42、ぎこちない会話
僕は扉を開ける。すっと彼女が中へ入り、僕もその後に続く。中では既にティグニー兄妹が思い思いに食べていた。最初に気づいたのはアン・スタンリーだった。
「まあ…」
持っていたフォークとナイフが一瞬固まる。みるみるうちに彼女の瞳が驚きで丸くなった。先ほどまで饒舌だったシャインはとまどい、僕の前で止まるのが分かる。彼女は恥じらい長いまつげをふせた。気後れしているようにも見える。そしてしかめ面のスタンリー・ティグニーが不機嫌そうな声で言う。
「アン、淑女がいちいち声を上げ…」
ようやく彼は目の前にいる彼女に気がつく。見る見るうちに妹と同じ顔を同じ表情にして彼女を見つめた。そして僕が予想しなかったことにこのスタンリー・ティグニーは顔を赤らめた。確かに彼女の美しさは辺りを射抜くものがあった。シャインは気まずそうに目をそらしても彼らが何も言わなかったため、僕が彼女のために用意された椅子を示した。
「樵の娘のシャインです」
ぎこちない挨拶をして、彼らは自分たちがおかしな行動をとったことに気がついたようだ。目の前にいる人物がようやく現実に存在することを確認できたようだが、それでも目の前の人物から目をそらせずにいる。いつもの顰め面を忘れてスタンリー・ティグニーは少年のように言う。
「あなたが先ほどの…?」
彼女はとまどい気味に頷く。そして視線に耐えられないように卓上に摘まれていた葡萄を取り上げ口に含んだ。それから気を取り直したアン・スタンリーと僕を中心に食事に会話は進められていった。彼女の方はまだ物慣れぬような遠慮があったが、僕が心配していたこととはならなかった。答えるべき所には答えていたし、笑うべき所では笑っていた。しかし、スタンリー・ティグニーはというと、会話には口を挟むもののその熱に浮かされた視線は始終、彼女に向かっていた。僕はそれに気づき、なぜかしら胸の鳥が呻くような感覚がした。鳥はスタンリー・ティグニーに向かって警告の声を上げている。それと共に湧き起こる怒りを抑えなければいけなかった。どうして、スタンリー・ティグニーにこう怒りを感じなければいけないのだろう? 彼女は誰の物でもない。
しかし、打ち解けたようのアン・スタンリーと笑い声を上げる彼女の姿を見るとなぜかしら痛みを感じ、その笑顔を独占したいと思うのだ。
ナプキンを外した彼女はそっと僕を見た。まるで頭をそっとのぞかせた小動物のようだ。
「クリストファー…。話したいことが」
「クリストファー、この後お暇でいらっしゃる?」
戸惑った声と影のない声が同時に降る。彼女は臆病な小動物は敵に見つかったように碧の瞳を一瞬見せると、口を閉じた。アン・スタンリーはきょとんとしていたが、お互いどぎまぎしている僕たちに気づいたようだ。
「あら、ごめんなさい」
「いいえ、かまいません」
それでは、とアン・ティグニーは明るく言った。
「シャインさんも一緒にどうですか? 三人でおしゃべりでもしません? もっと、森の話を聞いてみたいわ。ああ、そう兄様もどう?」
「私はいい」
彼はぷいっと席を立った。
こうして僕たちは同じ秘密を抱えた共犯者のようにお互いに気を遣いながらアン・スタンリーについていくことになった。
僕らは冷たいワインを口に運びながら蝋燭の火の元集う。
「――それでは、お父様が仕事をされている間森では何をしていらっしゃるの? ご兄弟はいらっしゃらないの?」
「父と私の二人で暮らしています。そうですね、父が仕事に出かけている間、だいたい食事を作ったり、森を歩いたりしています」
「ずっとかしら? けれど何のために?」
「木々達の言葉を聞くのです」
これまでうまくきたが、この発言に僕は冷や汗を流す。しかし、アン・スタンリーは気にしていないようだ。
「それは、お父様の仕事の影響かしら?」
「そうですね…。父と一緒に森を歩いてきましたから。木々が私の師のような者です」
その言葉にはどうも納得しづらいものもあるが、彼女の人間離れした瞳で見られるとそれもあり得るのかと思ってしまう。アン・スタンリーは少し不思議そうにしていたので僕は言葉を足す。
「樵は木を切る前に、どれが良い木でどれが悪い木かも知っていると言います。そう言うことではないでしょうか?」
「ええ。その通りです」
彼女は僕に合わせるように頷く。その時、女中がやってきて礼を取る。
「恐れながら、ティグニー様がシャイン様をお呼びです」
彼女は不安そうに一瞬僕を見た。それから無言で立ち上がり、女中についていく。僕もその細い背中を見つめる。
「クリストファー」
僕は慌てて視線をそらせてアン・ティグニーを見る。彼女は飲み物を幼い子どものように飲んでいるが、探るような目つきで僕を見つめる。
「もしかして、あなた達お知り合いか何か?」
女性が怖いと思うときはこう言うときだ。どうして分かったのだろうか? しかし、僕も頭を巡らせて答える。
「ええ、実は何度か森で会ったことがあるんです。石炭を運ぶための道をつくる際の話を聞いたことあります? この森は、僕もこんな言葉を使いたくないのですが、呪われているんです。一度入ったら無傷では帰れない。僕たちもほとほと困っていたとき、彼女の父親に出会ったんです。彼女の父親と交渉して呪いから外れた道を教えてもらうなかで何度か食事を一緒にしたことはあります」
彼女は頷き、そして声をひそめ内緒話をするように言った。
「彼女とっても綺麗でしょう。女の私だって惚れてしまいそうなほどの美人よ。兄様はきっと彼女と話がしたくて呼んだのね。…あんな人並みはずれた美人があんな薄暗い森の中で暮らしているなんて。もしかして、彼女ってどこかの貴族の私生児かしら?」
「さあ、どうでしょう」
僕は首を振った。その姿にアン・ティグニーは肩をすくめた。
「あなた達ってどこか似ているわね」
僕は思わずアン・ティグニーを見た。
「その、どこか抜けているところとか、浮世離れしているところとか。なぜか知らないけれど、二人で対って感じるの。…もう、私ったら何を言っているの。たぶん、飲み過ぎたわね」
「いいえ」
僕は思わずアン・ティグニーが言っている意味を考える。他から見たらそれほどまでに僕たちは親密に見えるのだろう。僕は闇の唯一の光源である蝋燭を取り上げ、さっと立ち上がる。
「部屋までお送りします」
「クリストファー」
アン・ティグニーは立ち上がり、僕を見た。
さっきまでとは異なった口調にはっとする。その表情は僕より年下のはずなのに成熟した大人のものである。彼女は何かを確かめるように僕を見ていた。将来自分の夫となる者としてその覚悟が出来ているのか、自分の将来を保障してくれるか。そこには、絶対的な愛のその前に僕は彼女の夫となる責任を受け取った。その顔は冗談を言い合っていた時の陽気さはなかった。ただ、甘美な誘惑の駆け引きが存在している。




