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逃亡者たち  作者: モーフィー
第一章 Dawn
22/84

21、二人の逃亡者

 彼はそれから二日もかからずに二つのバッグを用意し、たいていの物を詰めた。僕は隣でそれらを見ておくだけで良かった。それでも一つだけ、大切なノートとインクだけは詰めさせてもらった。


「ずっと昔に聞いたことがある。海を渡ってどんどん進めば、あるところに一つの小さな島があると。そこでは年中花が咲き誇り、働かなくても果物は自然に取れ、そして今は失われた精霊達が住んでいるそうだ」

「僕も、大陸をずっと歩いていくと大きな山があってその上には黄金の城に住む神がいると聞いたことがあります」

「世界の美しい物を見てきたい」

「うん。詩や歌では言い表せない絶景を感じたい」

「出発は明日の祭り最終日だ。その時なら、それぞれの森に帰る者の中に紛れて警備も手薄になる。その時がチャンスだ」


 夜になっても広場では煌々と松明は輝き、その周りでエルフ達は踊る。ひときわ目立つのは今年新しく夫婦となったエルフ達だ。若さと愛が彼らからあふれ出て、周りの者まで冒していき、ついには一つの炎となって踊り狂う。その熱い歌声はいつまでも冷たい空高く響いた。僕たちはそれをずっと見つめていた。




 翌朝目覚めると、鼻を良い匂いがくすぐった。


「おはよう」


 当たり前のように彼がいることに感謝して僕は彼から温かなカップを受け取った。そして、まだ温かいパンをとった。彼はそれにかぶりつく僕を面白そうに見ている。


「あなたは?」

「私は結構だ。…何か緊張しているようでお腹に入らない」


 いつでも冷静な彼も緊張することはあるらしい。見ると彼の紅い唇は微かに白くなっているようだった。テーブルの上に無造作に置かれた手を取ると、それも大理石のように冷たい。


「大丈夫?」

「ああ。何せ初めてここを出て旅するのだから」


 彼の目はキラキラしていた。


「今日の午前は二人で楽しもう。そしてみんなが花火に集中し始めたら森を逃げ出す。エレヴェンダーの監視の目が一番緩むときだ」


 かじかんだ指先を互いに温めるように僕らは歩いた。そんな僕らにエルフは好奇な視線を向けた。里一番の長寿である彼が誰かと連れ立っている。彼らにとっては話題に違いない。それらを鬱陶しく感じた僕たちは人影が見えると隠れるように木々に身をひそめて笑い合った。


「クリストファー、何か聞かせてくれないか」


 すっかり日は暮れて彼は小さな炎に薪を足していった。僕は頷いて少し考えて言った。


「私を船に乗せて 船に乗せて

 オリノコの流れを下り

 トリポリの岸辺まで

 私を船に乗せて 船に乗せて

 あなたの岸辺にたどり着きたい

 行かせて 黄海の遙か彼方まで…」




 祭りが最高潮に達したとき、僕たちは作戦通りに城に忍び込んだ。最後にナウサ・エレヴェンダーに出会い、そして旅立つために。松明で明るく照らされた城の中、人壁をくぐり抜けながら僕たちは進んだ。辺りにはエルフの狂喜の声が響いている。


「ここで待っていてくれ。すぐに戻ってくるから」


 彼はそう目配せし、階段の上に消えていった。僕は用心深く、帽子を被り直して壁を背に佇んだ。松明にあわせて影が伸び縮みする。


 そうしていると、人混みの中から見たことのあるエルフが現れた。


 グラナ・アキュベーだ。


 彼もまた、男とも女とも区別が付かないが、エルフ特有の美しさがある。柔らかそうなブラウンの髪に囲まれた優しげな微笑をいつも浮かべている印象がある。その姿は一見世俗とは一線をきしているように見える。


 エルフは僕を認めると、こちらに向かってきた。そして優雅に礼をすると言った。


「クリストファー殿。初にお目にかかります。グラナ・アキュベーと申す者です」

「は、初めまして」


 エルフは相変わらず笑顔を浮かべているが、影を落とした大きな眼は冷静に僕を観察しているようだ。


「失礼を申し上げるようですが、あなたは他のエルフとは違いますね」


 僕はどきりとして、エルフを見た。


「シャイン様とはお友達とお見受けしますが、どこでお会いされたのでしょうか」

「…森です。道に迷った僕を助けていただいたんです」


 エルフは頷いた。詳しい内容を知りたそうだったが、これ以上質問すると失礼になると思ったようだ。大きな眼や尖った耳が人との違いを強調している。


「それでは、これからよろしくお願いします。そして、シャイン様の友人に、シャイン様にあったならば私が探していたとお伝えください」


 エルフはもう一度意味深長な視線を投げかけて人混みの中に紛れていった。


 ほっとしたと同時に軽い足取りで彼が戻ってきた。


「うまくいった。ナウサは私がずっと、祭りで浮かれていると思っているだろう」

「…グラナ・アキュベーがあなたを捜している」


 彼は顔を険しくした。


「早く退散した方がいいな」



 僕たちは手をつなぎ、里の出口へ急ぐ。厳重に警護されているようだが、実はそうでもないと彼は言った。暗闇の中、エルフの瞳が光り、狂喜の笑い声が支配している。エルフ達が自分たちの家に戻ろうとする列に紛れ込んだ。彼らはゆったりと歩き、それにあせったが、暗い中、僕たちは時々お互いに目を見合わせながらゆっくりと歩いた。


 そして、監視の目がなくなった途端、僕たちは森を走り抜けた。身体の他は冷たいのに手の先と頬だけは熱い。僕たちは自由の身だ。誰にも邪魔されずに二人だけで生きていく。彼は音もたてないほど軽やかに、僕は唯一の光源を頼りにそんな彼の背中を見つめる。そして、森の境界線を抜けたとき、彼は振り向いた。


「クリストファー」


 柔らかな雪が舞い、凍えるような寒さだが小さな光源の中、彼は微かに発光して見えた。そしてその目は。僕は何も言えなかった。一生分の感情がその時を支配していた。やがて彼は目を伏せて細かく息を吐いた。


「進もう。ここは寒い」


 前も見えない、どこに行くとも分からない道をまだ大人にならない二人の子どもが歩く。しきりのない感情のまま進むだけ。


"Orinoco Flow" by Enya

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