閑章
説明の会
僕の記憶に関しては何の成果ももたらせないまま、春が訪れ、僕らは荷物をまとめて農場を出た。母が僕のいっこうに良くならない調子に一刻もここから離れた方がいいと判断したからだ。町に戻り、根
気強く医者に通うと夢の人物の存在も薄れていくような気がした。
そんな時、町一番の資産家のところと母が結婚することになった。その男は最近妻を亡くし、悲しんでいたところ母に一目惚れして一ヶ月にも渡る熱烈な求婚の末であった。男は優しく温厚で、僕としても異論はなかった。
少ない荷物をまとめ、僕たちは大きなお屋敷に移った。二人で大きな屋敷を見上げボーっとし、中に入ってその豪華さにまたボーっとした。僕は平民から貴族になった扱いであった。男と亡くなった妻の間には子どもはいなかったので僕は彼に自分の息子のように可愛がられた。上等に仕立てたシャツを着て、気取って歩く。したいことだって何でも出来る。
母と男が結婚式を挙げそれからしばらくして僕は商売を学ぶため、寄宿舎のある学校に行くことになった。事業を継ぐことはないにしてもそれなりに勉強をすれば自分で店を開けるかもしれないという、母と新しい父の考えだった。もちろん僕も異論はなかった。好きな数学や経済が学べる。
興奮した僕を母は苦笑して、しかし幸せそうに言う。あなたが商売だなんて。私は全く考えも出来なかったわ。ずっと芸術家になるのだと思っていたもの。僕は全く論外だった。この僕が? 詩や歌を?
全くの冗談だと思った。
別れの時は、やはり悲しかったがそれよりも新しい事への希望で一杯であった。寄宿舎に入った僕はこれまではロンドンから先生が来たときにしか出来なかった勉強がいつでも出来る幸せに胸を躍らせた。書物だって山のようにあるし、先生方に聞けば多くの答えが返ってくる。また友にも困らなかった。世界は思ったよりは広いのだ。
あっという間に一年が経ち、二年、三年と過ぎる。心の空虚は日々の楽しさに埋没していき、夢の人物は影を薄めていった。母からは妹が生まれたことや会えなくて寂しいなどという手紙が送られてきたが、僕はいわゆる反抗期の真っ盛りであった。母からの愛情よりは勉強や友との悪戯ことで一杯であった。




