31、エルフの呪い
「大変です! グリント様、ワイズ様!」
未明、廊下が騒がしくなり僕らは呼び起こされた。隣の部屋から寝癖の立ったルパードが顔を出している。
「どうしたんだ、何か問題でもあったのか?」
「昨日山へ向かった者たちが…」
表からは人の叫ぶ声が聞こえる。僕はカツカツと広場となっている空間に出た。空は白みかけているがまだ微量の冷気が世界を支配している。そして広場に横たえられ未だ呻いている者とすでに骸になった者を見つけた。辺りには鬱屈な土の匂いが立ち上る。人の影となって命からがら逃げ帰ってきた様子の彼らの様子はよくは見えないが、血の赤さだけは目に染みるようだった。家族の長を失って泣き叫ぶ女達やそれらを遠巻きに不安そうに見つめる親子など。
「つい先ほど、山から戻ってきて…。しかしこのありさまでは何が起こったのかも聞けず…。しかしながら、傷跡から察するに獣に襲われたのかと」
「ひどいな…」
「まったくだ。しかし、田舎に住むならあり得ることだろう」
ルパードは階段を下りて集まった人々に呼びかける。
「今回の惨劇には心から同情する。殉死したこの者たちの家族には特別な扱いを許そう。しかし、ここで我らはくじけてはならない。危険なことは承知の上だ。彼らの葬式を終えたら仕事を再開しよう」
再生を促すルパードのポジティブな声にも彼らは反応しなかった。真っ黒に汚れた顔の下の目玉に恐
怖を浮かべひそひそと小声で話すだけだ。
「どういうことだ? 獣に襲われて命を落とすことはここでは希ではないはずだろう」
ルパードは側に控えた現地の補佐にこっそり尋ねた。
「ええそうですが…」
実直そうな彼は目を背けて言葉を濁した。その時、濁った泥の中にいた彼らの一人が呟いた。
「エルフの呪いだ…」
それは小さい声だったが、彼らはぎくりと動きを止めて、そう言った若い男を見た。頬のこけた彼はガラス玉のような目玉を光らせ叫んだ。
「エルフが怒っているのだ! 森を破壊しようとしているオレたちと、ロンドンから来たこいつらの命を狙っているんだ! 前回のロブ・ゴードンだってそうだろう? あの親父は森に木々を見に行って夕方になると血だらけで帰ってきた。オレたちはエルフの怒りに触れちまったんだ!」
よだれを垂らし、髪を振り上げ叫ぶ彼は決して正気には見えなかったが群衆は彼を見て動揺した。側に立っていたルパードが小さく舌打ちする。
「彼を連れて行け」
両脇を抱えられ連れて行かれる彼を後目にルパードは人々を見る。彼らは今の言葉を真に受け、怯えて今にも噴出しそうであった。僕らはため息をつく。
これが最初の試練だ。事業には障害が付き物だ。むしろ、ここまで何もなく来られたのは運が良すぎたのかもしれない。
ルパードが手を打ちならす。
「落ち着いてください。我々はエルフなんて信じない」
「し、しかし、獣たちはエルフの使いだ。現にあんた達もけが人を見ただろう。普通の獣であったらあんなに無惨にかみ殺さない」
「しかし、獣であるならば我々が殺せる」
ルパードがぐるりと見渡した。
「ロンドンは今急速に進んでいる。皆も聞いたことがあるだろう。馬を使わずに鉄の塊が道を進むと。それだけではない。獣をしとめられるのは今では剣や弓矢だけではない」
そう言って、芝居がかった動作で銃を抜くと、ルパードは空を飛ぶ鳥に狙いを付け撃った。それはまんまと当たり、黒い影は空から落ちてくる。
「銃というものだ」
彼らはルパードの手の中にある黒い塊に魅せられる。
「そして僕たちはそれに装備されている」
彼らはルパードの後ろにいてあまりしゃべらない僕に驚いたようである。僕はちらり上着の中を見せた。奮発した装備である。なぜか若いご婦人が黄色い声を上げる。ルパードがとがめるような視線を送った。僕は肩をすくめた。
「心配だというならばオレたちが行こう」
朝が開けていく中、僕たちは持ってきた銃を集めてきた。また志願者を集い、銃を持たせた。ルパードが微調整をしているとき、僕はふと思いついた。
あの若者が言っていたエルフの呪い。僕は唇を噛んだ。なんだろう、昔どこかで聞いたことがある。そう、ここで。誰かと。僕はかさぶたが開くよう、失った記憶が疼くのを感じた。どうして? 僕の記憶はそんな他愛のない噂に関係しているのか? 思わず苦笑いをして、それでもやはり気になりかすかな断片を頼りにある場所へ向かう。
僕は馬小屋の前に立っていた。昔働いていたところだ。埃の降るドアを開けると思っていたとおり、昔から一歩も動いていないように座っていた老人がいた。
「ブレンダーさん…」
自分の名前が呼ばれて老人は少しだけぼさぼさの眉を持ち上げた。
「お久しぶりです。クリストファー・ワイズです」
「…はて、昔会ったことがあるかな」
たぶん彼は主人が替わったことさえ知らないのであろう。僕は気を取り直して尋ねた。
「ええ、昔ここであなたの手伝いをしていました。あの、聞きたいことがあるのですがよろしいですか?」
「こんな老人に、残っているのはカスみたいな記憶と、同じくクズみたいな余生だけだ」
「それが僕にとっては宝となるのです。あなたは昔僕にエルフのことを話してくれました。…エルフとは本当に存在しているのですか?」
突然、白く濁った眼が僕を捕らえた。
「エルフのたたりだ。エルフを怒らせてはならん。すぐにここは飲みこまれるぞ」
僕は笑った。きっとあの男はこの老人から話を聞き、運の悪い出来事を関連づけ、迷信のエルフの存在を確かめたのだろう。
「それでは僕たちはエルフを退治してきます。そうすればここはもっと平和に暮らせるでしょう」
きびすを返そうとした僕の腕を老人とは思えないほどがっちりと掴む。
「ならん。そんなことは不可能だ」
「どうしてそう言えるんですか。僕たちは最新の技術を持っています。過去の禍根はここで断ちきった方がここのためにもなるんですよ」
なおも取り憑かれたようにせまる老人を押しとどめ僕はルパードの元へ戻る。




