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逃亡者たち  作者: モーフィー
第一章 Dawn
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12、冬の訪れ

 しかし、時間が刻々と過ぎていた。しかも、僕が予想していなかったほど早くに。彼と毎日会えるようになってしばらく経った頃だった。

 暗く曇っていた雲が水を凝固させ、硬い雪を降らせたのだ。気温は一気に下がり、外ではあちらこちらでたき火が焚かれた。少しだけ枝に残っていた赤い葉は容赦なくもぎ取られ、冬の気に踏みつぶされる。農場に出稼ぎに着ていた者はぽつぽつと帰り始めていた。そして、母は僕が昔ぼやいていた言葉、そして今はもっとも恐れる言葉を呟いた。


「そろそろ、帰る時季ね。冬が本格的にやってくる前に私たちも戻らなきゃ」


 僕は冷水をかけられた思いで母を見た。


「…いつ、いつ帰るの?」

「そうねえ、なるべく早くが良いんだけれど。天気と馬車の都合ね。けれど、荷物の準備はもう取りかからなければ。あなたも早く帰れる方がうれしいでしょう?」


 そして、更に悪いことは重なる。昨夜降った雪は森での仕事までなくした。


「親方が今日の仕事は雪かきだってさ。いきなりの雪だったもんでよ。何も備えていなかったんだ。だからなるべく多くの人数が必要なんだ」


 マフラーを巻き、厚着をして外に出ると雪かき用のシャベルを渡された。遠くに見える森を見つめるとすっかり冬衣装をまとって美しい。しかしそこまで行く道は厳しい。僕は乾いた唇を噛みしめ、黙って雪をかくことしかできなかった。

 今までとは比べものにならないほどの寒さが手をかじませる。頭を刺す寒さは思考までも鈍らせる。僕はがちがちと葉を震わせ彼の歌を歌う。


「エウロス、南東風の神よ

 そして世界は回り続ける

 周知の事実と共に

 人は言う

 あの遙か彼方に広がる空の色は

 カリビアン・ブルーだと…」


 昼食の合図がかかり、腰の痛い作業は終わった。人々は黙って配給の列に並び、パンと熱いスープを受け取った。


「午後は母屋の屋根の雪かきですって」

「うん。早く終わらして小屋に帰って火に当たりたいよ」

「ええ、本当に」


 短い昼食は終わり、疲れた足を駆り立てるように主人家族が住む母家へ向かう。身の軽い子どもが高いところに積もった雪をかきおろし、女達がそれをそりに乗せ、男達が湖まで引っ張っていく。僕はそりを渡され、雪でいっぱいのものをゆっくりと湖に引っ張っていく。その作業は永遠に続くように思えた。

 僕が俯き加減に雪が乗せ終わるのを待つため、女達の動作を見ていると、母屋の扉が開き、一瞬だけ暖かい空気が頬に触れた。


 出てきたのはシャロンだった。令嬢に相応しい動物の毛皮をまとっていて、暖かい部屋から出てきたはずなのにこの場の誰よりも厚着をしている。その上に、またフランスで作られているコートを羽織った。彼女は冷たい顔で家の中の誰かと言い合っている。怒っているようだ。鋭く言い切り、彼女は階段をおり、高らかに言う。


「誰か、馬車を!」


 だが、その場にいた者は皆雪かきの重労働で疲れていた。近くにいた者をこづき、仕事を押しつけ合っている。シャロンはなかなか進まない段取りにイライラして、再び声を張り上げ、辺りを見渡す。そして、ばっちりと僕と視線がかみ合った。


「クリストファー!」


 彼女の顔で固まっていた氷が溶けていくように、彼女は数秒前に浮かべていた表情から考えきれないほどにっこりと笑った。僕が動けない内に彼女はずんずんと近づき、抱きついてきた。その感触はもこもこと温かい犬に似ていた。


「ああ、クリストファー。ずっと会いたかったのよ」

「あの、お嬢様…」


 そう呟いた僕の言葉が聞こえなかったようで、彼女は周囲に視線を張り巡らせ、そして一番用心深く、閉まったドアに目を向けた。


「ここは気づかれてしまう。ここに来て」


 黒い上品な手袋に捕まれ、僕たちは手頃な小屋の中に潜り込んだ。僕がおずおずとドアを閉めた瞬間、再びシャロンが抱きついてきた。僕は凍えて感覚の無くなった手を泳がせて、やっと彼女の背中に回した。しかし、ずっとこのままでいるわけではなく、彼女を放すためにどうしたらいいのだろうと思い悩んでいたとき、腕の中ですすり泣きが聞こえてきた。


「ど、どうしたんですか」


 僕はパニックになって手を不自然に動かして、結局は彼女の頭に置いた。女の人の涙は心を落ち着かなくさせる。やっとの事で顔を上げてくれたシャロンの涙を不器用に拭き取る。彼女は目を赤くさせたまま微笑んだ。


「…あなたは本当に優しいのね、クリストファー」


 彼女は指を伸ばして僕の顔に触れ、うっとりとした表情になった。


「どうかしたのですか?」


 彼女は唇をひん曲げて毛皮のフードを下ろした。


「お父様が…父がね、貿易の帰りと一緒に私の婚約者を決めてきたの。私よりも二十も上のおじさんだったわ。その人と私を結婚させようとしているのよ。私はいやよ! そんなもの。あなたもこの仕事が終わったならば遠くに行ってしまうのでしょう?」


 大きな瞳から今にも涙がこぼれそうだ。僕は再び焦りながら、話の切れを待っていた。


「あの、お嬢様、お話があるんですが…」

「ええ、私も。クリストファー」


 彼女はパチパチと瞬きをして涙を蒸発させると、力強く笑った。


「あなたを見たら言う勇気が出てきたの。けれど、後でね。夕食の後にまたこの場所に来てくれないかしら?」


 そして、彼女は僕の頬にキスをするとつむじ風のように去っていった。うまくかわされた気がするのだが、今夜あのことを言わなくてはいけない。彼女が僕に会えないようにあえて遠くに仕事を移したのは主人のロブ・ゴードン自身だと言うことを。それは彼女自身の幸せのためであり、そのために僕はここを去ると言うことを。


"Caribbean Blue" by Enya

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