59、朝
高い窓から白い光が僕を刺す。さらさらと聞こえてくる音からまだ雨が降っていることが分かる。うっすら目を開けて、僕は裸の上半身に当たるやや冷えた風に気づく。僕はいつも服を着て寝る。なのに?
そして僕はようやくがばっと、起きあがる。隣には彼女が猫のように丸まって寝ていた。そして僕は真っ赤になって、その体に僕の被っていたシーツを慎重にかぶせた。今では酔いが完全に醒めた。少しだけ頭がガンガンする。昨日のことは断片的にしか思い出せない。しかしその断片でも強い激情が放たれていた。僕はどうなっていたんだ?
その時、彼女の瞼が揺らいだ。まもなくしてうっすらと碧の瞳が開く。その時、僕は彼女を本当に美しいと思った。長い睫を眠たげに瞬かせたが次の瞬間、彼女は跳ねられたように飛び上がった。肌を隠そうとシーツを引っ張ったが、すると僕も自分の分を取られることになるので無言で引っ張り合った。
ようやく互いに納得する位置に納まってしばらく顔を見合わせて二人とも一気に顔を真っ赤にした。今更という気もしたが、とにかく恥ずかしかった。それでも、お互いの顔を見ることしかできなかった。この世の物とは思えない美しさが宿っている。彼女はそっと手を差し出した。その細い薬指にはまっているのは繊細な銀の指輪。僕は笑ってその手を取り、そこに口づけした。
僕がすんなりシャツを着替えたのに対して、彼女は床に放ったドレスを取り上げた。そしてシーツをひっかぶったまま尋ねる。
「…私にも何か服を貸してくれないだろうか」
衣装部屋に行こうとしてそこには老侍女がいることに気がついた。何か言われたら何て説明したらいいのだろうか。僕はしばらくその前をうろうろしていたが、諦めて自室に向かった。そこで、自分用のシャツとズボンを取り上げる。少し大きいかもしれないかもしれないが仕方ない。
戻る途中、広場が少し騒がしいことに気がついた。ちょっと頭をのぞかせてみると車なる物が止まっており、その周りに人だかりが出来ているのだ。
そして僕は大切なことに思い当たる。
そう、今日はティグニー兄妹が帰る日だった。僕は慌てて服を片手に、ぬかるみに気を付けながらも彼女の待つ小屋へ戻る。
ドアを開けるとシーツを巻いた彼女が窓を見つめていた。長く白いシーツはまるでウェディングドレスのようだった。輝きながら舞い降りる光の中、彼女の後ろ姿は光に満ちていた。僕の視線に気がついた彼女は振り向いて恥ずかしそうに笑う。
衣服を整えた僕たちは手を取り合ってティグニー兄妹の待つ車へと急いだ。
「クリストファー!」
「ルパード」
向こうから歩いてきたルパードはすっかり、綺麗に身繕いしている。そしてしびれを切らしたようにしていた。
「おまえったら、一体どこに行っていたんだ? 部屋に行ってもいないからよ。今日はティグニー兄妹が帰る日だって言っているのに…」
そしてルパードは後ろに立っていた彼女に気がついた。そして僕たちのつないだ手に目をやる。ルパードは言葉を詰まらせたように言う。
「ま、まさかおまえ、昨日…」
「行こう」
僕たちはルパードの隣をすり抜け、車の近くで未だに指示を出し続けるスタンリー・ティグニーと新しくできた友だちに挨拶をしているアン・ティグニーに近づいた。初めに気づいたのはスタンリー・ティグニーだった。彼はまず、辺りから浮いた彼女の光り輝く顔を見つけ、厳しい表情が一瞬和らいだ。その時、兄の表情に気がついたアンが声を上げる。
「クリストファー! シャインさん!」
アン・ティグニーが駆け寄ってきた。
「おはようございます」
アンは片方の眉毛を上げて笑った。
「こうして、二人が並んでここにいるっていうことはうまくいったのね?」
「…そういうことかな?」
彼女は恥ずかしげに笑った。それにちょっと照れくさくなって僕も笑い返す。そんな僕たちを見てアン・ティグニーは言う。
「ああ、あなた達二人を見ていたら私も彼に会いたくなってきたわ。もう半年も会ってないのよ」
「結婚式には呼びますよ」
彼女はびっくりしたように目を見開いたが、やがてころころ笑い出した。
「そうね。招待状お待ちしているわ」
僕はチラリと隣を見ると彼女とスタンリー・ティグニーが相変わらず話していた。ともすれば、半分聞き流し気味のシャインにスタンリー・ティグニーのみが話している状況だ。アン・ティグニーがのんびりと言った。
「兄様もしつこいわね。…それにしても不思議だわ。あのね、兄様の女の人の好みって未亡人とか自分より年上の人なの。だから、実を言うと今回兄様の思い人が彼女だということにちょっとびっくりしたわ」
馬車の前で最後のあがきを見せる子どものようなスタンリー・ティグニーと若々しい姿をしているものの老成してそれを聞き流すシャイン。まあ、実際、実年齢でも彼女の方がかなり年上ではあるが。
そっぽを向いたスタンリー・ティグニーとの挨拶の番になった。彼がいかにも不機嫌そうなので、少しおかしくなった。彼は僕の顔を見ないように顔を反らしたまま呟くように言った。
「…事業はまだまだ、本調子ではないがこれから君たちだけでもやっていけるだろう。我らが来る機会はもうなさそうだ」
後ろで兄の話を聞いていたアン・ティグニーがウインクした。
「さあ、もう出発の時間だ。行こう」
「ええ、兄様」
アンはもう一度僕たちと握手を交わして車に乗り込んだ。土煙を上げて去っていく車を見送って、僕は手の中にある彼女の細い手を握ると握り返してくる力があった。散っていく見物客の中、隣で興味深そうに眺めてくるルパードが聞いてきた。
「な、おまえら本当に昨日の夜どこに行っていたんだ? もしかして、あの噂は本当なのか…?」
「噂は事実嘘のことが多いと、商売の世界でも言うじゃないか」
「それじゃあ、さっき言った結婚とか何とか…?」
「あれは本当のことだよ」
僕たちはそう言って共謀者のように笑みを交わして走った。
二章終了




