23、事実
僕はハッとした。誰もいないように思われた木の陰からエルフが滑り出す。優雅な足取りは見知ったものでもある。
「グラナ・アキュベー…」
彼の瞳は僕を捕らえて離さない。彼は細く少女のように柔和な表情のまま腰に下げた剣を抜き、寸部も違わずに僕の喉に当てた。冬の冷気よりも冷たいものの感触に初めて恐怖を感じる。
「あなたがどこの馬の骨の者かは知りません。次期王はどこにいらっしゃいますか?」
「シャインは王になることを拒んだはずだ」
「いいえ、あなたが勝手に解釈したことでありましょう。そんなことはありません。エレヴェンダー王も期待しております」
彼の後ろから一人、また一人と冬装束を身につけたエルフ達が現れ始めた。皆静かな顔をして手に持った弓で僕の心臓を直接狙っている。彼は瞳を細めて微笑んだ。
「それともあなた共々、伴侶の徴でも現れたのでしょうか? それなら逃げ出さなくてもあなたが誰であろうと里を上げて祝ったのに。それとも、お遊びで単に外に出ただけでしょうか? あなたも普通のエルフなら外が人間で溢れていてどんなに危ないかご存じのはず…」
その時、彼の黒目がちの瞳が僕の耳を捕らえた。その時、僕は帽子を被っておらず、丸みをおびた耳が丸見えであった。
「…まさか」
優しそうな顔が驚愕に真っ青になる。無表情だったエルフ達もそれに気が付いたようで白い顔が歪む。ギリギリと弓弦が鳴る。
「アキュウベー殿…」
鉛を流し込まれた空間で、エルフ達は手に持った弓を今にでも放ちそうであった。
「待ってください」
グラナ・アキュベーはようやく言ったが、その顔には既に微笑はなかった。
「…まずはシャイン様です。最初に安全を確保しないと」
彼は隙のない手つきで僕の両腕を捕らえた。逆手を取り上げられた僕は呆気なく地面に倒れ込んだ。雪の冷たさが頬を刺す。それを起こすまでもなくグラナ・アキュベーは非情に僕を見下ろすだけであった。
「人よ、シャイン様に近づいた目的は何なのですか? エルフの里を乗っ取るためですか? シャイン様をどこにやったのですか。まさか、傷つけでもしたらあなただけではなくあなたの親族すべてを探し出してつるし上げます」
「違います! 僕はシャインをただ」
「ただ、何です? ずる賢い人間が何を考えているか分かりませんが、嘘だけは止めた方がいいですよ。その数だけあなたの指はもがれていくでしょう」
彼は低く控えめに言ったが、恐怖をそこなでするには十分だった。
「違う、僕と彼は純粋に一緒にいたくてエルフの里を飛び出したんだ」
「そんなわけあるはずがない」
しかし僕が黙っていると指を踏みにじられた。思わず声にならない悲鳴を上げる。
「自分だけのことでなく、相手のことも考えなさい。あなた達はエルフの里に連行されます。あなただけが拷問にあえばそれだけでいいものの、あなたがここで長引かせるとシャイン様までそう言う目に遭うかもしれない」
シャインが僕のせいで苦悩する…
それだけはあってはならない。僕はコクリと頷いた。
「…案内します。けれど、決してシャインには」
「分かっています。私たちも将来の王のためを第一に考えています」
のろのろと僕は促されるまま歩き、展望台まで歩いた。古びた扉をくぐり、エルフの兵達が警戒しながら塔を登る。僕の方は首筋に剣を当てられたままだった。
「…シャイン様、シャイン様、お怪我は」
塔の中で反響する音は小さい声でも伝えてくれた。僕は下で、兵達が戻ってくるのを待った。呼吸の音が響く。音がありありと二階の様子を伝えてくれる。
突然響いた息をのむ音と弓が落ちる音が響いた。
「…アキュウベー殿、大変だ。シャイン様の様子が」
シャインに何かが? 僕はパニックとなった。
彼が、シャインが…! そう言えば、先ほど彼は気分が悪そうであった。そんな彼を一人残していくのではなかった。僕は夢中で声を張り上げた。
「シャイン、…シャイン!」
小さな呼吸の中で彼が呟く声が聞こえた。
「クリストファー…」
エルフ達の制止を振り切り、僕は階段をかけあがる。
「シャイン」
着替えをしていた最中で倒れたのだろうか、彼は裸で藁のベッドに沈んでいた。直線的な身体を禁欲的にシーツでくるんでいるけれど、それがある意味脳髄を刺激し、平時の時ならくらくらしそうな程の魅力であったであろう。
しかし、彼は苦しんでいた。彼を囲んでいる兵士は視界に入らなかった。ただ、彼だけを見つめる。彼は藁のベッドに横たわっていた。唇が白い。しかし、彼は僕を見ると安堵だけではなく不安とためらいを浮かべたのだ。彼がこれまで僕に浮かべたことの無かった表情に歩は止まる。
「クリストファー…私は」
この世界には僕と彼しか存在していないように思えた。今僕は彼と同じ苦痛を味わっている。それでさえも甘美な時であった。
その時甘さを含んだ世界が変わった。エルフ達がめざとく見つけたのだった。
「これは…」
「徴が…」
彼はハッとして身体に巻き付けたシーツを見た。そこには点々と紅い血痕がついていた。
「シャイン、怪我を」
「いいえ、違う」
彼は震える声で否定した。僕は指先の冷たさを強く感じた。
「私は…」
「おめでとうございます。シャイン陛下」
冷静な声が響く。エルフ達は跪く。すべてのエルフが彼に向かって頭を垂れた時、僕たちはまるで初対面者に出会ったようにお互いを見つめていた。
「…何があったんだ?」
口の中が急速に乾いていく。手先はただ痺れ、自分のものでないように思えた。僕をまっすぐ見ない美しい碧の瞳にはためらいと恥じらいが浮かんでいた。
「…クリストファー」
彼の瞳がかげり、わずかに桃色に色づいた透き通る肌に目が奪われる。ためらいで舌を濁していた彼は意を決したように言葉をはいた。
「私は…私は女となったのだ」




