18、変化
先ほど味わった無重力の後に感じる自分の体の重さに驚きながら、僕たちは帰路につく。
彼は今まで通り、楽しそうに振る舞い、そして僕も楽しかった。しかし、互いに新しい感情が芽生えた今、会話に端々に細かく気を配った。
「先ほど言っていた祭りでみんな何をするの?」
「そうだな、祝うと言うよりも、数十年に一度エルフが集まり顔を見るための行事だな。そんなにたいしたことはやらない」
「ここ以外にもエルフは住んでいるの?」
「ああ。様々な場所に散らばっている」
「けれど、エルフを実際に見たという者は少ない。何か魔法でも使うの?」
「いや、エルフは地下のトンネルを使うのだ」
「トンネル?」
僕は思わず聞き返した。
「エルフの祖先は地下から生まれてきたと言われている。我々の地上での歴史はそこまで深くない。昔はエルフの大部分の都市は地下にあり、エルフのほとんどはそこで暮らしていた。二十ほど前の王がトンネルを掘っているとこの巨大な大理石を発見した。そして、彼は自分の人生を使ってこの城を彫り上げることにしたのだ」
そして彼は笑った。
「私にも人間のことをもっと教えて欲しい」
僕は彼に問われるまま答えた。最近はやっているもの、身分、学校など様々だった。それら一つ一つに彼は聞き入っていた。
「人には悪い面もあるが、見習うべき面もある」
「そんな。人間の方がエルフの暮らしを見習わなくてはならないのに」
しかし、彼は首を横に振った。
「エルフは滅び行く種族なのだよ」
僕は驚き、彼を見た。
「数名の研究者が分析して唱えている。エルフ全体に見られる、今への倦怠や緩い平和。それらが元々生物の持つ生命力を削っている」
僕は長い階段を登ったため、ただ頷くことしかできなかった。彼はドアを開けながら気軽に言った。
「エレヴェンダー王もそれに気づき、我々の下に敷かれた運命を覆そうと躍起になっている。緩やかに滅亡へと続く道を逸らすための一番の特効薬は『変化』だ。我々の本能を刺激して、再び野生と渡り合えるようにしようとしている。その一つが王権交替だと彼は唱えている」
「そして、そのためにはあなたが早く伴侶を見つけなければいけないと?」
彼は首をすくめた。
「そういうことだな。私の伴侶となった者は、王権が譲られた際、里を好きなように動かしていいしな。エルフは子どもの時、男女の区別があまりない。だから、男だろうが女だろうが王となったら絶対的な権力を持てる。…権力が好きな者にはよい条件だろう」
白い賢鳥は止まり木で居眠りしていた。彼は笑った。
「ただし、わたしの目に叶ったならの話だが。私は権力が好きな者を好かない。結局は権力が嫌いな者が里を統治できると言うことだ。…いや、その前に私はここを抜け出して、その後に付いた権力の好きな者が里を支配するかもしれないが」
その時、ワイズダムが目を開け、止まり木から彼の肩に移った。そして、耳の近くで語りかけるようにくちばしを動かしている。
「…ああ、少しぶらぶらしていたんだ。そうだ、クリストファーの体調が悪いそうだ。見てくれないか?」
鳥の瞳がこちらを向き、こちらへ羽ばたいてきた。黒い瞳は促すように光っている。
「ワインを飲み過ぎたみたいです。たいしたことはありません」
鳥の何でも見透かしてしまう瞳の前ではこの言い訳がどこまで通じたか分からない。強い知性を持った鳥は正確に、奥に慎重に隠しておいた感情を捕らえた。ワイズダムは羽根を震わす。僕は観念して彼に聞こえないぐらい小さな声で言った。
「何が起こったのか分かりません。突然、何かが割れてこんな感情が生まれてきたんです」
鳥が納得したように頷いた。それから、僕には何も言わずに飛び立ち小さく彼に何か言った。彼は特段気にしていない風に頷いた。そして、キッチンから湯気の立つカップを二つ持ってきて一つを渡した。
「ワイズダムによるとアルコールのためによるものだと言う。これは酔い覚めに聞くお茶だよ。あなたがそんなに飲んだなら私も危ういのかな。念のため飲んでおこう」
そして、彼は地面にしっかりと足を組んで座ると片手でカップを持ち、まるで酒を飲むように飲みほした。それが異様に艶めかしかった。僕はしばらく無言でちびちびとカップを口に運ぶ。やがて、カップからぬくもりが伝わり身体全体に伝わったとき、彼は敏捷に立ち上がった。
「ワイズダム、今は何刻だろうか?」
鳥はやはり一言も喋らなかったが、彼には分かったようだ。少し憂鬱そうになり呟いた。
「もうすぐ三刻か…」
彼はカップを片づけて言った。
「クリストファー、私は行かなくてはいけない。エレヴェンダー王との約束だ。すまないが、夕食はワイズダムの指示に従ってとってくれ」
「…はい」
彼はクローゼットから長い飾り気のない純白のマントを取り出して羽織った。そして、引き出しからはチョーカーを取り出して首にかける。
そんな彼に殺伐とした美しさが宿り、これもまた好ましいと思ったが、初めての相手、ましてやお見合いに向かうにしては少し物足りなく思えた。そう指摘すると、彼は笑っていった。
「これでいいのだ。これが本当の私だから」
それから、フードを乱暴に被る。大きな瞳が見えなくなる。彼はしばらくそこに立ちただ呼吸をしていた。その時はまるで銅像のように動きもせず、また細く青白い手足が痛々しかった。大人になるのを止めた子ども。彼は自分がこれから嗅ぐ性の臭気を恐れている。僕はそっと彼の手に触れた。彼の表情は見えなかったが、ハッと驚いたように手が退けられたが、それから僕の手をおそるおそる握りしめた。
「…行ってきて。帰ってきたら一緒に詩について語り合おう」
四百年という年を渡ってきたエルフはかすかに笑い、頷いた。




