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逃亡者たち  作者: モーフィー
第一章 Dawn
18/84

17、雛

 僕たちは何も喋らずに城を出て、多くのエルフが憩う広場へ出た。

 既に広場はお祭りムードで、ほろ酔い気分のエルフが歩いている。年齢も様々な彼らは木に腰掛け、ハープを弾いたり、歌を歌ったりと常に人生への賛美を奏でている。彼らは小柄な彼を見かけると、手を止め、会釈をしたり、微笑んだりと挨拶をした。

 それはきっと、エルフの中でもひときわ輝いている彼のオーラに惹かれてのことだろう。凛とした碧の瞳に可憐な口元、そして、波打った黒髪とアンバランスさが不思議な魅惑を生み出し、永遠に枯れぬ花として咲き誇っているのだ。


 積み上げられている果物をつまみ、ゴブレットに注がれたワインを飲んでいると、何度かエルフ達に仲間に交わらないかと誘われ、彼がゆったりと首を横に振ると彼らは隣にいる僕を見て少し残念そうな顔をするのだった。僕は罪の意識を感じたが、それ以上に大きな彼を独占しているうれしさが勝った。


 彼は城の中庭に積み上げられた薪の山を指さした。


「祭りが始まるとあの薪が燃やされる。エルフはあまり大きな火を焚かない。エルフは寒さに強いし、食物は生で食べることが多いからだ。しかし、この時だけは特別だ。盛大に、大きく燃やされる。そして、皆、この日のために作ってきた花火が投げ込まれる」

「それは楽しそうですね」


 僕は彼の碧の瞳を見ながら言った。沈んでいる彼を思って言葉を選んだはずなのに、彼は少し皮肉気な笑みを浮かべていった。


「そうだな、それは楽しいだろう。しかし、私は何なのだ。この四百年、共にこの楽しみを味わう者もなくただぼんやりとそれを見つめるだけ。そして…」


 そう言いかけて、首を振った。


「すまない。どうも否定的になってしまったようだ」


 彼は前を見ているのに、その瞳には何も映っていなかった。僕は彼の心で四百年の間ずっと、揺れている何かを見た気がした。


「いいえ。かまいません。どうかあなたの悩みを話してみてください」


 彼はしばらく考えていたようだがやがて口を切った。


「私はあなたと初めて出会ったときも、またこんな気持ちだった。私を縛り付けている運命から解放されていたいと、皆が良く思っていない森の外に出てみた。久しぶりに出てみた外は小麦で埋め尽くされていた。それが酷く珍しくて歩いていたら突然雨が降ってきたので、古びた展望台に入った。その時、あなたと出会った」


 鼻の奥で彼と初めて出会ったときの雨の匂いが広がった。冷たい空気の中で閃いた彼の瞳、暗がりに浮かぶ細い身体は今にも折れそうで、どうしても守ってあげなければいけないと思った。


「…僕も思っていた。僕の人生は虐げられるものではなくもっと素晴らしい物だと。そう思い続けていたらあなたに出会え、こんな素晴らしい場所にだっている。永遠に変わらない場所と永遠に美しいままのあなただ」


 彼は笑みを浮かべたまま首を横に振った。


「花はいつか散るから美しい」

「いいえ、それは違う。その証拠にエルフ達は長い時を渡って美を保ち続けるあなたを尊敬しているように思える。散らない花だってある。いつまでも年をとらず、男にも女にもならない」


 そう、本来の花は蕾が一番美しいのだ。香りで人を引き寄せ、そして茎には将来の予感を感じさせる。しかし、花が開いてしまっては、美しさは失われる。子孫を残すために辺りには性の匂いが充満し、本来の香りが失われるのだ。


 そういうと、彼はわずかに頷いた。そして今度は本当の笑みを浮かべた。


「あなたの言うことももっともだ。散った後の老人は美しさを問う前に歯が欠けているな。私は物事をもっと楽しく考えてみよう」


 彼は茶目っ気たっぷりに言った。その顔からはわずかに苦しみが取れているようで明るかった。その時、近くで酒をあおっていた威厳をたたえた老エルフがくしゃみをした。僕たちは思わず、共犯者のように目を見合わせて笑みを隠すようにそこから駆け抜けた。




 ひろい花畑の中、彼の頬はほんのり赤みを帯びている。真っ白な花の中をかけている内に気分は高まる。それには先ほど飲んだアルコールも味方していた。


「決めた。僕は絶対に大人にならない。ずっと年のとらない子どものまま暮らすんだ」


 彼も助長してニヤリと笑った。


「エルフと違って人はいつか年をとるものだぞ。そういった五十年後にはあなたは同じご老人だ」

「あなただって。今日、新たな出会いをして恋に落ちたら五十年後にも御長老の仲間入りだ」

「それでは誓おう。私は大人にならずにずっと子どものままでいる」

「僕も。この神聖な約束を破った者は抜けた歯に捧げる詩か歌を作る」

「いいだろう」


 僕たちは思わず声を上げて笑った。冗談めいた口調だけれど、僕たちの目は本気だった。風が金と黒の髪をゆらす。後を引く笑みの中で彼は真剣に僕を見つめる。僕もそれ以上に彼を見つめる。



 世界には二人しかいないように思われた。自由に踊るエルフも木も風もすべてが色あせ、代わりに彼の存在が、魂が僕のすべてのように思われた。


 この世でたった二人。特別な二人。この輪の中には常識も理論も存在しない。ただ、激しい感情が存在するだけ。彼に触れることは僕に触れること。


 彼の透き通った細い指が伸ばされ、僕の頬に触れた。熱い。見えるのは碧の目の奥で燃えている静かな炎。


「シャイン」

「…クリストファー」


 微かな声は空気をゆらし、互いを確かめ合った。僕は壊れ物のように彼の喉に手を触れた。しっとりとした肌は吸い付くようだ。彼は夢見る瞳で瞼を閉じた。まつげの星が踊る。


 二人はどちらからとなく近づいた。別れた自分自身が一つになるように。吐息の温か冴えも感じられるほど一つになったとき、身体のすべては暖かな気流の中にいた。熱が広がり、今まで感じたことのない安心感を得る。


 その時、頭から貫かれるような衝撃を感じた。その切っ先は、硬い殻で包まれていた卵にひびを入れた。卵の小さな割れ目から濡れた雛は顔を出した。無垢な瞳を張り巡らし、同じ表情をしている彼を見つけると喜びの声を上げた。まだ羽根の生えそろわない皮膚を動かして身体すべてで喜びを表している。

 その途端、今まで感じたことのない感情が溢れだした。幼い雛は胸の中で所構わず動き回る。胸はこんなに小さく、何が起こったのか分からないのに強大な感情は荒れ回る。雛が暴れ傷つけた胸はひりひり痛み、彼の瞳に見つめられるとなぜか赤くなってしまう。そして、彼との位置を気にしてしまう。なぜなら、触れている彼がこんなに美しいのだから。


 変化は彼の方にもあった。いつもは硬く封じられている、感情が顔で吹き渡り、目ばかりは信じられないように見開かれている。しかし、その瞳の下からは抑えきれない歓喜が溢れている。すっかり、逆上せそうな僕の頬に触れ、繊細な物でも触れるようにその指を移動してそっと僕の唇に指を触れた。


 強い興奮に思わず目の奥で火花が散る。


「クリストファー」


 彼の吐息はなぜか肌に当たると甘かった。その時、雛が高い声で鳴く。僕はその声に縛られたようになった。彼の桃色の唇しか見えなくなった。皮膚の下では血管が今にも破裂しそうなほど膨らんでいる。お互いの鼓動に惹かれるように顔を近づけあわせる。彼の体温を皮膚で感じ、そして互いの唇が重なる刹那だった。


 首を伸ばしていた雛が力つきたように芝生に無様に倒れる。その途端、僕からも力は抜け思わず倒れ込んだ。僕と一部繋がっていた彼も同様に隣に倒れた。僕がなかなか動けない間に彼は身を起こし、僕を心配そうにのぞき込んだ。


「大丈夫だろうか」

「だ、大丈夫…」


 彼の手が心配そうに頬に触れた。僕はうめいて首を振った。


「…真っ赤だぞ」

「酔ってしまったかも…」


 彼は呆気にとられた顔をしていたが、やがて笑い出した。僕も先ほどの異常な興奮のおかげで冷たくなってしまった手を頬に当てて笑った。


「若い者はいつになっても無茶をするものだ」


 そう言って、手を差し出した。その手を取り僕はゆっくり起きあがった。帽子を直し、服に付いた草を払う。彼はまだ笑っている。


「明日は二日酔いに間違いない」

「たったあれだけのワインだけで二日酔いだとは。あなたはお酒に弱いのだな」


 いや、アルコールのせいだけでない。あれほどの強い興奮ならだれだって、感じてしまうだろう。雛は先ほどの衝撃で眠り込んでいるが、先ほど感じた彼への感情はまだ残っていた。そして、この感情の意味に気がついてしまう。隣ではまだ彼が顔に笑みを浮かばせながら言う。


「家に戻って、眠ったらどうだろうか。このままでは明日の祭りまで回復は無理だぞ」

「シャイン」


 不意に彼の顔がこちらを向く。彼は同様な楽しさを共有しようと笑顔を浮かべていたのだが、僕の顔は真剣だった。無言で問いかける。瞳には先ほど気がついた感情を浮かべて。彼の碧の瞳にも反射的に同じ色が浮かんだが、それを押し殺した。彼は僕をしばらく見ていたが、静かに首を横に振った。


「…行こう」


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