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逃亡者たち  作者: モーフィー
第一章 Dawn
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5、エルフ

 何かが目の前を通り過ぎる。

 いや、誰かが。

 僕はハッと目覚めた。


「誰?」


 目の端っこに人影がかすめる。僕は物陰に隠れた小さな人物を見つけた。あちらは隠れているようだけど炎が影をちろちろ踊らせている。雨の音よりも大きな心臓の音が僕の耳を打ち付ける。


「あの、この建物の持ち主ですか?」


 相手は何も言わない。そうして僕は今、彼、又は彼女に失礼なことをしていると気がついた。椅子に座ったままでしかも半裸だ。僕は真っ赤になって近くにあった少しだけ湿った服を取り上げ身につけた。


「すみません、雨が降って雨宿りしていたんです。ごめんなさい、あなたが先にいるとは分からなかったので…」


 物陰からチラリと短い波打つ黒髪が見えた。


「あなたは一人?」


 高くも低くもない声。けれど澄みきっていて美しい。


「はい。散歩をしていたら雨が降ってきて」


 人物は迷ったようだけれども意を決したように物陰から姿を現した。僕は思わず息をのんだ。僕と同じぐらいの年。そして僕と同じような青白い肌。しかし、ふせた大きな瞳はエメラルドのような色。その上には弓のような形の良い眉毛が揃っている。細い鼻筋と対照的な豊かな唇。それらが微妙なバランスをとってこの世のものとは思えないほど美しい顔を形取っている。しかも、そこからその人物が男なのか女なのか取れない。そして一番驚くべきことは彼の耳は先端に向かって行くにつれ、ほっそりと鋭利な形を帯びていた。


「エルフ…?」


 そう言った僕の言葉に相手も足を止める。同じく性的特徴の乏しいほっそりとした身体はいかにも軽そうだ。髪が長ければ女、そうでなければ男。そうでなければ区別は付けられない。しかし相手はそのどちらでもなさそうだ。中性という言葉はこういうときのためにあるかもしれない。

 彼は顔に何一つ表情を浮かばせることなく僕を見つめていた。僕も彼の姿に見入ることしか出来なかった。やがて彼は優雅に指を持ち上げて僕の日記帳を指した。


「あれは、あなたの物か」


 声はやはり楽器のように響いて素晴らしかった。


「そうです」


 相手は頷いた。そして僕は彼の衣服もまた濡れていることに気がついた。きっと僕が来たため暖炉からどかなくてはいけなかったんだ。


「あの、暖炉に当たってはどうですか」


 僕が退くと、彼は少し警戒するように遠巻きに暖炉に近づいたが、着ていたものを脱ぎ下着らしきものになった。やはり、性を表すものはなく、それらがかえって相手の魅力を増しているように思えた。彼はそれらを手際よく暖炉の近くに掲げる。僕も彼とは反対方向へ座る。


 僕らは何も喋らなかった。シャロンと共の食事会のように喋らなくてはいけないという義務感はなかったので楽だった。二人で黙って体を温めるように火に手をかざす。僕はちらりと彼を見た。綺麗にカールしたまつげが光を弾く。頬がかすかに赤く色づいているようだ。彼は突然、ふと僕を見た。僕は彼に見入っていたことを気づかれて赤くなる。


「あなたのノートを見せてもらえないだろうか」

「これですか」


 コクリと、彼は頷いた。本当は誰にも見せたくなかったが、彼には逆らえなかった。渡すときにかすかに触れた指は冷たかった。

 ぺらぺらとめくった彼は書かれていた文字を読み上げる。


「――天使達は舞い降りる。ひとりは哀しみ、ひとりは平和を。ひとりは心安らかな眠りを与えるため…。これはあなたが書いたものか?」


「そうです。神をたたえる詩です。まだ、下手ですけれど」


 彼は日記帳を静かに置いた。


「…私は素敵だと思う」


 そして思いがけず彼は唇の端をつり上げて笑った。それがなんとも艶めかしく、僕は彼の魅力にはまってしまいそうだった。神秘的なエルフとの時間を詩に書き表したい…。僕はお酒を飲んだように頭に血が上り、舌が回らないまま、口走った。


「他にも、先ほど出来た詩です。

 エウロス、南東風の神よ

 そして世界は回り続ける

 周知の事実と共に

 人は言う

 あの遙か彼方に広がる空の色は

 カリビアン・ブルーだと…」


 僕はつい先ほど完成した詩を暗唱した。人前で自分が書いた詩を発表したのは初めてだ。それでも彼は理解してくれそうな気がした。彼の澄んだ瞳が僕を見つめる。


 朗読し終えた僕を彼はじっと見ていたが。思いついたように口を開いた。そこから出てきたのは思いがけず一つの音楽だった。彼の滑らかな発音により僕の詩は一つの音楽となっていた。フルートのような音色と琴線に触れる豊かな調べに胸を熱くする。

 彼は歌え終えると、深い知恵が渦巻いた視線で僕を直視した。


「すごい…。すごいです!」


 彼は首を傾げるようにすると、頷いた。そして微笑んだ。


「ありがとう。けれどそれはあなたの詩が素晴らしいからだ。音はそれに共鳴しただけ」

「そんな…」


 ことない、と小さく言って顔を赤くした。芸術を誇ると言われているエルフに誉められてうれしくないはずがない。


 彼はふと頭を巡らしてくすんだガラスの先を見つめた。


「雨が上がった。私はもう行こう」


 いつの間にか雨の音は聞こえなくなっていたのだ。彼は微笑みながら立ち上がり乾いた衣を羽織った。けれど僕は彼ともっと一緒にいたかった。僕を分かってくれるのは母以外に彼しかいないと思った。けれど彼の名前もまだ知らないことに気がついた。


「あの、名前は…?」


 振り向いたときの彼の顔。人間離れした美しいエルフがそこにいる。


「私の名前はシャイン。あなたは?」

「僕はクリストファー・ワイズです」


 彼は小さくクリストファー、と呟いた。


「久しぶりに、楽しい時間を過ごした」

「あの、また会えますか?」


 彼はにっこり笑った。それはガラス球に閉じこめておきたいほど美しかった。


「きっと。今日は素敵な物を聞かせてもらった。あなたとならまた会いたい」


 僕は笑って、彼も笑い返した。人智を超え超然とした風であったエルフが見せたまるでいたずらに共謀するような笑みだった。


 そして彼はまるで蝋燭を吹き消したようにいなくなった。

 塔の外へ出るとグチョグチョに濡れた小道から先ほど降った雨の匂いが立ち上っている。予期した通り、先に出たはずの彼の足跡はない。肌寒くなっているが、先ほどの興奮のために火照った身体は不思議なほど寒さを感じなかった。僕は雲に守られても今にも落っこちそうな真っ赤な太陽を背中にぽつりぽつりと家へ戻っていった。


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