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逃亡者たち  作者: モーフィー
第二章 Noon
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47、安らぎ


 それから、僕は彼女の家で風呂を借り、さっぱりしたところで彼女の手招きを受けた。彼女に示されて干し草を編んだ敷物に座る。彼女は様々な匂いがする薬草をとってきた。それらを布と一緒に蒸し、傷に当てる。


「さっき、木にぶつけてしまったんだ」


 僕はやや不自然に曲がった親指を差し出した。


「大丈夫、ひびは入っているようだが、運良く折れてはいない。添え木をしてあげればすぐに治る」


 彼女は優しく言ったが、指を元の位置に治す際は容赦なかった。僕は悲鳴を漏らすまいと歯を食いしばった。彼女は手早く薬草を油に溶かしたものを塗り、布で添え木を固定する。


「早く治らなければ。こんなたくさんの傷、スタンリー・ティグニー達もいぶかしむだろうな」


 すぐ近くにいる彼女は笑って答える。


「それは、あなたの運動能力がないため。森を歩くには獣並の運動能力が必要だ」


 彼女は薬草を塗り込む手を止めてこちらを向いた。蝋燭の炎が滑らかな肌を反射し、碧の瞳を煌めかせる。


「それともおまじないをしようか。私の元気があなたにうつるように…」


 彼女は長い睫を悪戯っぽく羽ばたかせた。それからびっくりしている僕の打撲などの傷に口づけ始めた。僕の中の鳥が母親のぬくもりにふれたように鳴く。柔らかな感触の彼女の唇は温かく、触れたところからぬくもりが広がっていくようだ。僕の中で疲労も手伝って心地よい夢が広がっていく。彼女の唇は上へと登っていく。彼女と瞳と瞳を重ねたとき、僕は半分まどろみの中で彼女を見ていた。その瞳は今まで見たことのない程の安心と歓喜が踊っている。


「…シャイン」


 僕は手を差し伸べ、彼女を抱きしめるかしない中に眠りに落ちていった。




 次の朝、僕は温かな日差しの中起きる。辺りから彼女の声が響いている。


「夢に見たのは 私の手を取る求婚者達

 そんな騎士達にひざまずかれ

 誓いの言葉を囁かれたら どんな乙女も逆らえない

 彼らは私に真の誓いをたてたのよ

 そして 一人の高貴な御方が

 進み出て 私の手を取るの

 でも 何よりも素敵だったのは

 夢の中でも あなたが私を愛していたこと

 あなたは私を愛してくれた 夢の中でも変わらずに…」


 僕は痛む身体に顔をしかめ、彼女を捜す。そして彼女は老木に腰掛けて朝日に照らされた森を見ていた。僕に気がつくと、優雅な笑みで迎えてくれた。猫のようにしなやかに腰掛けている彼女の輝きは黒い衣をまとったとしても内面から輝いていた。


 僕は彼女に微笑みながらそのしなやかな手を取り、甲に口づけた。


「おまじないが効いたみたいだ」


 彼女は微笑み、滑らかに木から降りる。すべてが躍動感に溢れ、たんに血と肉で出来た存在とは思えない。髪一本一本が生き物のように風の中で踊る中で僕は彼女の甘い香りを嗅ぐ。


「お腹が空いただろう」


 僕はずっと、彼女と戯れていたかった。しかし、身体は正直である。彼女にそう言われた瞬間、情けない音を出して空腹を示した。彼女は穏やかに笑い。僕の手を引き、中に入る。


 彼女は大きな木の器に麦のお粥をよそってくれた。薬草の香りがし、異国の味がした。僕が息もつかせず食べているとき、小さな窓から羽音がして、白い烏が顔を出した。


「…ワイズダム」


 白い烏は彼女に留まると、頭をなすりつけた。


「…ええ。クリストファーが助けてくれた。すまない。あなたにもあんな距離を飛ばせてしまって。分かっている。あんな事はもう二度としないよ」


 彼女との会話を終え、鳥はテーブルに降り立った。そして、お粥をかき込んでいる僕を見た。知的な瞳は相手に礼儀を払わせる。


「…あの、おはようございます」


 彼はまるで人間のようにぎこちなく頭を下げて、テーブルに積み上げられていた葡萄を一房とり、また飛び立っていった。


 たくさんのお粥を空にした僕に彼女は薄めたりんご酒を渡した。それで口を濯ぐように飲み、やっと僕は一息ついた。


「…僕はいったん戻らないといけない。心配するだろうから」


 彼女は頷いた。僕は言いにくかったことを言う。


「だから、…あなたはどうするの?」

「私は戻らない。私は長く人間の所へいすぎてしまった。森は私を必要としている」


 彼女は落ち着いた声で言った。僕は戸惑った。ようやく分かり合ったというのにもう別れないといけないなんて。


「スタンリー・ティグニーだって、きっとあなたのことを心配している」


 彼女は疑わしげに僕を見ている。僕はその視線を意識しながら言い募る。


「奴はあなたのことが好きなんだ。当然だよ」


 彼女は鳥のさえずりのように笑った。


「あの、坊やか。心配させておけばいい。また森にやってこなければいいが」


 僕は彼女を見た。


「私が彼のことを気にかけていると?」


 僕は何も答えない。あの現場を目撃した後なのだ。彼女はため息をついた。


「あの者がここら一体で力を持っているのだろう。だから、我慢したまでだ。それに、クリストファー、あの者は誰に似ていると思う?」

「誰?」

「グラナ・アキュベーだよ。あの髪といい、あの顔といい、見るたびに思い出してしまう。それにあの坊やは奴と同じで権力が好きで周りに振りかざしている。そんな奴を好きになろうとしたって無理だ。…それより、あなたのほうはどうなんだ」

「アン・ティグニーのこと?」


 彼女は頷いた。その顔がどうにも真剣で僕は笑っていった。


「もしかして、妬いている?」

「バカ言え」


 彼女はかなり怒っている。そうでなきゃ、いつも礼儀正しいエルフがこんな言葉遣いをすることない。


「彼女は、ただの友だちさ」


 彼女は疑わしげに僕を見る。僕は肩をすくめた。


「残念ながらそうとしか言いようがない。僕を信じてくれないと。あ、そう。彼女は思い人がいるらしい」


 彼女は可愛らしく唇を尖らせて僕を軽く叩いた。


「たぶん、あなたの友だちになれると思う。いい人だから」

「あなたは信用ならない」

「それじゃあ僕は毎日あなたに会いに来よう」


 彼女は何も言わないと思っていたが、やがて笑って肩をすくめた。


「暇になったときはいつでも来るといい。私は森で待っている」


 僕は頷いた。彼女は奥に薬草の包みを持ってきて僕の手に握らせた。


「これを蒸して寝るときに傷口に当てるといい」


 僕たちは先ほどの老木に寄りかかる。薬草を握っていないもう一方の手で彼女と手をつなぐ。


「…クリストファー。覚えて置いて。あなたは私の生きている意味。あなたがいるから私はこの世にいる」

「それは、エルフが言う伴侶の意味?」

「そう」


 僕は彼女を抱き寄せた。その温かさが他の何よりも愛おしい。


「僕もそうだ。シャイン」


 僕は彼女の頬をそっと撫でた。その濡れた宝石が僕を見る。僕はゆっくりと彼女に顔を近づけた。彼女が受け入れてくれるか怖い。けれども、それ以上に彼女の愛を渇望している。長い瞬間の後、僕の唇は柔らかな彼女の物に触れていた。温かな感触に欲望の濁流は押し寄せ、彼女の感触以外は何も感じられなくなった。濃く甘い物を飲み干したみたいに、ひりひりするがもっと欲しいと思わずにはいられない。何物にも代え難い味わいである。夢中で彼女を抱きしめる。そして唇だけではなく舌でそれを味わおうとした瞬間、それらがすべてとりさらわれる。


「クリストファー」


 僕は大きな虚無感に襲われた。腕の中の彼女は眉を寄せて僕を見ている。僕は慌てて手を放した。とてつもない魔力にかかっていたようだ。肩を落とした僕に彼女は顔をゆるめ、額に軽くキスした。


「まだ朝だ。これ以上の興奮はこれからの仕事を乱す。残念ながら」


 そう言って、彼女は笑いながらするりと手の中を抜けた。僕は彼女が離れていくような気がして慌てて言う。


「シャイン!」


 しかし、彼女は僕の近くに立っていた。女神のように美しく微笑みをたたえて。僕は言い直しかけたが、やめて、新たに尋ねる。


「シャイン、今度僕と一緒にパーティーに行かない?」


 彼女は黙って僕を見ている。けれど、僕には確信があった。


「もし嫌じゃなければだけれど」


 彼女は頷いた。


「…ええ」


"Marble Halls" by Enya

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