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逃亡者たち  作者: モーフィー
第二章 Noon
42/84

40、ぎこちない対面

 ぽかぽかの陽気の中、僕がぶらぶら歩いているとテラスから声がふってきた。


「クリストファー!」


 はつらつとした声は強くなった夏の日差しにも負けなかった。振り向くと、ズボン姿で足を組み、本を読んでいたアン・ティグニーがそこにいた。


「アンさん。おはようございます」

「ごめんなさい。忙しかったのを引き留めてしまったかしら?」

「いいえ、そんなことないです。逆に少し暇をもてあましていたところですよ」

「そう。よかったわ。こちらでお話でもしません?」


 僕はテラスまであがり、隣に座った。と言っても、何を話して良いのか分からない。しばらくの沈黙が流れた後、アン・ティグニーは気を取り直したように言った。


「あなたは学生の時に新しい経済スタイルを生み出したようね。兄様がそれを誉めていましたわ。私にもそれを見せてくださらない?」

「え? ああ、かまいませんよ」


 僕は走って、自室に戻り論文を取ってきながら、どうして僕はこうも女の人と会話するのが苦手なのだろうと思わずにはいられなかった。相手のことを嫌いな訳じゃないのに、いざ目の前にすると何を話して良いのかとまどってしまう。頭が真っ白になり相手との時を楽しむことではなく会話することに気が行ってしまうのだ。結局相手にも気を遣わせてしまい、自己嫌悪にも陥り僕は何も楽しめない。


 僕は彼女に論文を差し出す。早速読み始める彼女に専門用語も多く、解説が必要かと思いきや彼女はすらすら読んでいる様子だった。世の中に女性の教育機関というのはあまり存在しないのに、この論文が読めることは不遜ながらびっくりした。しばらく彼女は読みふけったまま何もしゃべらずにいたので僕も何もすることがなく外を見ていた。


 しばらくして隣の彼女が大きな息を吐いた。


「ごめんなさい。思わず読みこんでしまって。…けれど、この論文はものすごく面白いわ。本当に素晴らしい。と言っても私、すべて理解したわけではないけれど。分からないところをどうか解説してくれません?」


 事業者志望だけあって、並大抵ではない集中力を働かせているアン・ティグニーに僕も思わず熱が入って、まるでルパード相手のように熱い議論をかわした。とうとうお昼の声が呼びかかり、僕らは息を切らせながら口を閉じた。そして顔を見合わせて笑いあった。


「とっても楽しかったわ」

「僕もこんな議論が出来て、すごく新鮮でしたよ」

「あら、私もこんなハンサムさんと議論が出来て光栄だわ。もっと話したいぐらい。午後はお暇でいらっしゃるの?」

「午後は時間があまりないようです」

「そう…。それではこの論文を私に貸していただけないでしょうか? もっとじっくり読みたいわ」

「すみません…。決してアンさんを信用していないわけではありませんが、それに関しては換えがないため僕の方で保管しておきたいのです」

「そう…。それではあなたがお暇なときにまた私に貸して解説してくれませんか? もちろん、あなたがよろしければの話ですけれど」

「かまいませんよ」

「まあ、ありがとう。もうこんな時間。お腹が空くはずだわ。それでは、またお昼に会いましょう」


 風のように去っていく彼女の後ろ姿を見つめ僕はそのままダイニングテーブルへと向かった。広いテーブルには様々な料理が並べられているが用意されているフォークとナイフは二人分だけ。僕とアン・ティグニーである。しばらくして部屋着のスカート姿でアン・ティグニーは現れた。僕らは笑みをかわしていただきますと言った。


 会話は何となく先ほどの議論に移っていった。やはり議論していて相手が男性とは違うと思うことは、議論に熱中しているときでも彼女はおろそかになりがちの食事を促してくる所であった。そのおかげで、僕はどれにも集中することが出来ず、ついついひき気味であったが、相手の方はと言うと食事が進んで行くに連れエネルギー補給されていくらしく、ともすれば先ほどより活発であった。


 午後はミーティングを行い、僕は夕方になるとスタンリー・ティグニーが帰るのを待ち受けた。石炭を運ぶ道はまだしっかりしておらず車輪を走らせることが出来ないため、馬か歩きでしかたどれなかった。今朝、スタンリー・ティグニーにがっちりとした馬を引き合わせたとき、彼は少女のような顔を引きつらせていたが、さすがの子息で乗馬は一通りこなせるようだ。お手本のように姿勢良く馬に乗ったスタンリー・ティグニーを僕は見送ったのだった。


 馬影が見えてきたとの知らせを受け僕は待ち受ける。夕焼けをバックにした森から現れたスタンリー・ティグニーは行ったときと同様ぴしりとした服装を整えようとしていたがその服にはどうも隠しきれていない泥と草木の汁がこびりついている。彼の白い顔も加え、どうもアウトドアタイプではないのは確かだ。スタンリー・ティグニーが憮然とした表情で降りるのに笑いをこらえることが出来ず、僕はにやにやして降りるのを手伝った。


「大丈夫だ」


 そう言いながらぎくしゃくしながら馬から下りる。


「どうでしたか?」

「まあ、結構だろう。これから私は部屋にこもる」


 彼は青白い顔で言う。手綱を僕に任せ、立ち去ろうとしたスタンリー・ティグニーは思いついたように振り向いた。彼が顎に示したのは後に控えていた全身を黒い衣で覆った人物だ。


「そうだった。彼にちゃんとした部屋を与えてくれ。後、相応の衣服を。私の命の恩人、あー、いや、森に詳しいらしい。後で彼から話を聞きたい。君より有用な情報が得られそうだ」


 僕はまさかと思って目を疑った。その顔は見えないが、このような顔を見せない奇妙な服装を着る者は一人しか思いつかない。その姿は見たことがあるばかりか、今一番会いたくなくて、一番会いたい人だった。


(シャイン!)




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