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逃亡者たち  作者: モーフィー
第一章 Dawn
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13、甘い罠

 暗くなるに連れ、また細かい雪が降り始めた。僕は一人、夕食も食べずに小屋に閉じこもり、蝋燭の火を見つめていた。母は帰る日取りの打ち合わせをしてきている。寒くなってきたので小さな炎に手をかざすと、ちりちりと焦げた。


 それから時間になったのを知ると、マフラーを巻いた。それからバッグにいつも持っているノートを入れた。蝋燭に、ガラスの風よけをかぶせて外に出る。

 雪は僕を刺すように降り積もっていく。手袋のはめていない手に触れるとすぐに溶けていく。僕は周りを見ないようにして指定された小屋と急いだ。そして周りに誰もいないと確かめると、潜り込んだ。


「クリストファー、来てくれたのね!」


 薄暗い中で彼女の息づかいが近くで聞こえてきた。しかし、今回はすぐに僕を放してくれ、手を握るだけにしてくれたので僕は蝋燭を彼女に近づけた。彼女の輝く瞳が映った。彼女はひどく温かそうな格好で寒いところに座っていた。


「お嬢様…」


 なぜか活き活きとしたように見える彼女はほんのり頬を染めている。僕は早めに話を切り上げて帰りたかった。


「お話とは何でしょうか。お嬢様がこんなところにいると知られると大変なことになります」

「そんなこと、もうどうでもいいのよ」


 彼女は僕を遮るように言った。そして予想もしていなかった言葉を告白した。


「クリストファー、私と逃げて」


 彼女の熱を帯びた瞳が僕を刺す。からかいが半分と本気が半分混じっているような瞳。


「お嬢様、そんな冗談、僕困ります」

「冗談じゃないわ」


 濃厚で粘つく沈黙が流れた。身体が熱くなり、何がどうなっているのか分からなくなる。


「そんなこと…」

「ここにいたら私は不幸になってしまう。それから抜け出すためにはあなたと逃げ出さないといけない。馬車だって用意しているわ。この先々暮らしていけるお金だって持っているし、必要があれば私も働く。私にはあなたさえいればいいの」


 彼女の指が手に食い込み、僕は口の乾燥を感じた。彼女の顔は光り輝いている。将来の希望を信じて疑っていない。しかし、それは同時に崖ふちに立っている危険でもあった。一世一代の博打を打っているときのハイである。その時、瞬間の美しさが彼女にあった。彼女は僕の少しの表情でも読みとろうと食い入るように見つめている。僕はその手を思わず取った。たちまち彼女の顔に朱が立ち上る。


「クリストファー」


 驚く暇もなく彼女の顔が近づき、冷たい唇が触れた。僕は頭が真っ白になった。


 しかし、その他にその味に気がついた。甘い、夏の果物のような味。僕はそれに触れるだけで積極的に味わおうとはしなかった。柑橘系なさっぱりとした果実は一舐めのような爽やかさが良いのだ。しかし彼女の唇は離れようとせず、しかもそれは次第に熱く熱をはらんでいく。僕は苦しくなって喘いだが、それは離れない。爽やかな果物は次第に熟していき、甘く、濃厚になっていく。そして僕は気がついた。これは罠だと。


 弾かれたように僕は彼女を押しのけた。目を見開いた僕に、彼女は驚いたように、しかし気だるげに髪を掻き上げた。


 僕は彼女の吐息の中に潜む、女の匂いをかぎ取った。甘美でとろけるような性の匂い。まるで、熟れすぎて地面に落ちる直前の腐りかけの果実。


「どうしたの、クリストファー」


 艶を帯びたその声。


 その時、僕はほかにいいようがあったはずであった。しかし、その時浮かんできたのはロブ・ゴードンのしかめ面と母の顔、そしてシャインの顔だった。唇が毒で痺れて、鋭い頭痛がする。僕は投げ捨てるように言った。


「僕はあなたとは行けない」

「どうしてなの、クリストファー」

「なぜならあなたは女だからだ」


 少女の顔がグニャグニャになっていく。僕は彼女を押しのけようとした瞬間、彼女は目から信じられないほどの涙をあふれ出させた。僕が呆気にとられていると、彼女は矢のように鋭く僕を突き放し、後も見ずに小屋から出ていった。後にポツンと残される。降りしきる雪は悲鳴で僕を責めているようだ。


 しかし、僕は彼との約束を守れてほっとしていた。


 顔をマフラーに埋めて、むっつりと小屋を出る。しかし、不思議なほど心は晴れ晴れとしていて、彼との約束を守れた印に何でも出来そうな気分であった。


 しかし、浮かれていた気分も白い雪に落ちた黒い影によってうち消された。そこに現れたのはよりによってあの少年達であった。彼らは少女の後ろ姿と僕を驚いたように見つめ、やがて意地悪く笑った。


「そうか、やっぱりおまえなのか。お嬢様の思い人というのは」

「母親だけでは飽きたらず、人の婚約者にまで手を出したのか。目的は何だ? 金か?」

「残念ながらオレたちはこれを報告しなければなあ」

「クソッたれ! 恥を知れ」


 彼らは冷たい表情の中、燃えるような目で僕をにらみつける。僕はそろりそろり後退していった。


「おおっと、こっちは行き止まりだ」


 その瞬間、後ろに立っていた少年に足下をすくわれ僕は無様に転んだ。そこに容赦ない蹴りが降ってくる。


「残念だなあ。オレたちはお嬢様の悪い虫を駆除しろと言う主人の命令に従わないといけないんだなあ」


 彼らの黒い瞳が僕を刺す。


「なんだ、その目は。おい、こいつを立たせろ」


 僕は咄嗟に手を突っ込んでポケットの中に入っていた小さなナイフを見つけた。


「くたばれ!」


 その瞬間、僕は手を伸ばして、彼の腕を切り裂いた。伸ばした手は脇に逸れ、少年は悲鳴を上げた。力が緩んだのをみて、僕は一気に駆けだす。不意をつかれたせいか、幸運なことに少年達は僕を捕まえることが出来なかった。転ばないように雪を噛みしめ、なるべく早く走る。そんな僕の後ろ姿に少年達の負け惜しみが聞こえる。


「どこに逃げるんだ? 大人はみんなお嬢様をたぶらかしたおまえを捜すだろう。小屋に戻って母こもろとも火あぶりにされるか、外で凍え死ぬかだなあ」


 彼らの笑いが暗い世界に卑猥に満ちる。それでも僕は駆ける。そして気がつくと黒い森に足を踏み入れていた。人との境界線を越えて、野生へと。


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