53、暗雲
「…別に今更隠すことはない。妹もそれに絡んでいるんだろう。それで今日、彼女をここに呼んだのか?」
僕は何も言わなかった。彼が何を考えているのか分からない。すると、スタンリー・ティグニーは落ち着いた声で笑った。
「別に彼女とのどうこうあったって今後のビジネスには関係はないよ。私だってこの事業は成功させなくてはいけないプロジェクトだから。それで、彼女はここに来るのか?」
僕は悩んだ末に頷いた。
「そうか」
僕たちは祭りに踊り狂っている労働者達を眺めた。陽気な楽の音がその場を支配していた。スタンリー・ティグニーは頭をかいて続ける。
「…彼女は富も名声も興味がないようだ。しかし、自分の住む森に関しては熱心のようだ。私は彼女が住んでいる森に使いをやったのだ。彼女の父親と話をしようと思ってね。…君は彼女の父と会ったことがあるのか?」
僕は肩をすくめた。彼は乾いた声で笑った。
「いや、不覚にも森が危険な場所だと言うことを忘れていたよ。一歩道を外れただけで、だいぶぼろぼろになって帰ってきた。やはり、彼女がいないと森の中で人間が生きていくのは難しいようだな。君だって彼女がいないと森歩きは難しいだろう」
彼が何を言いたいのが分からない。彼は笑みさえ浮かべている。
「まあ、どうでもいいが。ここは上質な石炭が眠っている。あんな細い道ではなくて、鉄道をひくともっと顧客はつくだろう。それを果たすのに邪魔となるのはあの人間にとって有害な森だ」
そこでスタンリー・ティグニーはちらりと僕を見た。
「いっそのことすべて切ってしまった方がいいのではないか? するとこの寂れた土地がロンドン並に栄えるかもしれない。切った木は材木にでもして売ればいい」
「…本気ですか?」
「まあ、彼女の父親の仕事はなくなってしまうかもしれないが、大きな公益のために私益は制限される必要はある。…例えば彼女が力のある者に嫁げば、親子共々将来何もしなくても安泰に暮らせるとは思うが」
「彼女は稼ぎのために森の心配をしているわけではないと思います」
「それはどうかな」
「…樵とは森の番人とも言われ木々から生命力をもらっているとも言われていますよ」
「どうかしている。夢見がちな君のことだからそう言うのも分かるが、ここは現実だ。小説や詩の世界ではない」
いや、森にはエルフがいる。森を切ると言うことは彼らを敵に回すと言うことだ。
「…しかし、あなただって分かるでしょう。この森は普通ではない。人間を拒む精霊の森だ。それを我々が破壊したらどのような災害が降りかかるのでしょうか」
「ばかばかしい」
スタンリー・ティグニーはグラスのワインを一気に飲み干した。
「クリストファー、君は我々の目的が何であるか取り間違えているように思う。我々は金を欲す。そのためには障害を切り倒していく。まあ、君が何と言おうと決まったことだ。森に大々的に鉄道を建設する」
「何と…!」
「ルパードも承認した。今夜やってくる客方も意欲を示している。我々が困ることは何もないはずだ」
「僕の許可も無しに、ですか?」
「最高決定権は私にあるはずだ」
僕は食い下がった。
「…僕は彼女に必要最低限に森を傷つけない限り、人が山の一部を使ってもよいと許可を得ました。だから、僕たちは森にはいることができたのです。それを裏切れと言うのですか?」
スタンリー・ティグニーは一瞬黙り、それから腕を組み直した。
「…それではまた新たな交渉を彼女とするとしよう」
「どうか森を伐採すると言うことを考え直してください」
「それは誰の視点から言っているのだ? 我々から見て損はないはずだ」
皆が大きく楽しめばそれと逆のこともまた大きく出てくる。僕はそれらをこなしながらもスタンリー・ティグニーが言った事を考えていた。彼女との信頼のためにもどうそれを阻止しなくては。それができなければ僕は彼女に告白する資格なんてない。
午後四時を回ってようやくルパードがやってきた。まだ辺りは明るいが松明には火が灯されていく。
「いや、すまん。いろいろ忙しくてね」
と言いながら、ルパードはまだ品定めをするように娘達を見ている。
「それで、夜に踊る子は決めたのか?」
「そこがなぁ。候補は何名かいるんだが、どれ一つ何か欠けているっていうか。まあ、町からやってくる娘はまだだから見てから決めるさ。それで、仕事とやらを教えてくれ。退屈な仕事の後の酒は最高だぞ」
僕は一通り、説明し終わりそれからスタンリー・ティグニーが言ったことを聞いてみた。ルパードは顔をやや引き締めて言いにくそうに言った。
「ああ、認めたよ。これはまたとないチャンスだろう」
「なぜだ。僕は言っただろう。森に最小限の危害を加えない限り僕たちは石炭に通じる道を使っても良いと。それを破るのか? きっと、前以上の災害が襲いかかるぞ」
「そうとは限らないだろう。今度はスタンリー・ティグニーを初め、大勢の支援者がいるんだからもっと金をかけられる。以前はあれだけの武器で獣を倒すのは足りなかったが、もっと上等なものを買える」
それから、ルパードは言った。
「おまえがそんなに反対するのは恋人に悪い印象を与えたくないだけだろう」
「…それだけじゃない」
ルパードは笑った。
「なんか最近、おまえ変わったよな。昔は本当に神懸かりに物の真偽を見極めてたまげた理論を組み立てていたおまえが、件の彼女に関わったことでどこの道ばたに転がっている普通の男となっている」
「…評価は下がってことか」
「事業者としては。普通に暮らす男としては、その方が自然だ」
そうか、僕は既に事業者として向いていないと言うことか。僕が経営者として成功したかった理由、
それは誰にも頼らず一人で生きていけるためだ。記憶を失った頃、僕はいつも心に空虚感を抱いていた。それを埋めるために資本というのを求めた。それさえあれば何だって買える、だからこの虚無感も埋められると思っていた。頭もそれに占領されて、本能的に損得勘定が分かった。しかし、彼女と再び出会い恋し一緒にいるとその心のすき間はすぐに温かな感情で満杯になり溢れそうになる。経営に関しての直感が当たらなくなり、僕はそこで僕は既に経営に興味を失っていることが分かった。
「…どうしたんだ?」
「いいや」
僕は晴れやかに笑った。今日は何だか多くのことが分かる日だ。ルパードはそんな僕を見て肩をすくめた。
「まあ、いいが。もう少しでパーティーのトリも始まるぞ。おまえもその服を着替えてこい」
「ルパード、小物やアクセサリーを売っているところを知らないか?」
「はあ?」
「いや、彼女にプレゼントしたいんだ」
「おまえもようやく女にプレゼントを贈るということを覚えたか。母屋の端っこにいろいろ売っているさ」
僕はルパードに礼を言って部屋へ戻る。障害はまだ一つも解決していないが、方向が決まっただけでもだいぶ楽になった。タキシードを着込み、髪を整える。外に出ると一番熱い時期は過ぎ、太陽は照っているが今は穏やかに温かかった。しかし、向こうに大きな入道雲が見える。降るかもしれない。




