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逃亡者たち  作者: モーフィー
第二章 Noon
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54、切れかけた理性

「いらっしゃいませ」


 店にはやはり娘達が多く、僕を遠巻きに僕の行動を見ていた。視線が気になりながらも僕は商売に慣れた風の痩せた男に尋ねた。


「指輪を探しているんだが」

「ほう、贈り物でしょうか」

「ああ」


 男は僕を品定めするように見た。男が馬車を探っている間だ、僕は店頭に並べられた物たちを見た。皆豪奢な宝石などがついているが大体は安い光る石を付けた物だ。


「旦那様、これではどうでしょうか」


 男は鍵を開け、小さな箱の中身を見せた。中にはまっている指輪はどれも丁寧に納められており、店頭の適当に置かれている物とは一線をきしていた。はまっている宝石も本物だ。どれも負け劣らないくらい豪華であったが、僕は端っこに置かれたシンプルな銀の指輪を見つけた。男に断り、それを手に取り、まじまじと見るとその細い輪に細かい美しい模様が彫られていた。


「これをくれ」


 男は笑った。


「さすが、旦那様。一番価値があるのをお選びになった」


 それがお世辞かどうか分からなかった。僕は娘達の熱い視線を通り抜け、馬屋へ急ぐ。いつも以上に馬が多く、中年の慣れた馬番も苦労しているようだ。僕は床に散った飼い葉を踏み、椅子に腰掛けた老人に近づいた。


「お久しぶりです、ブレンダーさん」


 自分の名前をわずかに捕らえたのか細い老人は椅子からやや起きあがった。


「…誰だ?」

「クリストファー・ワイズです。昔ここで働いていたことがありました。そして今はここの経営をしています」


 次死んでもおかしくない老人は白く埋もれた髭の中でやや笑ったように見えた。


「馬を借ります」


 馬具を取り付け僕は馬に登る。そして優しく叩いて進める。人の目のあまり届かない所から僕はいったん屋敷を出る。途端、あの海のような小麦畑が目に入る。まだ青い穂を精一杯天に伸ばし、風に身を躍らせる。遠くに黒い雨雲がかかっている。ここにもやや雨の匂いが届く。僕は初めて彼女にあった日のことを思い出した。


 そう、ここは記憶の海。何かを思い出させ、そして忘却する。


「エウロス、南東風の神よ

 そして世界は回り続ける

 周知の事実と共に

 人は言う

 あの遙か彼方に広がる空の色は

 カリビアン・ブルーだと…」


 僕は馬を寂れた展望台の入り口に止め、つないだ。錆びた扉を開けるとあのかび臭い匂いが鼻を突く。それでも不快にはならない。


「シャイン、僕だよ」


 螺旋に続く階段を一歩一歩登る。弱くなった光の帯が見える。二階に上がると、広くはない部屋は居心地の良いところとなっていた。きっと、彼女もここに住んでいたのだろう。小さな棚や、簡素なベッドも置いてある。そして確かに人の気配はした。しかし彼女の姿は見えない。テーブルにはワインと二人分のグラスが置かれている。


「シャイン…?」


 僕は囁くように言った。のどが渇いていたのでグラスのワインを一気に飲み干す。わずかに波打つ髪

が見えた。昔のように彼女は物陰に隠れているんだ。


「僕だ、クリストファーだ」


 ゆっくり、ゆっくり近づいていく。陰からわずかに濃い赤の手袋が見える。


「…どうしたの?」


 彼女と手が触れる距離になって僕は一気に彼女を引き寄せた。と、碧の瞳と視線がぶつかり合う。


「クリストファー…」


 僕は思わず息をのんだ。腕に抱く小綺麗にした彼女は光り輝かんばかりの美しさを放っている。彫りが深く繊細に刻まれた目鼻立ち、そして白く輝く肌。それが濃い赤をまとっても負けない輝きを放つ。

形よく伸びた眉、アーモンド型の瞳、そして潤った唇。彼女は腕を伸ばして僕の頬にそっと触れた。その手を優しく包み込む。それでも彼女の姿を一瞬たりとも見逃すまいと脳に焼き付ける。


「綺麗だ…」


 僕は彼女を少しだけ離して全身を眺める。アン・ティグニーが調達したドレスは彼女を正確に捉えて

いた。シンプルではあるが彼女の持つ曲線を出し、その奥に備えている野性さを見いだす。大きく開いた背中はそれだけで十分な芸術であった。そしてスカートの深いスリットから時折見せる白い素肌が人の目を離さない。彼女は恥じらって僕の腕から抜け出す。僕は思わず頭がくらくらした。


 しかし、彼女は顔をしかめて自分を見渡していて感想を言った。


「あなたが綺麗と思っているのはドレス。私はそれほど美しくない」


 それは謙遜というのだろうか。


「シャイン、あなたが美しい。そして愛している」

「ええ、私も」


 彼女はふんわりとドレスをなびかせて回った。彼女の香りで辺りは濃密な魔力に満ちている。ああ、逃げる前に捕まえなければ。僕は必死になって女神を掴もうとする。そして彼女は僕の腕の中にいた。


「クリストファー、気づいていなかったら言うが、あなたもなかなかだよ」


 そう言って彼女はゆっくりと僕の瞼に柔らかな手で触れた。その手は僕の顔を読みとるように動く。


「あなたには生まれ持った輝きがある。人間の娘はみんなあなたを見ていた。だから私は嫉妬してしまう」


 その手は僕の唇に触れる。言われもない強い感情が走る。僕は朦朧とする頭で答える。


「あなたも。あなたの美しさは男の視線を集める。あなたが他に飛んでいかないようにこの手にずっと抱いていたい」


 彼女が答えようとしたのを僕は唇で塞ぐ。唇が動き彼女は答える。それを読みとり僕は一層強く抱きしめる。舌を絡めお互いの境界線が次第に分からなくなる。


「クリストファー…」


 彼女の喘ぐような声が一層愛しく感じられる。そして湧き起こる感情。その向け方が分かる気がした。うなじに口づけし、滑らかな背中を撫でる。手は何かに取り憑かれたように彼女のドレスを脱がそうとする。僕の中の知らなかった僕が立ち上がる。


「クリストファー…?」


 息を飲む彼女の口を唇で塞ぐ。彼女の白い肌に口づけしたまま僕はゆっくりとベッドに彼女を下ろした。そして再び彼女の唇に口づけようとした時、すうと消え失せるように彼女は僕から抜け出す。


「シャイン!」


 なぜか本当に消えてしまった気がして僕は慌てて正気に戻ったが、彼女はまだ近くにいた。少しためらったようだが、半ば夢見心地の僕の唇に軽くキスをする。


「…私だって、望まないわけではないがまだその時ではない」


 そして彼女は優雅な曲線を隠すように黒いマントを羽織った。


「…ごめん」

「いや…」


 彼女はちょっと顔を赤らめながら笑って、長い髪をまとめた。


「エルフだって強い感情に流されることはある。それに今は私の覚悟がまだ出来ていなかったのだ。四百年生きてきた老いぼれには初めてのことで」


 と言っても彼女は弾けるような若さがあった。僕は何となく気恥ずかしくなって顔を背けた。口の中では彼女の甘い唾液が残っていた。彼女は黒いフードを被り、明るく僕の手を取る。


「さあ、行こう!」


 馬に乗って笑みを浮かべる彼女は本当に絵になった。横座りになった彼女を支え、僕は馬の歩を進める。時折、顔を見合わせ口づけする。そんな僕らに不平を上げるかのよう馬が嘶く。彼女は笑ってその耳に口をよせる。


「…ほら、がんばって。あなたもあの家につけば飼い葉をたらふく食べられる」


 日の沈みかけた小麦畑は美しかった。僕はこの道をずっと彼女と歩き続けることが出来たらいいと思った。彼女は手を伸ばして指先に宿った光と戯れる。


"Carribian Blue" by Enya

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