51、パーティーの始まり
次の朝、いつものように朱色の朝日が暗い大地に昇った。朝食の席にはティグニー兄妹二人揃っていたものの共に無言でフォークを口に運んでいた。アン・ティグニーの方は泣いたようで瞼が赤く腫れている。兄のスタンリー・ティグニーの方は本当に何も手伝う気はないらしくすぐに部屋に引っ込んだ。僕はアン・ティグニーにコーヒーを注いだ。
「…アンさん大丈夫ですか?」
「ええ、心配しないで」
彼女は幸いなことに晴れやかに笑った。
「いつかはああなる事よ。父様と話す前に兄様で練習できてよかったわ」
彼女はうんとのびをした。
「ああ、すっきりした。私はまだまだ力不足だって分かったもの。けれど、諦めやしないわよ。…私はこんないい人をふるんだからあんなヘナチョコの兄様なんて軽くかわすぐらいの舌を持ち合わせないとね」
そう言ってアン・ティグニーは僕の肩に手を置いた。
「私もあなたとシャインさんのことを協力するわ。絶対兄様に負けないんだから」
彼女は、いつもは見ることがないさばけたところを見せて笑った。その容貌と所作のおかげで完璧な淑女にみえるアン・ティグニーだが実のところかなり男性っぽい性格を持っているのではないかと思う。
ルパードは僕たちを見比べ、砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲んだ。
「何か分からないよな。おまえといえ、ティグニー嬢といえ、顔も教養も揃っているのにわざわざ玉の輿を捨ててまで愛をとろうとするって奴。自分の幸せの将来を捨てさせるほどそんなに相手がいいのか?」
「あら、あなたはそんな人がいたならば幸せと思わないのかしら」
「いいや。しかし、アンお嬢様がその相手だとしたならば考えものだな」
ルパードはいつものプレイボーイの笑みを浮かべる。しかし、そこはアン・ティグニーたいしたものでそれを軽く受け流して逆襲する。
「そういうあなたこそすでにトゥーイッグ会社のお嬢様の愛を手に入れたとか」
トゥーイッグっといったらイギリス一、二を争う紡績会社だった。その事業はイギリスだけにはとどまらず、フランスやイタリアと広がっている。ルパードは一瞬真顔になり、そしてやられたとばかりに笑った。
「いやいや。それでもお嬢様の器量には敵いませんでしたよ。彼女は女がズボンなんてとんでもないと思っているだろうしね」
アン・ティグニーは笑って受け流すと、今日の予定を言う。
「最初はルパード、次はクリストファーにお願いするわ。女の子と話すばかりじゃなくてちゃんと手伝ってもらうわよ」
「分かっているさ。けれどご婦人達が俺を離してくれるかどうか」
ルパードは僕に向かってウインクして立ち去る。その後ろ姿を見送り、アン・ティグニーは肩をすくめて僕を見る。
「それからクリストファー、あなたも午後にはちゃんと帰ってきて。たぶん、あんな調子がいいこと言って結局、ルパードが女の子に手を出している間に残した用事がまだ残っていると思うから」
当日。まだ薄暗い中、起きると目の前にかけられた糊の利いたタキシードが映ったが、僕はそれを無視して普段着のシャツに着替える。やや長めの髪を後ろに結びなでつける。廊下を通るたびに娘達の視線が居心地悪かったが、やっと朝食の席に着く。
「おお、男前の登場だ」
ルパードは笑っていった。席にはティグニー兄妹はいない。
「スタンリーの奴はお偉いさんがやってくる夜のダンスまでは全くの無視を決め込んでいる。ティグニー嬢はもう食べ終わって外に遊びに行っている。残ったのはオレたちだけ。そう、ティグニー嬢からの預かりもんだ」
そう言ってルパードはいくつかの箱を差し出した。中を見るとドレスや靴などが入っている。
「お代はいらないってさ」
見たばかりでは本物の絹だ。後で会ったときにはきちんと礼をしないと。
「それで、おまえは今日どうするんだ? いつもみたいにサボるか、それともきちんと出席するか」
そう、僕はロンドンで学生をしたときに開かれていたプロムは大体サボっていた。多くの若者が集い、情報の交換の場だ。ルパードは好んで行ったらしいが、そして朝帰りも多かったが、どうも人が多いところは苦手であった。過剰に注目が集まる気がして、疲れてしまう。
「いいや、今回はちゃんと出席するよ。…彼女が参加するというから」
「例の恋人か」
僕は頷いた。
「俺がいない間に、かなり有名になった美人らしいが、ようやくそのお顔を拝見できるんだな。なんだ、樵の娘さんって言っていたよな」
僕は肩をすくめた。ルパードは続ける。
「町の娘も賑やかだが、樵の娘は、表面は硬くて物静かだけれど、いったん気を許してくれると、荒々しさが感じられるんだよな。そこが魅力なんだよな。ベッドの中ではよく分かるぞ」
前半のうんちくは頷けるものだった。表面は年老いた木々のように沈着としているが、彼女のその内面は感情の激しさに驚かされる。しかし、後半は。
「馬鹿。それくらいで興奮するなよ。思い切ってここは押し倒せ」
「か、彼女はそんなんじゃない」
しまった、罠にかかってしまった。ルパードは僕の関心をうまく引き寄せたとばかりにニヤリと笑う。
「だが、ワイズ君よ、彼女とはもうキスはしたのか? ふん、おまえにしては結構進んでいるな。しかしだな、それだけでは満足できないことだってあるだろう。そのうちなる感情は誰にでもあるものだ」
僕は言葉に詰まる。初めて彼女と口づけしたときに感じた強い刺激。そのことを何度も思い返してその理由を考えた。しかし、それが最終的に結びつくのはルパードは常に言っていることだった。
「いいか、それを解放してみろよ。それが一つの愛って時もあるんだぜ。人間っていうのはそれがないと増えないんだからな。自然の営みって奴よ」
僕は何も答えずに部屋から出ていく。ルパードはため息をついた。
「いずれおまえにも分かるさ。あ、午前中はおまえがパーティーを切り盛りしてくれ。俺はいろいろ品定めしてくるからよ」
「別に良いけれど。寄りたいところがあるんだが、そこを行ってからでいいか?」
「どうぞ」
しかし頭の中ではルパードの言ったことで混乱している。彼女とはエルフのいにしえの絆で結ばれているはずだ。情愛とかで繋がっている物ではないはずだ。しかし、今になると彼女と交わしたい愛の形一つだけでないと言うことが分かっている。
僕は荷物を持ったまま外に出る。やや曇っているものの、広場を占領している活気はそれを吹き飛ばす物だった。小麦で出来たパンや蜂蜜をかためた菓子、そしてまだ朝であるものの酒がふんだんに振る舞われているおかげで皆浮かれている。僕は彼らが事前に定めた規定を破っていないか見回す。若者達が僕を見つけると何かをこそこそ隠す。後で調べてみよう。




