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逃亡者たち  作者: モーフィー
第一章 Dawn
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4、麦畑の塔

 次の日僕はノロノロと目覚めると母は既に出かけていた。側に用意されていた衣服を身につけ昨日と同じように馬小屋に向かう。今日は少年達に会わないように慎重に、だ。うつむき加減に入ってきた僕にパイプを吸っていたブレンダーさんは眉毛を上げる。


「おはようございます。ブレンダーさん」

「おはよう」


 杖を頼りに起きあがった彼はとっても髭が長い。腰も曲がっているので地面に届くほどだ。


「どうしたんだ、小僧。昨日よりも顔色が悪いじゃないか。伸び盛りの子どもにはよく食べるのがよろしい」

「大丈夫です」

「そうかい」


 そう言って彼は隅に置かれた箒を指さした。もの慣れなかった昨日に比べて慣れてきたのか、それとも馬が少なくなっていたせいか、あらかじめの掃除は昼前に終わってしまった。自分でも驚いているとブレンダーさんは言った。


「小僧、終わったなら遊んで良いぞ。おまえみたいな小僧には日に当たって遊ぶことが大切じゃ」

「本当ですか!」


 彼の皺で埋もれた顔がかすかに笑ったように見えた。馬屋の外は明るい日差しが照っていた。僕は自分たちの小屋に飛び帰り、日記帳とインクを掴んだ。それから早めの昼食をとっている人に交じってパンの塊とチーズを一欠片、そして水をくんだ。


 ここでは都会と比べて敷地内に家々が固まっていてその周りを広い小麦畑、そしてそれよりも広大な森が囲んでいた。僕は小麦畑の中のか細い道を歩きだした。初めてここに来たとき、通った道だ。できるだけ遠くまで行ってみよう。

 最初は畑で作業している人々も見かけたが、家々から遠くなるに連れ、それらは小さくなっていった。来たばかりの時は麦はすべて黄金色ばかりだと思っていたのによく見れば、緑のものなど十分成長しきっていないものも混じっている。それらが寄り集まって大きな海と化しているのだ。


「風の神エウロスがため息をつくと波が現れる…」


 空に差し出した指で空気をかき回すと風は起こり、小麦を倒さんばかりにしならせた。しかし、小麦は滑らかにそれを耐えると、優雅に身を躍らせる。

 僕はその時、まだ一度も見たことのない海を麦畑に重ねた。きっとその中心に立てばすべてが荒々しく、自分が小さく感じるのだろう。


 僕は口ずさむ。


「――そして世界間回り続ける、周知の事実と共に…」


 空の端っこには黒く沸きたつ雨雲が見える。雨の匂いが鼻を突き、インスピレーションの洪水が僕の中であふれ出していた。今あるいている小道がすべてのように見える。


「――もし人が皆自分を全能だと言い、もし人が皆正しいならあの天上に広がる空はカリビアン・ブルーだと信じても良いのだろうか…」


 風は一段と強くなる。僕は黙々と歩き続けた。小麦の海はまるで一つの生物のようにうねる。その波は僕の存在をなくさんばかりにかき乱される。


「――エウロス、南東風の神よ…」


 遠くにポツンと立つ高い建物を見つけたとき、鼻の頭にポツンと滴が落ちた。空気の余韻が消えたとき僕は考えを一時中断した。頭上をすばやく雨雲は覆い、大きな雨粒が空から降ってきた。

 トランス状態からようやく浮き上がった僕は焦った。


「どうしよう」


 元来た道と近くに見える建物を見比べ僕は決心して建物の方へ走り始めた。日記帳は濡れないように服で隠し、なるべく速く。雨足は途絶えるどころか、ごろごろと雷が雲の中で鳴る。暗くなった世界で閃光が落ちる。


「わあ!」


 ものすごい音がとどろき、雨足は一掃大きな音を立て始める。靴の中で泥が音を立てる。

 僕は慌てて石造りの建物の中に駆け込んだ。足を踏み入れた瞬間、かびた匂いが鼻を突く。古びた石造りの建物でたぶん星の観測所だろう。


「すみません、誰かいますか」


 かすかに物音が聞こえたようだが、その他は雨の音しか聞こえない。壊れかけたドアを静かに閉め、ガランと湿っぽい一階から二階へ続く階段へと足をかける。螺旋に伸びている階段は暗く、壁に備え付けられている松明にはクモの巣が張られているようだが、不思議なことに階段には埃は積もっていない。

 そして、もっと驚くことに階段を上がった二階の暖炉には火が焚かれ暖かかった。


「あの、誰かいないんですか…?」


 しかし、物音一つしなかった。僕の足音だけが高い天井に響く。さらに不思議なことに暖炉の前には椅子とテーブルが置かれており、ワインのボトルとグラスが今にも主人がいたように置かれていたことだ。僕はおずおずと狭い周りを見渡したが気味が悪いほど人の存在を感じさせなかった。僕はまだ半信半疑の状態だったけれど、濡れて気持ちの悪い衣服を脱いで暖炉の前にかけた。そして日記帳は、やはり濡れていた。それもすべて火の前に並べて、持ってきた食料を取り出した。パンもチーズも濡れていてあまりおいしくなかったが食べることによってだいぶ人心地ついた。


 椅子に腰掛け、ズボンだけで暖炉の前でくつろいでくると段々瞼が落ちてきた。昨日早く眠ったはずなのに…。目をしばたかせて眠気にうち勝とうとしたけれど気がついたら忘却の渦に飲みこまれていった。


"Caribbean Blue" by Enya

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