39、ティグニー兄妹
次の朝、朝食の席でルパードはこづく。
「どうだった? お嬢様との関係は?」
「まあ、なかなかのもんじゃないかな」
ルパードはフンと鼻を鳴らす。
「なんだその、色気もない答えは。おまえお嬢様の部屋まで行ったんじゃないのか?」
「いいや。結局テラスであったんだ。それにいきなり部屋を尋ねたら危ないだろう」
そう言って、僕はルパードのにやにや笑いに気がついた。
「いや、おまえがその顔でどれだけいけるかなと思ってよ。なんだ、お嬢様の部屋で過ごさなかったのか。おまえときたら俺の言葉をいちいち聞くだろう。次からは何にも言わないからな。口答えするぐらいなら自分で考えて行動しろ」
僕たちは再びスタンリー・ティグニーと顔を合わせることとなり、またもや完敗した。僕らは彼が指摘したとおりのことを書きだすと、再びスタンリー・ティグニーは少女のような顔でてきぱきと指示を出していく。気にくわない奴だが有能だとは舌を巻かざるをおえなかった。
「ここでの進退は私の進退にも関わっているんだ」
ふと漏らした本音で彼も本気であることが伝わった。自分の意に添わないとしても自らの利益となるならば喜んで手を組むのが事業者というものだ。僕たちは相手に反感を抱いていることも忘れて本気の議論を始めた。そして、煮詰まったところになるとアン・ティグニーが現れ天使のような笑顔で皆を和ませた。
「ここでのこれだけの人員は不必要だ。それよりは掘ることにその労力を使った方がいい」
「いいや、それは無理だ」
「それでは、少しだけ資産を投資してロンドンから新しい機械を取り寄せてそこに当てたらいいのではないでしょうか?」
白熱したところに合いの手としてアン・ティグニーは口を挟む。彼女は兄の前では無知のふりをしているがチラリと見せる真面目な顔からは経営に関してかなり勉強しているのではないかと思わせた。
「その賃金を機械の買い取りに回したら将来的に見たらプラスになるかと思います」
その意見にスタンリー・ティグニーはきっと顔を上げる。
「それこそ無駄遣いだ。そこに投資するよりは物乞いにあげた方がましだ!」
と、妹の顔を見つけスタンリー・ティグニーの興奮した顔が緩んでいく。今の発言をした者が無知なふりをした妹だったということに今気づいたようだ。
「アン…」
アン・ティグニーは当たり障りない礼をして部屋を出る。スタンリー・ティグニーは頭をかき、大きなため息をついて二人に向き直った。
「すまない…妹が。後で強く言い聞かせる」
「いいえ、なかなかお嬢様は良い筋を言っていると思いますよ」
ルパードは笑って言い返した。
平凡だった毎日がティグニー兄弟のおかげで刺激的になった。歯車がどこかチグハグであっても事業はうまくいき、アン・ティグニーとの交際もなかなかいい感じだ。妹の交際を兄は何も言わないが認めているようだ。
しかし、僕にはそんな毎日が過ぎていく事に何かが失われていく気がした。森に入らなくなってもう久しい。彼女はどうしているだろうか。目をつぶると瞼の奥に何度も焼き付けた彼女の姿が浮かんでくる。魔女のような黒衣、しかし中は天使のような容貌。いや、人を射抜く美しさは魔女とも言えるだろうか。彼女は無表情でいる。その瞳には何も映ってない。そして、失われた何かに涙している。僕ははっとして目を開ける。遠くにいてさえも彼女は人を操る能力があるのだろうか。僕は自室の窓から見える森を見つめた。夢の中では相変わらず彼女を求め森の中を歩いていた。
「おい、クリストファー。スタンリーが石炭を運ぶ道を見たいんだと。オレたちの話では不十分だって、自ら下見すると。おまえが行くか?」
「何で僕が」
「だっておまえ、最近森に行っていないだろう。態度を見れば分かるって。スタンリーはどうせ文句しか言わないんだしおまえは途中で抜け出して愛人にでも会ってきたらどうだ?」
「何が愛人だよ。僕は遠慮する」
「そうか…。おれ、実を言うとこれから実家に帰らないといけないんだよな。ちょっとお袋が病気だって言うからさ。まあ良くも悪かろうと数日で帰ってくるけれどな。な、おまえ、本当に行かないか?」
「僕が行かなくてはいけない状況なのか?」
「いや、そうでもないが。おまえが一番詳しいだろう? おまえだったら森の危険がどこにあるか分かるだろうし」
「道筋通りに歩いていけば問題ないさ」
森にはいると彼女の魔力に取り憑かれる。今の僕がそれに抵抗することは不可能だ。今の僕はアン・ティグニーを愛している。彼女はユーモアがあって、野心がある。美点を数え上げればきりがない。遠い将来、妻となったアン・ティグニーと二人の間の子どもたちと共に森の中でハイキングなんか出来るまで…。僕は当分森の中に入らない予定だった。
スタンリー・ティグニーに適当な案内役を付けると、彼はいつもの仏頂面のまま、一本の道を登っていった。その後ルパードがロンドンへ旅立ち、僕はいつも通り従業員に指示を出すとすっかり何もすることがなくなってしまった。




