45、和解
僕が時間を忘れてウトウト仕掛けていた頃、部屋がノックされた。
「私よ。アン・ティグニーよ」
僕はのろのろと扉を開けに行った。
「ずっと部屋に閉じこもって夕食にも出てこないで、気分が悪いのかと思って。まあ、お酒臭いわ。クリストファー、どうしたの?」
僕は笑った。何もかもふわふわして気持ちがいい。僕が揺れる地面を踏みしめ、アン・ティグニーの
前に跪いた。
「これは、お嬢様のお帰りで。忠実なる婚約者はお待ちしていました」
アン・ティグニーは顔をしかめた。
「まあ、クリストファー。…あのね、もう私たちの結婚はなかったことにして」
「どうして。僕はあなたを愛している」
僕はよろよろと彼女を抱きしめようとした。その途端、風を切って平手が飛んできた。小気味よい音を立てて頬がなる。僕が呆然と立ちすくむ前でアン・ティグニーが冷静な顔で腰に手を当てて僕を見ている。
「…な、どうして?」
「第一に私、お酒臭い男性は嫌いなの」
彼女は僕の手からワインのボトルを抜き取るとしっかり栓を閉めた。そして、窓を開き、僕を座らせると、急いでコーヒーをとってきた。マグカップに濃く入れたコーヒーを大量に飲ませ、僕がだいぶ正気に戻るまで待った。
「一体、どうしたっていうの? 帰ってきたと思ったら、あなたもシャインさんもおかしいんだから。彼女、さっきダンスに誘った兄様をふったのよ。理由も言わずに」
「え?」
「私から見ても仲が良さそうだったのに。急にね。それにあなた、こんなに飲んで。あなたがこんなダメ男になるのは意外だわ。性格をみたら兄様やルパードのほうが落ち潰れそうなのに」
アン・ティグニーは遠慮なく言ってくる。しかし僕は目を見開き、言い返す。
「シャインがスタンリー・ティグニーをふった?」
だったらあの森で彼女とスタンリー・ティグニーが交わしていた会話は? 僕のみるみるうちに変わっていく表情にアン・スタンリーは笑う。
「もう、すべての原因はそのことね」
「え?」
「私をふったのも、こんなにくさくさしているのも彼女のことが気になるからでしょう?」
「そ、そんな」
「いいのよ。恋愛とは自分の意思ではどうにもならないことだもの。終わったことは仕方がないわ」
彼女がスタンリー・ティグニーをふった。それじゃあ、彼女が愛している人は…?
「彼女は今頃荷物をまとめてここを出ていこうとしているわ。まあ、ここで一番の権力者である兄様にあんな事言ったのだからね。もし、あなたが彼女のことを呼び止めようと思うならば手伝うわ」
僕は頷いた。彼女に謝りたい。そしてこの気持ちを彼女に伝えたい。一気に顔を輝かせたようの僕にアン・ティグニーはくすりと笑った。
それから、僕たちは従業員達に迷惑にならない程度に彼女を捜した。彼女の部屋はすでに空っぽであり、慌てて正面玄関に行くと、そこにはまだ来てないというため、僕たちはそこで待ち伏せしようとした。アン・ティグニーは悪戯を共謀した友だちのように笑っている。
「私たちおかしいわね。私に言わせると、あなた達二人が惹かれ合っていたのは何となく分かっていた気がするの。そうね、言えば、相手のために命を懸けていいほどに。それを私たち兄妹が引き裂いてしまったようね」
僕は申し訳なくて頭を下げた。
「あなたには本当に申し訳ないと思っています。この償いはいつかします」
「いいえ、そんなこといいのよ。これは私にとってもいいことだもの。…言ってしまえば、私がずるいのよ。あなたはフェアじゃなかったの」
僕は首を傾げた。
「私、好きな人がいるの。私はここに来る前にその人と結婚させてくれってお父様に頼んだの。けれど、その人は絵描きで収入も安定しないから私と不釣り合いだと言われたわ。それでも私は食い下がって、自分で事業を興して自分の事はどうにかするって。そしたらもしもあなたが私をふったならばそれも考えていいって。だから私も頭を使ったわ。商売相手のあなたに不愉快に思わせないで私を振ってもらうって。それが念願叶ったんだから。…私のこと怒ってらっしゃる?」
僕は驚いたまま彼女を見ていた。だから、あのとき彼女はありがとう、と。僕は緩やかに首を振った。
「あなたを利用したのは確かだけれど、あなたとの友情はずっと続いて欲しいわ。あなたのあの理論、素晴らしかったもの。これからも私と友だちでいてくれませんか?」
僕はふうと息を吐いた。胸の中で絡まっていたすべての糸がほどけていく。すべては僕の思い違いだ
った。彼女の腹を割った告白も先ほどまでだったら怒っただろうが、今はどうでも良かった。笑みが顔に広がっていく。
「僕もこれからもお願いします」
「それじゃあ、これからお互い損得勘定無しに始めまして、ね」
アン・ティグニーはぎゅっと僕を抱きしめた。僕も何のためらいもなしに彼女を抱きしめた。深い幸福感を味わいながら僕は閉じていた目をゆっくりと開けた。
と、数十メートル先に彼女が立っていた。少ない荷物をまとめ、来たときと同じように黒い衣をまとっている。一瞬、アン・ティグニーを抱きしめていたにもかかわらず、この世界には僕と彼女しか存在しないように感じた。彼女はかたい表情をしていたが僕の顔を見ると一瞬、ゆるみ、しかしまた腕の中の娘の存在に気づくと足を止めた。
僕はアン・ティグニーを放して、ゆっくりと彼女に近づこうとした。しかし、彼女は無表情のまま後ずさりする。
「…シャイン!」
彼女は獣のような素早さで森に駆けていく。
「…まったく、運が悪いわね」
振り向くと、彼女が唇を噛んでいた。
「どうしたの? 彼女が好きなら後を追いかけなさい」
その言葉で僕は森に駆ける。すっかり暗くなった夜道を月だけを頼りに走る。
ティグニー妹がかっこいい




