64、つかの間の逢瀬
この数日何度も見ていた森の彼女の家への道にようやく入った。馬は放しておいた。自分で小屋まで帰るだろう。秋も近くなってきたこの頃、少しずつ日は短くなっていき、温度は低くなってくる。大地を一歩一歩踏みしめ、彼女へと向かっていく。持っていた松明を照らしてしか見えない暗さにとなっていた。時折、茂みからはガサガサと音がした。森の獣たちだ。
「…彼女には知らせないでおくれ。びっくりさせたいから」
人目に付かない場所に建てられた彼女の家では光が灯っていた。僕は思わず顔をほころばせる。早く彼女に会いたいのと、ゆっくり歩かないと気づかれてしまうのと相反した気持ちが戦いながら僕は家へと歩いていった。
ドアの前で息を整え、彼女のびっくりした顔を思い浮かべると自然と笑みが浮かんでくる。そして、いざノックをしようとした。
その瞬間、ドアが開き、彼女の笑顔が待っていた。
「クリストファー」
彼女は柔らかい声でそう言うと首筋に抱きついてきた。その甘い匂いを嗅いだ途端、僕も何降り構わず彼女を抱きしめる。僕の中の感覚がすべてを彼女に向かう。彼女の柔らかな髪、大理石のような肌。
「会いたかった」
「私も」
「後一日だって耐えられなかった」
そう言ってやっと彼女の唇に口づける。こうしてずっと彼女とキスしているときが正常なときだと思う。食べ物よりも彼女の愛がなければ僕は生きていけないと思った。長い口づけが終わり息をついた。
「僕がここに来ること分かっていたの?」
「ええ、あなたの足音は遠くからでも聞こえる」
彼女は笑いながら扉を閉めた。僕らはそれでも手をつないだまま中へとはいる。家はだいぶ片づけられていた。彼女は簡素だけれど、淡い色のドレスをふんわり膨らませて踊るように回った。僕が前にあげた物だ。
「黒い服は飽きたの?」
「これが本来の姿だ。私はあなたという伴侶を見つけたのだから」
彼女は笑って手を強く握った。僕は再び彼女を抱き寄せて口づける。唇が笑みの形に変わる。深くなりそうなキスにそっと彼女は唇を離す。
「…これ以上続いたらご飯はお預けになってしまう」
それでもいいけれど、と言った僕をたしなめ彼女は香りの良い香草やミルクをいれた粥を準備した。質素だけれども身体の芯まで温かくなっていく。豊かな象徴とされる肉を食べるより、彼女と一緒に食べる質素な食事のほうが何倍もおいしい。
食後に用意されたワインを注ぎ、蔓を硬く編んだ椅子に二人で座り、晴れきった夜空を眺める。
「大体、交渉は終えたんだ。鉄道の件は中止してもらうように頼んだ。取引相手の中にはやっぱり、不審そうにする人はいるんだけれどね。まあ、予想していたよりはうまくいっている。一番厄介だと予想していたコール氏とは話し終えたし。僕の後任となる人も今日到着したんだ」
「今日あなたと森を歩いていたという人?」
「そう…。僕たちを見ていたの?」
彼女は首を横に振った。
「ワイズダムが教えてくれた。今度はあのスタンリーの坊やのようなぎこちない乗馬ではなかったようだな」
「うん。いい人だったよ。僕も彼になら事業を任せられそうだ」
僕は冷える夜空の下、寒そうに見える彼女の肩を今僕自身が着ているブランケットの中へと入るよう引き寄せた。彼女は何も言わずに僕の腕の中でそっと動いた。
「すべてを終わらせたら一緒に暮らせる。ずっと…」
彼女の絹のような髪を撫でると、時が永遠に過ぎていくように思える。頭のてっぺんにキスをする。
「…あせらないで」
「君のことを考えたらいても立ってもいられなくなるんだ。焦らないで、という方がおかしい」
彼女はクスクスと笑った。そんな彼女に口を尖らせて更に言う。
「焦らないで、と言われた矢先だけれども、これは言っておかないといけない。僕がすべてを終わらせたら結婚式をしようかと考えているんだけれど」
「結婚式?」
「伴侶となる者と正式に誓いをたてる事さ」
彼女は納得がいったように頷いた。
「それならエルフも同じものがある」
「用意とかは全部ルパードがやってくれると言うし、僕の母さんも呼んだ。母さんは僕の結婚式をだいぶ楽しみにしていたし。あなたのほうは大丈夫?」
「ええ、もちろん」
僕は思わず肩をなで下ろした。許可を取らないうちに話を進めていたけれど心配であったのだ。
「良かった。式はそんなにたいそうなことは出来ないけれども、ドレスはちゃんとあなた用に見繕ってくれると思う。たぶん、結婚式に参加する男たちはあなたを見るのが目当てだ。ああ、そう思ったらみんなの前で結婚式なんてしないほうがいいのかな?」
「クリストファー」
彼女はおかしげに息をもらした。
「そんなことがあるわけないだろう。それを言うなら、指揮に参加する女達はあなたが目当てだ。…それとドレスだが私が自分で用意させて欲しい」
「けれど、ルパードが頼んでくれたのはロンドンでも有名なデザイナーで…」
「クリストファー、私はエルフの女だ。エルフは自身の式の時は代々母からおそわる衣装を着るものだ。私の物もだいぶ昔の物でやや繕わないといけないだろうが、あのパーティーで用意してくれたドレスより負け劣らない立派な物だぞ」
そう彼女は少し自慢げに言った。まるで空の星の一つをはめ込んだような美しい瞳を見つめ、僕は心配ながらも頷いた。
「それなら、あなたに任せる」
「だからクリストファー、私はエルフの城へ行かなくてはいけない」
僕はパッと反応した。
「それはシャイン…」
彼女の生まれ故郷であり、本来なら彼女が王位を継ぐべきだった所。そして僕がエルフの人間に対する感情を知ったところだった。そんな僕を安心させるように彼女はそっと手を包み込んだ。
「大丈夫だ。心配はいらない。私はこの森の番だから、ここから離れる際には新たな番を頼まなくてはいけないのだ。エレヴェンダー王には私が少し旅に出ると言っておけばいいだろう。なに、昔のエルフは人間に交じり、様々なところを旅したものだ。彼はきっと心配するだろうけれど、私の行動を制限する権利はない」
「そう…」
「五日はここを留守にする」
そう言った彼女の手を思わず強く握りしめる。
「また会えなくなるの…」
「私も辛い。けれどもなるべく早くに帰ってくる。その頃にはあなたの仕事も終わるだろうか?」
「うん。きっと母も到着する時期だ。それならば一週間後に結婚式を行おう。それでいい?」
彼女は頷いた。
そしてふと僕の腕から抜け出して月を背にふわりと立つ。
「…クリストファー」
彼女はゆっくりと僕の名前を反芻するよう呟いた。その響きには僕が想像付かない重さが含まれていた。それでいて今、つかみ取らなければ空気に溶けてしまいそうなほど儚い。
きっと、彼女にとってみては何百年も待ち続けた瞬間であるのだろう。伴侶を見つけるまで永遠の時を生き続けたシャイン。長い時を変わらない存在として生き続けた彼女の苦しみは僕が知らないものだ。例え知らなくても、考えるだけで気が遠くなる。たった十数年で彼女に出会えたことに僕は感謝しなければならない。
明け方、僕は朝日を見ないうちに起き出した。衣服を整え、彼女の寝台へと向かう。薄ぼんやりとした中、彼女の姿は発光し、神聖ささえ覚えた。その何よりも美しい肌に触れていると離れがたくなる。それでもやり遂げなければならない仕事を考えて無理矢理その手を離す。
「…またすぐに」
小さく囁いたつもりなのに、露に濡れた黒々とした長い睫毛が震え、そこから新緑の瞳がこちらを見る。
「…待っている」
僕は微笑んで彼女の紅い唇に口づけた。
瑞々しく朝露に濡れ生気をおびた森を歩いていると淡い光線が僕の目を刺す。何も知らない無垢な太陽が初めて地上を見つめる。
僕は森を一気に駆け抜けた。




