより発展されることをお望みだ。それを使って何が悪い?」

「それは人間の傲慢だ!」


 言葉を切ったヘンリーは僕を見返した。その表情は水面のようにどこまでも静けさに満ちている。冷たい風に晒されながらも次第に熱い感情が湧き起こってくるのを感じずにはいられなかった。震える声で僕は言った。


「あなたは何て人でしょう! 今まで表では嘘を並べて、今となっては僕の話がなかったように手を翻す。あなたがこんな人だとは思わなかった」

「そうか」

「僕は今まであなたを尊敬してきたんです。あなたが作る理論は素晴らしかった。誰にでも損はさせず、法に則り、公平なルールで勝負を挑む。けれど、僕はようやく分かった。あなたは皮を被った卑怯な狐だ!」


 思わず胸が痛んだ。彼のことを本当に尊敬していた。けれどもこうした形で引き裂かれたことが残念でならない。


 僕は感情のまま拳を椅子に叩きつけた。僕の怒りと同じぐらい大きな音を立てたが、ヘンリーは動じない。


「…ヘンリー殿。考え直してください」


 どうか、もう一度考えて欲しい。


「クリストファー」


 彼はため息を付き言葉を切った。


「それを言うならば君こそ、嘘つきではないか?」


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