60、友との語らい
それから彼女と暮らすための準備が始まった。初めにルパードにこの事業から降りたいと相談するとその口で始終、思いとどまるよう説得された。しかし、決心は固かったので頑として貫いた。
たちまち、大混乱に陥った。しかし、僕が退職金やその他の権利を手放すと署名すると、その混乱も次第に沈静化と移っていった。ただし、当然の事ながらその疑いは彼女にもかかったため彼女は森へと戻るしかなくなった。そのことが残念でたまらないが、僕は不平を言わずに残った業務を片づけることに専念した。
ある日の夕暮れ、僕が自室で書き物をしているとドアのノックの音がした。
「どうぞ」
太陽の残光で照らされて立っていたのはルパードだった。
「何か用事でもあるのかい?」
彼は無表情で壁により掛かっている。そう言ってその言葉は不適切だったと思い、僕は居住まいを正した。
「…ルパード、分かって欲しい。僕はようやく見つけたんだ。この幸せをもうどこにも逃がしたくないんだ」
「別に幸せを望むなと言っていないさ」
ルパードは頭をかいて、手に持っていたワインボトルを持ち上げて見せた。側に立てかけてあったグラスに注いで渡してくれた。
「これが僕の生き方なんだ。分かってくれとは言わないけれど」
「ああ、俺には無理だね」
そう言ってワインをそのまま瓶から直接飲んだ。その姿に苦笑しながら僕は心を込めていった。
「ルパード、本当にこれまで感謝しているよ。この事業にも幸が及ぶことを陰から願っている」
「本当にそう思っているんだろうな」
「ああ、この事業の理論は僕が作ったんだ。いわば子どもみたいなもんさ。子どもの成功を祝わない親がどこにいるんだ? 彼女の次に大切な物だ」
「彼女の次ね」
ルパードは少し寂しそうに瓶をゆらせていた。僕は彼の寂しさを取り紛らわすように今書き終わった書類を渡した。
「さあ、これを届けてくれ」
「なあ、一緒に飲まないか?」
「ごめん、ルパード。今日は無理だ」
そうして僕は立ち上がり際に側に立てかけてあった上着を取り上げた。
「彼女のとこか?」
「…まあね」
僕は少し舞い上がっていた気分を納めた。友人である彼をおろそかにしてしまったような言い方に少し罪悪感が生まれた。しかし、ルパードはそれを冗談にするよう芝居がかった仕草でヒラヒラと手を振った。
「いっちまえ。俺のことは気にするな。そっちが一人だったら俺は何人もの美女に囲まれて楽しい夜を過ごしてやる」
僕は無言で椅子に座り直した。
「なんだよ、同情はいらんぞ」
「いいや、こっちの事情だ。まだたくさん仕事が残っているんだ。向こうに行ったら戻りたくなくなってしまう。だから少しでも嫌な物を取り除いておかないと」
僕は手に持ったグラスを受け取った。
「夜まで付き合うよ」
それから僕らは次第に薄暗くなる中、無言でグラスを傾けた。ルパードは天井から垂らした油台に灯をともす。さんざん飲み尽くしたルパードがおもむろに口を開いた。
「そう言えば、おまえの結婚式はここで挙げて良いだろう? 準備はこちらでしておくから。来週には仕事も片づくようだし」
「いきなり何言うんだ」
僕はグラスを押しやった。
「いきなりじゃないだろう。おまえの結婚式だぞ。おまえ、仕事はこなすくせに式のことはまったく言わないからよ、どうせおまえのことだから忘れているのかと思って。だから、最後の餞としてここで式を挙げてくれよ」
「そんなこと、ここの人たちがよく思うはずないじゃないか。言ってしまえば愛する人のためここの人たちを見捨てた男の結婚式だぞ?」
「みんなおまえより恋人のお顔を拝みたいんだよ。あのパーティーでだいぶ噂になったからな」
「なおさら嫌だ」
ルパードはにやりと笑った。
「そんなに恋人のことが大切か。なら、俺に任せて豪華な結婚式を挙げさせるんだな」
「…別に式なんか挙げなくてもいいさ」
「言ってくれるな。女の方はそれで納得いかないぜ。一生に一度だからって誰それを呼ぶやら、食い物はどこ産地やら、おまけにドレスはパリ産の高級品じゃなきゃ嫌だ等、さんざんこりまくった上に数ヶ月分の給料を搾り取られるぐらいなんだぜ。あと、女と言えば嫁だけじゃない。その母さんとか姉妹もいるし、一年分の貯金がパーだ」
彼女は皆に祝福されるべき結婚式を望むだろうか? もちろん彼女がそう望むなら挙げてあげたい。
「…やっぱり式は大切かな?」
「おう! それじゃあ、支度はすべてこっちに任せておけ」
僕があやふやに言った言葉も肯定の意と解釈され結局挙げる形になってしまった。
「それなら、早いほうがいいな。招待客のリストを作っておけよ」
ルパードは空になったグラスを取り上げ持っていこうとしてふと真顔になって振り返った。
「そういえば、明日ぐらいにこの前言っておいたおまえの後任候補がやってくる。俺の独断で決めたんだがいいよな?」
「ああ」
そう言って僕たちは別れた。
薄暗い部屋に戻ると、まだまだ机に書類らしきかたまりが残っていたが、それ以外のものは廃棄したり売り払ったりしたため、比較的簡素であった。
「何とかなるかな…」
家具や理論の権利を売ったお金で森を守る。多くの石炭を運ぶために必要である鉄道の建設を阻止するためには多くの金を握らせる必要があった。しかし、それも数人を説得すれば、森を守ることが出来るだろう。
実際、鉄道の建設は一か八かの賭けである。この山に眠る石炭の量は今のところの調査によるとそこまで多くはなかった。見積もって、十年ほどである。しかし、多くの財をつぎ込んで鉄道を建設するのに五年もかかるという。もしも新たに石炭が見つからず、枯渇すれば何もない土地のことだ、森を切り壊した結果の線路や鉄の機械は宝の持ち腐れとなってしまうだろう。それよりはその資金を新たな山での石炭を採掘したり、他の観光名所を作ることによって有効利用したりした方がいい。
後は僕の後任となる人の人物査定だけだ。彼と話を重ね、このことを伝えなければいけない。




