3、食事会
僕は指定されたとおり、一人で母屋に立っていた。すでに日は暮れているが辺りでは火が焚かれていて明るい。今日の仕事を終えた人が火にあたるためやってくるようだ。僕はそんな奇妙な視線を浴び、緊張して冷たくなった手を握りしめた。
「クリストファー・ワイズでしょうか。お嬢様がお待ちです」
丁寧に案内されて、僕は農場主のプライベートルームへと誘われた。
「こちらです」
そうして示された所には暖かく燃える暖炉に大きなテーブルが置かれ、いい匂いが漂っていた。そして椅子の一つに工場主の娘シャロン・ゴードンが座っていた。今の彼女はかわいらしいドレスを身につけ、唇はピンク色に軽く薄付いている。彼女はぱっと、顔を明るくした。僕は慣れない経験に足を止めた。
「まあ、クリストファー、どうぞいらっしゃい」
にっこりと笑って、自分と近い席をさした。
「さあ、遠慮しないで。私、近くであなたと話したいの」
彼女は手を引いて僕を誘った。僕は今、顔が真っ赤になっているのだろう。手の冷たさをやけに感じる。淡いバラの香水が漂う。
「空腹でしょう。どうぞいただいて」
僕は軽く頭を下げ。近くにあったパンをぼそぼそ食べ始めた。シャロンはかいがいしく肉を切り分けてお皿に装った。
「あの、どうもすみません」
「いいのよ。そうしている方が楽しいもの。ワインはお飲みになる?」
「…いえ」
「そう」
お腹は空いていたが、隣で見られているせいかあまり腹に入らなかった。テーブルに灯された小さな蝋燭が揺れ、シャロンの目が丸く輝く。
「ここに来る前は何をしていらしたのかしら。将来の夢は持っているの?」
「ええ…詩人です」
へえ、と彼女は目を丸くした。小さな声でたいした物じゃないけれど、と付け加えた。
「それじゃあ、何か一つここで披露してくれる?」
「ごめんなさい。これまで書いたものはすべてノートにしまっているんです」
質問を考えるあまり、おいしい食事だってあまり喉を通らなかった。それからもシャロンは話題をいくつか持ち出して僕に話しかけるが、僕はあがっていて生返事しかできなかった。そんな僕に気がついて彼女は困ったように微笑んだ。
「あの、私と話すのは嫌いかしら。よくお母様からもおまえは人の話を聞かずに喋ると言われているの」
「いいえ、そんなことありません」
そう言ってみたものの、話題はなくただ無駄に時間は過ぎていく。目の前の料理は何も答えてくれない。すると、一番疑問に思っていたことがスルッと、質問になって出てきた。
「どうして、僕をここに呼んだのですか」
シャロンはその言葉にびっくりしたようで、僕は一気に汗が拭きだした。僕は何かおかしな事を言っただろうか。
「それは、ね…。分かるでしょう?」
彼女は気まずそうに、けれど恥じらいを含んだ顔で僕を見る。その中に僕の知らない何かが隠されている。それを今読みとらなくてはならない。
「何か…」
「そう。何か感じるでしょう」
そして、予想もしていなかったことに僕の手を取って握りしめた。
「初めてあったときに私は思ったの。あなただって」
熱い視線に対して僕は曖昧に笑うしかなかった。握られた手はそのままで冷たい沈黙が降りる。僕が今言わなくてはと思う。
「あの、僕もあなたに会えてよかったです」
「え」
何かを間違えたのかと焦る。
「お嬢様は綺麗だし、優しいし…」
言っていくうちに自分でも何を喋っているのか分からなくなっていった。けれど、彼女はそっと微笑んだ。
「ええ、ありがとう。私もあなたのことをもっと知りたいわ。それから私のことはこれからシャロンって呼んで」
「はい…」
彼女は優しく僕を見ていたが、やがてハッと気が付いたようだ。
「ああ、もうこんな時間! 私も行かなくちゃ。クリストファー、今日は本当にありがとう」
「僕も、あの、ご馳走様です」
彼女がにこやかに頷いたのを確認し、僕は小さくお暇しますと言って外へと駆けだした。
火が燃えていた中とは違って外は凍えるほど寒い。感情のまま走っていたが、息はすぐにあがってしまいとぼとぼと歩き出したとき、干し草の影からごそごそと音が聞こえ、先ほどの少年達が顔を出す。その姿を認めたとき、僕は再びうつむいて走り出した。後ろから声が聞こえてくる。
「おお、クリストファー坊やはシャロンお嬢様を満足させられなかったのか。そうだよなあ、おまえ実は女だもんなあ」
そして、少年達は母屋から出てきた初老の男の姿を見て、怒鳴られる前に逃げるようとちりぢりに去っていく。
「僕は女じゃない。女なんか嫌いだ!」
恥ずかしさで一杯な頭の中で僕を見て笑った娘やシャロンの顔が浮かんできて、僕はそれを乱暴にうち消した。そして一番嫌いな細い僕の顔に目をつぶる。もう一度小さく女なんて嫌いだと呟く。その時、女と言った中に母は抜けていた。母は母だった。
しょんぼりと自分の小屋を開けたときにも母は優しく僕を迎えてくれた。
「お嬢様とのお食事会はどうだった?」
僕は乱暴にシャツを脱ぎ捨てた。
「ねえ、いつここから帰れるの?」
「クリストファー」
母は困った顔をして、それでも答えないのを見ると、僕は日記帳を抱えてベッドに潜り込んだ。今朝思ったここの美しさなんて、もうちっとも感じられない。まだ都市の薄汚れた空気の方がここより優しい。
クリストファーはただのチキンです。
次回こそは、ようやくあの子が! うん。今度こそ!