57、伴侶
突然彼女は睨むように僕を見た。彼女の顔は真剣で碧の瞳は強い光を放っている。紅い唇からは怒りがにじみ出ている。
「私はあくまでも森を破壊しないという条件で石炭というものを採取するための許可を出したはずだ。けれど、先ほどあの坊やは石炭という黒い石を運ぶ鉄道とやらをつくるために森を切り倒すと言っていた。森に危害を加える者は誰であろうと私は容赦しないということは以前にも伝えたはずだ。私を何と思っているのか?」
「ああ…」
僕は小さくなって彼女と目を合わせることもできなかった。ポケットの中の指輪が随分滑稽に思えてくる。どうして僕はこんなに情けないのだろう。一生彼女を守ると決心したのではないのか? このままでは彼女と共にいる資格なんてない。
「…ごめん。これは僕の問題だと思っていた。僕なりに守ろうとしたんだ。そしてあなたに伝わる前にこの話をなくそうと思って。最初に約束したことはずっと覚えている。だからあなたに迷惑はかけたくなかった」
すると彼女はすこし優しい口調になって言う。
「…すまない。あなたも人間であるから」
僕は力無く首を横に振る。
「いや、同じ人間だからこそ過ちを正さなくてはいけない。あなたは怒っているかもしれないけれど、だけど、彼らには必ず分かってもらうから。あなたを守れるだけの者になるまで、それまで…」
彼女は表情なく立っていた。僕はこれ以上彼女の顔を見られずに立ち去ろうとした。しかし、その時、温かな手が僕の腕に触れる。
「私はあなたの伴侶。それは今も将来も同じ事。あなたの苦しみは私の苦しみ。一人で悩まないで。あなたのためには私は命だって懸けられる」
僕を見つめるまっすぐな瞳が精悍な光を放つ。
「分かるだろうか? 私は今こうして怒っているけれど、いざとなったら例えあなたのためならあの母なる森だって見捨ててしまいそうなのだ。だから、一人で抱え込まないで。私たちがバラバラになってはすべてがダメになる」
そう言って彼女は恥ずかしげに軽く僕を抱きしめた。僕は心が一杯になって彼女を見た。彼女はその美しい顔を赤く染め僕を見る。じっと僕にもたれかかったその時、おもむろに言った。
「…どうも、酔っているらしい。こんなに人にあったのは初めてだからな。馬に長いこと乗っているみたいだ」
僕は慌てて彼女を支える。しかし、彼女はしっかりしているようで、更にこれまでにないほど目を輝かせて僕を捕らえる。彼女の肢体は燃えているように熱い。彼女の甘いと息がわずかに耳元に当たる。
僕は彼女の様子に一つの疑問に思い当たる。これは普通の酔い方じゃない。僕はある不安を持って尋ねる。
「シャイン、もしかしてスタンリー・ティグニーから何か飲まされなかった?」
「ええ、強いワインを。それが原因かもしれない」
僕は頭が真っ白になって、その言葉を言おうとした先に彼女がさらりと言う。
「ワインには惚れ薬が入っていた」
「そ、それを飲んだの?」
「ああ」
彼女はやはりうっとりした表情である。
「そ、そんな…」
彼女は笑いながら僕の鼻の頭を突っついた。
「クリストファー、惚れ薬なんて本当はないんだよ。ただ飲ませた相手の側にいたら相手の情愛が高まり、愛のないキスぐらいは出来るだろうが。あなたがずっと私の側にいれば何の問題もない」
「…本当に? よかった」
「あの坊やには少し痛い目に遭わせてやろう。いいだろうか? こんな私だけれどどうぞ守ってくれ」
無意識だろうか、それでも官能的に唇に笑みを浮かべた彼女に思わず見とれてしまい、そして僕は焦ってしまったことをかき消すよう手近にあったワインをすべて飲み干した。彼女はそれを見て得意げに笑う。それを見て、僕は安心したと同時に堰を切った勢いで冗談を言う。結局の所、僕も酔っていた。
彼女に手を引かれ僕たちは最高潮に達した群衆へと身を躍らす。彼女が歩くとその美貌に誰もが振り向く。しかし、彼女の手が僕の腕と繋がっている事を見るとようやく道をあけてくれるのであった。
切ります




