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逃亡者たち  作者: モーフィー
第二章 Noon
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33、再会

 ああ、僕は死んだのだ。

 だからこんな広い暗闇を漂っていられるのだ。

 すべては幼かった子どもの頃へ戻って。

 男でも女でもなかったあの時へ。

 誰かいる?

 あのこは…



 突然暗闇は弾け、僕は覚醒した。本当に覚醒したんだ。瞳には屋根が映し出され、手には柔らかい手触りの布を感じられる。ルパードたちに助けられたのだ。僕は安堵のあまり頬に涙を流した。


 顔を上げると誰も部屋にはいないみたいだが、いつか誰か来てくれるだろう。傷にはすべて丁寧に包帯が巻かれている。温かい部屋は見覚えはないが、母屋のどこかということは確かである。


 僕はゆっくりと立ち上がり、部屋を出ようとした。温かいお茶が飲みたい。僕は薄くドアを開けて外の様子を見ようとして凍りついた。


 いる。


 僕を殺そうとしたあの黒い人物が。


 彼はただいま外から帰ってきた様子で、テーブルにどさりと荷物を置いた。思えばここは母屋ではない。どこか知らない場所だ。きっと、僕を殺そうとしたこの黒い人物の家。しかし、逆に僕を助けてくれた。どうして? 疑問が山のように浮かんだが、それは黒い人物の動作によって中断された。


 彼は頭に被っていた布を脱ごうとしていた。厳重にくるまれた布の下はどんな顔に? きっとよほどの醜い男なのだろう。僕はそう決めつけた。


 同じく黒い布に包まれた無骨な指がゆっくりと布をほどいていく。しっかり固定されていた糸をゆるめる。僕はなぜかしらそれに美しさを感じた。どんな醜い男にしても動作の奥には美の所作が身に付いている。それがものすごく面白かった。彼は布を一気に取り払った。


 途端、思いもしなかった黒い髪の滝が現れる。光を弾く、絹糸のような髪だ。女? 手がその髪を掻き上げると細く白いうなじが光る。強烈に甘い香りが香った。僕は信じられない思いでそれを見た。醜い顔立ちのあまり顔を隠していた、いや逆だ。きっと美しい顔を隠すため黒い布で覆っていたのだ。再び、夢の中で彼は何かを囁く。僕は魔法にかかったように何も考えられなくなった。ただその後ろ姿に魅せられたように無防備にドアを開いた。


 黒髪が翻り、彼女は僕を見た。そして一時も目が離せなくなった。


「あ…」


 なんと…


 大きく見開いた瞳はエメラルドのような鮮やかな碧色。その上には形の良い眉毛が揃っている。細い鼻筋と対照的な色づいた豊かな唇。それらが微妙なバランスをとってこの世のものとは思えないほど美しい顔を形取っている。


 しかし、驚くべきはそれだけではない。僕は、彼女を知っている。こんな美しい人に過去に会ったことがあるのだ。僕らは共に笑い合い、体温を分け合った。彼女の名前は…


「シャイン…」


 その名を聞くと、彼女は唇を震わせた。


「…僕はあなたを知っている。そしてあなたは僕を知っている。どうして?」


 僕は彫像のように固まっている彼女に近づき触れようとした。その時、猫のような敏捷性で彼女は身を引く。


「ご、ごめん」


 どうして僕は恋人でもないのに彼女に触れようとしたのだろうか。それでも僕たちはお互いから目を離せずに固まっている。見れば見るほど引き込まれるような存在だ。こんな人を忘れていたなんて信じられない。こんなに美しい人なら一目見ただけでも一生忘れないのに…。


「僕に教えてくれないか? 君は僕の消えた過去に大きな存在を占めているんだ。僕たちの中には何があったの?」


 途端にとんでもない妄想が浮かんでくる。若い彼女を抱きしめて彼女の体温を感じている。そんなことはあり得ない。こんな高貴な人とのもっともあって欲しい仲を一瞬の間で考えるなんて僕はなんて愚かなのだろう。


「人よ…」


 低く響く心地よい声だ。


「すぐにここから立ち去りなさい。森にこれ以上危害を与えようとするならば、我々はおまえたちに制裁を下すだろう」

「ちょっと待って。僕はあなたのことを知りたい!」

「私はあなたのことを知らないし、知りたくもない。人間のことなんか」


 彼女の微かな息づかいが聞こえる。


「嘘だ。あなたは僕のことを知っている。…シャイン!」


 しかし彼女は僕を見ずに軽やかに家から出ていった。一人、僕だけが残される。がらんとなった部屋で僕は立ちつくす。僕は魂が抜けたように椅子に腰掛けた。木を磨いて作られたテーブルの上に無造作に一冊のノートが残されている。僕はハッとしてそれを見直した。これは、ずっと前に僕が母からもらった物だ。端っこが焦げている。どうしてこれがここに…?


 開くと僕の筆跡で文字の羅列が渦巻いている。


「エウロス、南東風の神よ

 そして世界は回り続ける

 周知の事実と共に

 人は言う

 あの遙か彼方に広がる空の色は

 カリビアン・ブルーだと…」


 間違いない。僕が書いたものだ。その時僕は昔詩をたしなんでいたことを思い出した。ロンドンからやってきた先生に一つ認められたぐらいで舞い上がり詩人になろうとしたことも。


 僕はそれをポケットに入れて家の外に出た。質素な家の周りには人の気配はない。彼女はどこかへ行ってしまったのだろう。僕は未だ痛む足を引きずって坂を下り始めた。


"Caribbian blue" by Enya

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