11、エルフというもの
森から出てきた僕を待ちかまえていたのは深刻な顔をした男達だった。
「おまえは…」
男の目には恐怖の色が浮かんでいた。
「みんな、おまえを捜していたんだぞ! どこにもいなくて、しかも小屋にも帰っていないとも言う。一体どこに行っていたんだ?」
言葉に詰まって、僕は言った。
「…森で迷っていました」
彼のことは言ってはならない。自然にそう分かっていた。
「あの森には入ってはいけないって分かっているだろう。森は人間を嫌い、飲みこむ。いいか、今日は運が良かったんだ。今度はないと思え」
「…はい」
僕は男達に睨まれながらも共に帰った。日が沈みかけ、男達は盛大に松明を燃やす。そして用心深く道をたどり、家を目指した。僕は遠くになった森に視線を投げかけた。
寒さは一段と深まり、一週間後には雪が降っているかもしれない。
小屋に帰ると恐怖の色を浮かべていた母が、緊張が緩んだように僕を抱きしめて、それから少しだけ叩いた。あまり痛くなかったが母が浮かべた純粋な悲しさは心に染みて痛かった。手放しで母を慰め、ベッドに寝かせた後僕は一人テーブルに座った。罪悪感が少し薄らぎ、先ほどの興奮が込み上げてきた。今日、エルフが浮かべた表情を思い返してみる。それだけで心は癒され、幸せだった。
次の朝、朝食の席では母に森には近づかないようにと釘を押され、また作業場の男達にも繰り返し念を押された。しかしいったん作業が始まれば男達の目は離れた。僕はその隙を狙って神秘の森に飛び込む。そしてゆっくりとぶらぶらと歩く。適当な音律を口ずさみ、エルフの音楽を再現しようとするのだ。そして、長く、長く彼を待ったとき、遠くから美しい声が聞こえてくるのだ。そして彼は無表情だけどどこか恥ずかしそうに木陰から姿を見せるのだった。
僕らは歌い、詩を朗読し、時には語った。
「外では何が起こっているのだ?」
僕らは彼が見つけてきた甘い木の実と僕が持ってきた砂糖を舐めていた。彼は唐突に聞いてきた。
「何…、お仕事したりおしゃべりしたりいろいろですけど…」
すると彼はまじめくさって言った。
「いや、久しぶりに私が森の外に出ていったとき、黒い化け物がものすごい勢いで走っていたのだ。頭から煙を出して、嫌な匂いを放ちながら。人間はそいつを乗りこなしていた。あれは何なのだろうか。あの大きな化け物に火を付けて手なずけているのだろうか」
それなら知っていると僕は得意になっていった。
「あれは機関車です。石炭を食べて走る動物です」
「石炭を?」
彼はどうも納得のいかないと言った顔で首を傾げている。
「ええ、僕もロンドンに行ったとき見てきました。なんとそいつは鋼の身体を持っているんです。それを乗りこなして、何十人もの人を町から町へ運ぶことが出来るんです。きっと、インドの方から連れてきたんでしょう」
「ほう、インドとは何だ?」
話はどんどんと発展していく。彼は興味津々に緑の瞳を輝かせて聞き入っている。その時、彼の頬は赤みを持って輝くのだ。大理石のような冷たそうだった肌が熱を帯びて温かくなる。さんざん、説明し尽くした結果、彼女は声を上げて笑った。
「…四百年が経とうとも世の不思議は全く減らない。それどころか、ますます増えていくばかりだ。まだまだ、私は生まれたてだ」
話が切れたところを狙い、僕は持っていた興味を振った。
「あの、森の中、エルフはどう暮らしているんですか?」
すると彼は警戒するように僕を見た。僕は慌てて口を閉じた。数秒の沈黙が流れ、彼は肩をすくめた。
「かまわないだろう。昔は私たちも人間を受け入れ、仲間として城に招いたものだ」
彼は少し首を傾げた。艶やかな髪が秋の日差しを弾いて華麗な印象を与える。
「私たちの家は森の奥深くずっと深くに建てられた。遙か昔、エルフが千年をかけて一つの白い大理石を丹念に彫り上げた城だ。壁には神話が刻まれ、夜に蝋燭を照らすとそれは見事に光を弾く。私はそれが好きだ」
穏やかに遠くを見つめる姿は慈愛に満ちている。柔らかな日差しは彼が話した大理石のように肌を透かしている。豊かに育った木から真っ赤な枯れ葉が落ちてきて僕たちの間で乾いた音を立てる。
「私たちは木々を育て、歌や詩を作りながら愛しい人と共に人生を暮らす。若いときにはたまにエルフの城を抜け出して森に出てみるのだ。そして人間というものを知る。そして何十年に一度は気に入られた人間が城に招待されるのだ。私もその時を良く覚えている。友が連れてきた人間を面白げに見たものだ」
僕は頷いて足の間に顔を埋めた。
「けれど、時代は変わっていく。親しかった友は死に、その子どもも死に、今ではかろうじて孫がいるぐらいだ。そして時代を変わったのを機に城を訪れる人間はぷつりと途絶えた。それどころか、今はほとんどのエルフが人間を嫌う」
僕はちらりの彼の目を見た。そしてその中に彼の気持ちがあるのか確かめる。しかし緑の瞳はあくまでも過ぎ去った過去、良き日の思い出を映していた。
「あなたが昔、私と会っていたならば私は城に案内してあげただろうに」
彼は俯いた。僕は暗い気分を振り切るようにすぐさま顔を上げる。
「シャイン、歌ってください」
そしてしばらくすると森には幸せな音律が満ちるのだ。
「願わくは影の呼び声が
消え去ってしまいますように
願わくはあなたの旅が
一日を明るくするものでありますように
夜を乗り越えたとき
あなたは起きあがって太陽を見つけるでしょう…」
僕は暗くなる前に心配をかけないために作業場に戻って仕事をしている振りをした。
「おい、坊主。おまえさっきまでどこに行っていたんだ?」
「ここの付近で仕事をしていました」
「みんなおまえを見なかったと言うぞ」
「あちらこちらに行っていたんです。もちろん、森ではありません」
本人がそこまで言うのでは仕方がない。みな、納得がいかない様子だが言及をうち切った。
僕はこれで、ずっと幸せな時間が過ぎていくと思っていた。ずっと永遠に紅葉した葉に彩られた秋が続き、僕と彼はその中心で永遠の子どものまま詩や歌を歌いながら暮らしていく――
"May it be" by Enya




